第255話  拳を打ち込め






「──────うそ……だろう?」


「ただの人間が……あのリュウデリアをあんなに……」


「あんなにやられてるりゅうでりあ、わたしはじめてみたよぅ……」




 呆然として見守るオリヴィアとスリーシャ、ミリは文字通り、見守る事しかできなかった。目に映るのは人間の司教に殴られ、血を流して嘔吐くリュウデリアの姿だった。



















 ──────さぁ、お前はどうやって俺に認めさせる?




 信仰したいなら、信仰するための許可を出させてみろ。司教がリュウデリアに言われた言葉だ。彼を勝手に崇めることはできない。彼から許可を得なければならない。そして、彼を認めさせなければならない。だが明確な認めさせる方法を教えられていない。


 考えて、悩んで、実践する必要がある。もし認めさせる過程で、リュウデリアの意に反したことを行えば、その瞬間には司教が死ぬことになる。それでもいいのかという警告だったが、信仰するためならばなんでもすると言ってのけた司教は真っ向から向かうことにした。


 リュウデリアは『殲滅龍』と人間に恐れられている。敵対すれば悉くを滅せられ、殲滅する悪龍であると。国の王都をいくつも滅ぼしてきた彼だが、それは南の大陸で起こしたこと。西の大陸ではその力を表立って使っていない。つまり西の大陸に来ていることを知らないのだ、現地の者達にとっては。


 それどころか西の大陸と南の大陸はそこまで仲がいいものでもない。獣人を受け入れない南と、獣人と共存する西。相容れないのも頷ける。なので南で起きたことを積極的に拾おうとしないため、リュウデリアのことはそこまで深く知らない。これは司教にとって実に不利と言える。相手が誰なのか解らないからだ。


 さて、どうやって認めさせると言われてしまった司教は、視線を落として考える。不躾だと理解していながら、判断材料とするためにリュウデリアの全身を足元から頭の先まで眺めて観察する。相手は龍である。信仰していた以上自由であることは明らか。人間である自分が彼に提示できる自由等はない。


 金だろうか。いや、使い魔に扮して人間の冒険者をしているのだろう。龍がそこらの魔物に苦戦する筈かない。要するに金を集めるのは簡単だ。困ることではない。ならば食べ物か?人間の食べ物は自然を生きる生物にとっては未知でご馳走のはず。だがそれらを今まで堪能してこなかった筈がない。


 ならば後、自分に考えつくものは1つしかない。すぅ……っと、息を吸い込んで覚悟を決めた。リュウデリアは決まった様子の司教を見やり、尻尾をゆらゆらと揺らす。間違えれば今度こそ死ぬ。死が目の前にある状況で、司教は体を震えさせる事もなく、正面から彼の目を見た。




「畏れ多くも告げさせていただきます。私があなた様に提案するのは──────」
























「──────リュウデリアに戦いを申し込むなど、正気なのか?あの人間は」


「さぁ……しかし人間でも『英雄』に届くと謳われていたのですよね?ならばある程度は戦えるはずです。リュウデリアもまさか本気でやることはないと思いますので、大丈夫ではないのでしょうか?」


「ミリはね、りゅうでりあがまちがえてころしちゅうとおもう!」


「ミリの中でリュウデリアはドジなのか?」


「んー、ちがうけど、こまったおとうとだから!おねえちゃんのわたしがしんぱいしてあげるの!」


「それは絶対リュウデリアに言ったらダメだぞ。握られたまま振り回されるからな」




 場所は龍神信仰の教会から王都トールストの壁外へと変わっている。人目のつかないよう、離れた場所に居る。そうしなければ戦いの余波などによって王都に被害が及ぶと考えてのことだった。それを司教から提案された時に、オリヴィアは訝しげにしていた。何せ、リュウデリアと戦って余波が生まれるほど戦えるのかどうかわからないからだ。


 実力をつけたオリヴィアは、相手の気配を感じ取ることができるようになった。が、彼女は司教からそこまで強い気配を感じなかった。本当に『英雄』にすら届くと謳われた人間なのか?と疑問に思ったくらいだ。


 答えを間違えた瞬間に死亡が確定する問いかけに、司教はリュウデリアに戦いを申し込むことで事なきを得た。目を細め、ほう?と言う彼に間違えでなかったことを胸中で安堵しながら、こうやって王都から離れたところで戦うことを提案し、今に至る。


 これまでリュウデリアが戦ってきた人間の中で、彼を満足させられた者は居ない。正式な『英雄』であってもそうだ。精々、人間にしてはできる方だな……という程度。一戦を交えても満足したことはない。今回もそうなる。オリヴィアはこの時……そう思っていた。




「理由は聞かん。俺に認めさせればいいと言ったからな。それで、俺はいつでも構わんぞ。お前が好きな時に始めるといい」


「畏まりました。それでは、始めさせていただきたいと思います。──────お願いします」




「──────ぶッ……ッ!!!!」




 音が……無かった。あくまで自然体で立つ司教の姿がいつの間にか消え、リュウデリアの前まで移動していた。過程が目に映らず、それだけ凄まじい移動速度だったのだろう。そして、彼はいつの間にか接近していた司教に左顔面を殴打されていた。


 殴り抜いた司教と、殴り飛ばされたリュウデリア。遅れてやって来た顔面に拳を叩きつけた衝撃音。爆発と間違うその派手な音を聞いて、スリーシャとミリは咄嗟に耳を塞ぐ。オリヴィアは司教の動きを見て呆然としている。


 殴り飛ばされたリュウデリアは背中を地面に向けている。そこからくるりと体勢を元に戻して足から着地すると、獣道を2本作りながら威力を殺し、やがて静かに止まった。腰を落とした体勢からスッと背筋を伸ばし、殴られた左頬を左手で撫でる。


 鱗に罅が入っている。撫でるだけでビシリと音を立てて尚のこと砕け、いくらか地面に落ちていく。少量の血が流れていて、リュウデリアは手に付着した血を眺めると、長い舌を出してベロリと舐めた。

 肩を震わせていく彼の口から、クツクツとした笑い声が聞こえてくる。俯いていた顔を上げたリュウデリアは、もっと打ち込んでこいと挑発するようにジェスチャーをした。




「すぅ……はぁぁ…………参ります」


「クックック……ハハッ!!」




 両者の足元が爆発した。いや、爆発したと錯覚してしまう踏み込みだった。砂塵を巻き上げ、岩や凝り固まった砂のブロックを弾き飛ばし、粉砕する。掻き消えるように移動するリュウデリアと司教は殴り合った。拳を握り、相手の顔、体に遠慮なく叩き込む。


 硬く握られたリュウデリアの拳が司教の顔面を捉えた。ばきりと嫌な音が響くが、頬を殴られて口の端から血を流すだけで大したダメージはなさそうだ。応戦するように司教の拳がリュウデリアの腹に捻じ込まれると鱗に罅が入り、衝撃が背中から突き抜けていった。


 口を閉じていたが、血が逆流していたのか歯の隙間からごぼりと吐き出された。口の中の血を適当に吐き捨てながら、リュウデリアは拳に手の平を当てて関節を鳴らすと、再び司教と殴り合いを再開した。


 彼の全身から生えている鱗は、破壊されて新しく生え替わる度にその硬度を上げている。元の硬度も相当なもので、生半可な攻撃は通じないし、名剣や名刀でも傷1つ付かない。そんな鱗を今まで会ってきた強敵は打ち破り、リュウデリアがその強敵に勝利を収め、傷を治す度にまた強くなる。


 人間が殴っただけで砕ける柔な鱗はしていない。何なら、オリヴィアがローブの魔力で限界まで肉体を強化し、魔力武器を使ってリュウデリアに一撃を見舞ったとしても、鱗に傷はつけられない。それだけの硬度を持つ鱗を、全壊ではないが一撃入れるごとに罅入れていく司教に、オリヴィアとスリーシャは信じられないものを見たと言わんばかりの表情をした。




「一体なんの冗談だ……?」


「あの司教という方は、どうやってリュウデリアの鱗を砕いているのでしょう……?殴っているようにしか見えませんが、それだけであの子の鱗を砕けるとは思えませんし……」


「解らない。どうなっている……?」




「──────なーんのタネも仕掛けもねェよ」


「──────純粋な……強さで……あの人間は……リュウデリアに……有効打を……入れている」




「あ、クレア」


「バルガスさんも」


「おかえりなさ~い!」


「おう。ただいま」


「頃合いかと……思い……戻った」




 リュウデリアと司教が殴り合っている様子を、凄まじい速度故に途切れ途切れなってしまいながらも観戦していたオリヴィアとスリーシャ、それとミリは気づかぬ内に傍に居たクレアとバルガスを見て戻ってきたのかと口にした。


 クレアとバルガスは、司教になんとなく嫌な予感を感じ取り、全部リュウデリアに押しつけるために姿をくらましていた。具体的に言うと、彼等は遙か上空で自由気ままに飛んでいた。そうして日向ぼっこをして時間を潰していると、なんとリュウデリアと司教が殴り合いを開始した。


 もういいだろうと話し合って、彼等は今降りてきてオリヴィア達と同じように観戦を開始したというわけだ。2匹はしっかりとリュウデリアと司教の動きが見えているようで、掻き消えて移動している彼等のことを目で追いかけている。少し羨ましいと思っていると、クレアはオリヴィアの頭を、バルガスがスリーシャの頭に手を置いて魔法陣を起動させた。


 見えて、追いつけるようになったリュウデリアと司教の動き。途切れ途切れでしか見えていなかったのに、普通に見えるようになったので2匹が気を利かせて見えるように魔法を掛けてくれたのだ。オリヴィアとスリーシャはありがとうとお礼を言ってリュウデリア達の戦いの観戦を続けた。




「くれあぁ……わたしだけみえないよぅ……」


「……っ!?わ、悪ぃ!忘れてた!」


「ぐすっ……」


「いやホント悪い!?もう魔法は掛けたから見えるだろう?な?許してくれ」


「……うん。いいよ……」


「やっべー、素で忘れてた……」




 汗を掻く種族だったら頭から滝のように汗を掻いていただろうくらいには焦ったクレアは急いでミリに目が良くなる魔法を掛けてあげた。これでミリもリュウデリア達の戦いが見れるようになり、泣きそうになりながら観戦を続けた。


 クレアとバルガスが魔法を掛けないと見えないくらいの速度で動き回り、殴り合っているリュウデリアと司教。クレアとバルガスはそれぞれ目を細めて見ている。単なる人間がここまで打ち合えるとは思いもしなかった。強いだろうことは気配から察していたものの、ここまでとは思っていない。


 それに、オリヴィアとスリーシャが疑問に思っていた考えに、クレア達は補足した。あのリュウデリアを殴るだけで血を流させている、そのカラクリだ。それに対してクレア達は純粋な強さだと言った。何のタネも仕掛けもないと。その言葉は本当にそのままの意味であり、戦いを観戦しながら、クレアが解説してくれた。




「あの人間はな、。素の力でリュウデリアのことぶん殴って傷を負わせてやがる」


「だからタネも仕掛けもないと言ったのか。しかし、本当にそんな事が可能なのか?あのリュウデリアを相手に……」


「多分だが、単純に肉体が強ェンだろ。この強さなら、人間で最高峰のものだろうよ。避けられた拳圧が爆風みたいになってやがる。出生によっちゃ突然変異かもな」


「魔力も使ってない人間に対等に殴り合うリュウデリアなど、初めて見た」


「あー、それはあれだ。まだ本気で殴っちゃいねぇのと、リュウデリアも魔力使ってねーからな。肉体の強化無しでやってっから、いい感じの戦いに見えてンだろ」


「……リュウデリアは魔力を使っていないのか」


「おう。それで鱗割れてんだから世話ねーけどな。ンま、アイツらしいだろ?強さを測りたいからわざと攻撃食らってんの」


「そう……だな。リュウデリアはそういうところがある」




 全力で戦わせるためなら、相手にパワーアップの機会を敢えて与えるような龍だ。司教の強さをより鮮明に感じたいと考えて魔力を使わずに殴り合うのも頷ける。ただ、オリヴィアは楽しそうなリュウデリアを見るのはいいが、痛々しい姿を見て気分が沈まないことはない。痛そうだと思うし、早く治してやりたいと思うし、何より傷ついて欲しくないと思う。


 愛していて、リュウデリアのことを理解しているから、無粋なことは言わないで見守っているだけだ。今だってオリヴィアは手を強く握っている。傍に居れば、すかさず純白な治癒の光で治してあげていただろう。


 あぁ、早く終わらないかなと考えているオリヴィアの心を読んだように、クレアはそんなに長くは続かないと話す。それは何故なのか?まだ司教の息は上がっていない。まだまだ続けられそうだ。しかしクレアとバルガスには、司教の限界が近づいていることに気がついていた。




「手を見てみな。司教とかいう人間の手だ」


「ん……?……あっ」


「防具も着けてねェ生身で、リュウデリアのバカみてェに硬え鱗殴ってンだぜ?──────拳なんぞ砕けるに決まってるわな」




「……ッく……ッ!!」


「どうした人間?手が痛くて拳を前に出せんか。それならどうする、やめてやろうかァ?」


「……それには及びません。例えこの手が砕け散ろうと、最後の瞬間まであなた様を楽しませて御覧に入れましょう」


「──────よくぞ言った」




 皮膚が捲れ上がり、骨が露出し、血が流れ出ている。見ているだけで痛々しい拳は、硬いリュウデリアの鱗を殴っているため負った怪我により真っ赤になってしまっている。恐らく大きな罅も入っていて砕ける寸前だろう。痛みも強く、握っているだけで腕が震えるくらいだろうに、司教はリュウデリアを楽しませるためだけに痛みを無視した。


 殴るだけで爆風のような衝撃を生み出し、リュウデリアの鱗を砕いて肉体にもダメージを与える司教。肉体的な強さで言えば人類最高峰であるだろう。魔力を使えれば、もっと良い戦いができたかもしれない。殴打の威力にも負けない強い拳があれば、尚のことリュウデリアを楽しませることができたかもしれない。


 楽しませることができているのだろうか。嗤っているリュウデリアを見ればつまらないと感じている様子は無いが、確証はない。司教は自身にできることをやり、何度も何度もリュウデリアを殴った。やがて、ばかりと殴打した時とは別の、もっと生々しい何かが砕け散る音が鳴り、司教の拳がとうとう粉々に砕け、指もぐちゃぐちゃの形になった。




「お前の肉体は人間であることかもったいないほど強い。お前ほどの人間には会わなかった。誇るがいい。お前はこれまで会ってきた人間の中で、強い」


「あぁ……我が神よ。なんというもったいなきお言葉……我が身、我が心を捧げます──────」




 拳が握ることさえできなくなり、大量の血を両手から地面に垂れ流している司教は、恍惚とした笑みを浮かべながらリュウデリアの最後の拳を受け入れた。


 顔面に拳を真面に受けた司教は、錐揉み回転しながら殴り飛ばされていき、隆起していた岩などを何度も破壊し、地面に不時着して10数メートル転がってから止まった。意識は無く、殴られたところが大きく腫れ上がっている。美しい顔があっただろうに、リュウデリアにそこら辺の遠慮も躊躇も無かった。








 気絶して倒れ込む司教の元へ1度の羽ばたきで傍まで近づいたリュウデリアは、彼女の顔に向かって手を伸ばした。









 ──────────────────



 司教


 力こそパワーと言わんばかりの剛力で鉄拳系シスター服を着た篤い信仰者。胸も中々に大きく、背丈もオリヴィアよりもある。フードのような部分で顔が隠れてあまり見えないが、リュウデリアとの戦闘で破けて少し見える。美人なお姉さん。


 リュウデリアの鱗に大きな罅を入れる拳を打ち出すものの、鱗の強度とリュウデリアのタフさに拳が負けて砕け散る。


 あまり把握していないリュウデリアの性格を想像し、そこら辺の人達よりも強いということをアピールすればいいのでは?と考え、見事正解した。これ以外の手段なら終わっていた。


 魔力を持っておらず、そのため肉体を強化して戦うことができない。しかし持ち前の単純な肉体の強さで、冒険者だった頃は向かってくる魔物を拳で殴り殺していた。





 リュウデリア


 力を示す方法以外を提示してきたら、その瞬間にぶっ殺すつもりだった。司教に魔力が無いことは最初から知っていた。が、気配が強者のそれだったので興味を持っていた。結果、大当たりだった。






作者より


ギフトをいただきましたので、お返しとしてギフトを贈ってくださった方のみ見れる近況ノートを作りました。


これには私のAIイラストで作ったオリヴィアのイメージ画がありますので、贈ってくださった方は忘れずにご覧下さい!


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