第249話  刻み込んで




 認識を捻じ曲げる。催眠術を掛けるのとは訳が違い、リュウデリアが自身の姿を人外のそれから逸らせるために使っている魔法は違和感も一切発生しない。魔法を解いても認識は捻じ曲がったままであり、例え思い出そうとしても人外だと認識はできない。


 精神系の魔法を片手間に使い、彼は腕にオリヴィアを抱きつかせながら街の中を白昼堂々とそのままの姿で歩く。人間大の大きさ。硬質な鱗。鋭利な牙。鋭い指先。背中の折り畳まれた翼。黄金の縦に切れた瞳。この姿を見て人間だと言う者は居ない。が、現時点で人外だと言う者も居ない。


 指が絡み合う手の繋ぎ方をして、そこに加えオリヴィアはリュウデリアの腕を抱き込んでいる。ベッタリとくっついて、フードの中では幸せそうだ。彼女の周囲にはハートマークが乱舞していることだろう。そんな光景が幻視できる。


 オリヴィアは、リュウデリアと一緒に居られればそれで良い神だ。他は求めない。それだけが心の中を埋め尽くす幸福となっている。こうして歩いているだけで、彼女の胸は強く熱く高鳴っているのだ。何度も体を重ねていても、そういった初心な反応が可愛らしい。


 だからこそ、リュウデリアはこのまま街中を歩くデートは単純でつまらないと思った。人間の社会に紛れ込み、その街の風景を眺めながら美味しそうなものを時々買って一緒に食べる。それだといつもと変わらない。どうせなら変化を与えてあげたい。そこで彼は、繋いでいた手を外し、抱きつかれていた腕からするりと抜け出した。




「リュウデリア……?あ、すまない。嫌だったか?」


「嫌なわけないだろうに。このまま歩いてもいいが、それだと変わり映えがないと思ってな。オリヴィアも飽きるだろう?」


「そんな……私はリュウデリアとこうして一緒に居られるだけで幸せだぞ?飽きることなんて……」


「そう言ってもらえると助かるが、俺としては……だ。だから少し付き合ってくれ」


「なにを……きゃっ」




 彼女の腰に腕を回して引き寄せる。クールなもの言いがデフォルトのオリヴィアが可愛らしい声を上げ、引き寄せられるまま彼の胸元へ。胸元に手を当てて見上げながら首を傾げる。何をするつもりなのかと思えば、彼は背中の折り畳まれた翼をばさりと広げた。


 飛ぶつもりなのだと察した時には、翼は羽ばたき初めて足が浮いた。腰に回された腕に支えられて共に浮かび上がっていく。認識をずらしているようで、もうリュウデリアとオリヴィアの姿は人間達に見えていない。羽ばたく風圧で突然の強風だと勘違いして服や帽子を押さえている。


 オリヴィアに負荷を掛けないためにゆっくりと上昇していく。街の景色が小さくなっていき、風が頬を撫でる。見てる人間が居なくなったのでフードを外して純白の長い髪を表に出した。彼の胸元に置いていた手を背後まで伸ばして抱きつく。抱き締められたリュウデリアは、速度を上げてぐんぐんと上昇していった。


 やがて、彼等は街が小さくなるくらいの高さまでやって来た。しかしオリヴィアは飛べない。想像して魔法を発動させれば飛ぶことができるが、それには及ばないと彼が待ったを掛けた。

 足元に純黒の魔法陣が展開されたかと思えばすぐに消えた。リュウデリアが腰に回していた腕を外していくと落ちてしまうと思って抱き締める腕に力が入った。




「もう落ちないぞ」


「……本当か?」


「こんなところで嘘をついてどうする。地面はないが、落ちない。ほら、この通りだ」




 オリヴィアにひしと抱き締められているリュウデリアは腕を左右に広げながら、飛ぶために使っていた翼を既に折り畳んでいることを示した。飛行の魔法も使わず、そして翼も使わずに空中で静止している姿に、恐る恐る彼女も腕の力を抜いていった。


 下には何も無い。あるのは小さな街やその他の景色だけ。足を付けられるものなど皆無。しかしオリヴィアの足裏は何かを感じた。地面はないのに、地面の上に立っているような感覚だ。離れても問題ないと分かるとリュウデリアから数歩離れて不思議そうに下を見る。


 何度か踏み締めるような動作をしても、不思議なことに落ちる気配はない。ジャンプしてみても落ちない。きっと先程展開した魔法陣で何かをしたのだろうと察した。




「空中散歩といこうか」


「ふふっ。これはすごいな。眺めもいい」


「そうだろう?歩きながら適当に話そうではないか」


「私達だけでのんびりとした時間を過ごそうということだな?とてもいいじゃないか。……その、手を繋ぎたい」


「では繋ぎながら歩き、話そうか」


「……うん」




 差し出された白い肌の小さな手。そこへ自身の純黒の大きな手重ね合わせる。するりと指先の鱗を撫でられ、指の間に指が差し込まれる。ふんわりと絡められた指を動かしてちょうど良いポジションを見つけるとそこに収まった。


 ただ手を繋いだだけなのに、オリヴィアは頬をほんのりと赤く彩らせている。視線を感じて顔を上げてリュウデリアと目が合うと、ふいっと顔を逸らした。逸らす前の顔は尚のこと赤くなり、逸らされたことで見える耳は顔よりも更に赤くなっていた。照れているのか、自分から指を絡めたのが恥ずかしいのか、それとも両方か。


 自身のつがいのそんないじらしい姿を見せられれば、少しイジワルをしてみたくなるリュウデリアが、この場は自重して甘酸っぱい雰囲気を堪能することにした。一歩踏み出すと同じく一歩前に出て歩き出す。


 空という広大な場所を歩くと、進んでいるのか進んでいないのか分からなくなる。だが今は景色を、風を、愛する者の気配を、相手の体温を感じながら歩くだけで楽しい。オリヴィアは口の端がゆるりと持ち上がっていくのを自覚した。


 それからは一緒にただ空を歩いた。そして会話を楽しむ。内容は何て事のないものだ。前に食べた刺身は美味かったなとか。今居る街にはどのくらい滞在しようかとか。その程度のなんて事無い会話だ。だがそれをしているだけでも幸福を感じるのだから、彼等の波長は良く合っているのだろう。


 少しの間、歩きながら会話をし、景色を眺めてゆっくりとした時間を堪能した彼等は今、歩くのは切り上げている。

 リュウデリアが胡座をかいて座り、その上にオリヴィアが横向きになって背中を支えられながら彼の首に腕を回して座っていた。




「リュウデリア」


「何だ?」


「好きだぞ」


「俺も好きだが、どうした?」


「言いたくなっただけだ」




 折角遙か上空の空中散歩をさせて、綺麗な景色を見せてくれているというのに、オリヴィアが見てしまうのはリュウデリアの顔だった。自身の選んだ雌であるとして……他の龍に番と言ってくれるリュウデリア。


 中には自身の番を複数持つ者も居るそうだが、基本龍の番は1匹だけだ。彼の番になれただけでも嬉しい。ましてやオリヴィアはリュウデリアと種族が全く違う。機会が無ければ会うことすらなかっただろうくらいには接点のない種族だ。龍と神。物語にも出てくるような存在の彼等が惹かれ合うというのは奇跡だろう。


 体を彼の方へより傾ける。オリヴィアは彼の胸に耳を寄せると、一定の間隔で鼓動を刻む心臓の音を聴いた。安心する音だ。リュウデリアは生きているのだと実感する。そこで彼女は、静かに涙を流した。目尻から頬に掛けて流れていく涙に反応したリュウデリアは、顔を上げさせて上から覗き込む。




「どうした。何故泣く」


「あ……これは……」


「辛いことでも思い出したか?」


「……あぁ。辛いさ。とてもな。リュウデリアが帰ってこない3ヶ月余りは本当に辛かった。帰ってこないのではと思うとゾッとした」


「……………………。」


「バルガスとクレアが本気を出したのにやられてしまっていた……というのも後押しになって、より辛かった。だが同じくらい辛いのは……リュウデリアが居るところに居ることすらできず、助太刀もできない私自身の弱さを自覚することだ」


「それは……」


「分かっている。分かっているさ……私は治癒の女神で、戦の神ではない。リュウデリア達のように魔力は持っていないし、魔法を使うにはこのローブが必要だ。権能は持っておらず、神格もそこまで高い訳ではないから人間と肉体強度は差して変わらない。そもそも、龍王にすら認められる程強いリュウデリアと同じ場所に立ちたいと思うこと自体間違っているんだ。私は邪魔にならないように控えていればいい。理解はしている。でも……とてももどかしい」




 愛する者の傍に居たいと思うのは誰でも同じ。オリヴィアは理性もあるし理解力も持ち合わせている。だからリュウデリアが戦うところでは、ローブの力がないと満足に戦うことすらできない自身は引いて身を潜めるべきだと分かっている。だからこれまでもそうしてきたし、これからもそうする。しかしそれがもどかしい。


 可能ならば助けてあげたい。傍に居たい。傷ついた端から治癒の力で治してあげたい。だが近寄ることもできない自身には夢のまた夢の話だ。


 言っても解決できないのは知っている。今見に着けているローブですら、リュウデリアの血や鱗を使い、魔法と莫大な魔力を注ぎ込まれた最高の逸品だ。それでもダメなのだから何をしようが無駄だろう。近づけば巻き添えで死ぬだけ。もしくは人質にされるのがオチだ。


 邪魔だけは、何があってもしたくない。楽しんでいるリュウデリアの不安材料になんてなりたくない。楽しむなら、とことん楽しんで欲しい。でも傍に居たいという相反する気持ちと、どうしようもないというもどかしさ。オリヴィアは強敵に向かって行く彼の背中を見る度に、切なかった。




「……すまなかった」


「いいや、リュウデリアが謝ることではないんだ。傍に居られるだけの力が無い……私が悪い。今は少し……そう、口が滑って吐き出してしまっただけ。気にしなくていい。むしろ気にされて本気が出せず、戦いを楽しめてもらえなかったらそれこそ!……私が気にしてしまうだろう?」


「……そうだな。分かった。だが、オリヴィアの想いは確かに聞いた。頭に叩き込んでおく」


「ふふ。気にしなくていいというのに」




 ──────オリヴィアはローブが無ければ戦えない。肉体強度は人間と差して変わらん。俺のように頑丈な訳でもない以上、俺が本気で殺し合う場ではどう足掻いても場違いだ。治癒の力は凄まじく、戦い方を学ぶ吸収力は目を見張るものがあるが、こればかりはどうしようもない。……だがならば……。




 彼を理解していて、彼の強さを把握しているからこそ邪魔にならないような立ち位置に居るよう心掛けている。しかしその一方で、その立ち位置に居るからこそ何の役にも立てていないことが自覚できてしまう。


 オリヴィアの戦いに関する吸収力はリュウデリアやバルガス、クレアから見ても目を見張るものがある。本当は戦神なのではないかとすら思えてしまう程だ。惜しいのは、魔力を持っていないこと。魔力があれば基本的な身体能力強化に加えて魔法を使うことができた。魔力さえあれば、彼女は何倍にも輝くことができるのだ。


 もどかしいなと思うのは仕方ない。愛するリュウデリアの役に立てているとすれば、戦いが終わって傷ついた体を治癒の力で治してやることだけだ。戦闘には参加できないだけでも悩みの1つになってしまっている。




「リュウデリア、頼みがある」


「何だ?」


「私を抱いてくれ」


「……今か?」


「そうだ。それも強く、激しく、乱暴でいい。兎に角、リュウデリアという存在が私の傍にしっかりと居るんだと、これでもかと刻み込んでくれ」


「お前を傷つけるようなことはしたくない」


「私は治癒の女神だぞ?傷なんてすぐに治せる。だから頼む。そうしてくれないと……目の前にリュウデリアが居て、触れ合ってさえいるのに、まるでそこに居ないような感覚なんだ。実感できていない。早く私にリュウデリアを感じさせてくれ」


「……分かった。オリヴィアがそれを望むならば、そうしよう」




 共に宛てのない旅をするようになってから、3ヶ月以上も離れる事なんてなかった。離れたとしても一瞬だった。すぐに戻ってきて、また一緒になる。長くても過去の神界で散り散りになった時だ。なので今回のアンノウンとの戦いで離れていた3ヶ月は、オリヴィアを堪えさせるには十分すぎる時間だった。


 誰も目にできない遙か上空で、オリヴィアはリュウデリアの手で着ている衣服を脱がされる。現れるのはまさしく女神の神々しき玉体。何を犠牲にしてでも手に入れようとする権力者が現れてもおかしくない傾国レベルの肉体。それを惜しげもなく彼のために晒し、劣情を煽る。


 伸ばされた純黒の手が肌を撫でていく。激しく、強くを望んだので不満そうにすれば、溜め息を吐いた。そして、黄金の瞳と朱い瞳の視線が重なり、求めていた行為が始まった。




「くッ……ぁ゙あ゙ッ……ふんん゙……っ……はげし…い……っ!はぁッ……はぁッ……かッ!?あ゙ぁ゙あ゙あ゙……ッ!!」


「オリヴィア……お前の体に傷が……」


「いいッ……いいからぁッ……もっとッ!」


「ッ……分かった!お前が求める痛みを与えてやる!それで俺を感じろ!その身に刻め!お前の全てに俺を理解させろッ!」


「ふふっ……ゔッ……ははッ……ぁ゙っ……ぁ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙ッ!!!!」




 美しい肢体に傷がつけられていく。鋭い指先がナイフのように肌を切り裂いて血を流させる。腹。背中。腕。五指を使った長い引っ掻き傷に、強い力で握り込まれたことで内出血を起こして手の形に跡がつく。


 がぱりと開けられた大きな口が肩に噛みつき、鋭い牙が突き刺さって皮膚を突き破り、筋肉の深くまで貫通して激しい痛みと血を流させた。噛みつかれ、そのまま首を振られ、捕食されているようだ。激しい激痛に顔を歪ませ、涙を流し、それでも繋がった部分から与えられる快楽から蕩けるような熱い吐息を漏らす。


 肉が抉り取られそうだ。血を全て流しきってしまいそうだ。体が自身の血で真っ赤に染まり、鉄臭い匂いがする。血塗れの手でリュウデリアの顔を撫でる。純黒に自身の体から流れた赤が塗り込まれる。それに気分が良くなって、痛みで歪みながら快楽で蕩けている顔に、酷く醜い笑みを浮かべて嗤い、喘いだ。







 女神は愛した黒龍を離しはしない。どこまでも縫いつけて、塗り込んで、刻み込むのだ。純黒の殲滅龍は、純白の女神に囚われてしまったのだ。心も体も、どうしようもないくらいに。









 ──────────────────



 オリヴィア


 面と向かって話して、触れ合っているのに、会わない期間が長かったがために未だ実感できておらず辛い。浮ついた気分のため、その感覚に終止符を打つために激しく抱かれることを希望した。


 初めて傷つけられたが、その相手がリュウデリアで愛しい気持ちが膨れ上がる。痛いのは得意ではないが、彼からの痛みならばいくらでも受け入れる。





 リュウデリア


 誰が相手であろうと躊躇いも無く殺し、傷つける冷酷さを持つが、オリヴィアのことを傷つけるのは渋った。例えオリヴィアから頼まれたことだとしてもやりたくはなかった。


 だが愛する彼女のため、嫌悪感を振り切って痛みで自身の存在を刻みつけた。傷つきながら快楽に喘ぎ、蕩け、それでも嗤うオリヴィアに心酔している自分を再度実感し、彼女からは逃れられないなと悟った。



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