第227話 奇襲
「──────相も変わらず気持ち悪い空間だったな……」
元の世界。元の次元。地球の大地にオリヴィアは降り立った。次元を渡る扉を通って先に戻ってきた彼女は、その場で大きく息を吸った。汚染されて瘴気が満ちる凄惨な光景など無く、元の自然が豊かな地球である。
空気は美味しく感じられ、射してくる陽の光は気持ちが良い。背後でまだ開いている扉の中は景色が気持ち悪く、酔った気分にさせた。それを払拭するように新鮮な空気を取り入れて気分の入れ替えを行う。行きはリュウデリアと共に来たので、帰りは自力で渡ろうと思い行ったが、気分が悪くなった。
リュウデリアはやることがあったので遅くなっているが、帰ってきたら抱き締めてもらおうと考えた。すると、タイミング良く扉から彼が出てきて、降り立った。通る者を全員通して役目を終えた扉は閉じられる。彼はオリヴィア同様、大きく息を吸って気分を整えた。そんな彼に振り返りながら抱き付く。
苦もなく正面から受け止めたリュウデリアは首を傾げつつ、尻尾を機嫌良さそうにゆらりと揺らした。オリヴィアの背中に手を回して抱き締めると、同じく背中に腕を回し強く抱きついてくる。扉を潜るのが怖かったのか?と思ったが、顔を上げてニッコリと嬉しそうに笑っているのを見て、単純に抱きついてきただけかと納得した。
「ふふふ。リュウデリアを抱き締めると癒される」
「治癒の女神に言われると誇らしいな」
「そういえば治癒の女神だったな、私は」
「……忘れるということがあるのか!?」
「最近治癒の力を使っていないからなぁ……。まあ、使ってやるのはリュウデリア達ぐらいだからな。使わないに越したことはない」
「傷つけられないというのも、つまらんものだがな」
「私は安心できて良いがな。ほーらよしよし」
はーあ……と溜め息を吐いているリュウデリアだが、オリヴィアの心情的には治癒の力を使わなければならないだけの大怪我を負わないで居てくれるので良い。やはり愛する伴侶が大怪我をするところは見たくないだろう。例え傷を治してあげられるのだとしても、彼が他界を求めているのだとしてもだ。
怪我が無いことが嬉しいと、オリヴィアは伝えるようにリュウデリアの頭に手を伸ばして撫でた。目を閉じて甘んじて受け入れている彼を見ていると胸が高鳴る。世界広しと言えども、彼の頭を撫でる事ができるのはオリヴィアか義理の母であるスリーシャくらいなものだろう。
暫く抱き締め合いながら頭を撫でられていたリュウデリアだったが、閉じていた目を開くと縦に切れた黄金の瞳の虹彩を更に細くした。一瞬で彼の気配が研ぎ澄まされたのを感じ取り、オリヴィアがどうしたのか問う前に強く抱き締められた。何かから守るような行いに目を丸くする。当然のことなので分からないが取り敢えず黙っていると、喉から唸り声を出した。怒っている時や警戒した際に出るものだ。
「■■■■■■■…………ッ!」
「……………っ」
「オリヴィア。俺から離れるな」
「分かった」
「今気がついた。我ながら何という体たらくだ」
左腕でオリヴィアを強く抱き締め、フリーになっている右手で魔法陣を描く。指先に魔力を集めて幾何学模様を描いて何かの魔法を発動する準備を整えている。何かが居るわけでもないのに警戒するリュウデリアに人知れず息を呑む。中々無いことだ。彼がここまで警戒し、臨戦態勢に入っていることなど。
抱き締められながら気配を探るが、リュウデリアの敵になりそうな強い気配は感じられない。目をあちこちに向けてみるが、それらしき姿も見えない。敵らしい敵が居ない状況で、これだけの警戒をしているということは、きっと何かがあるのだ。
少しの時間が経った頃、オリヴィアは今質問をしても大丈夫かリュウデリアの様子を見ながら悩み、遠慮がちに質問した。一体何があったのかと。すると、彼は周辺を警戒しながら口だけを開いて返答した。その内容は、オリヴィアにとって驚愕に値するものだった。
「かなり濃いバルガスとクレアの魔力がある。此処から相当離れた場所だが、強力な魔法が継続して発生している状態だ。それも超広範囲にだ」
「……戦っているということか?」
「いや、感じられるのは魔法の魔力だ。クレア達が内包する魔力ではない。それに……」
「……それに?」
「この魔力……──────専用武器を解放している」
「なに……?」
専用武器の解放。それはリュウデリア同様、バルガスとクレアの純粋な力の解放を意味する。肉体に掛かっているリミッターを解除し、潜在能力や使われていない魔力などを引き出し、本来の力を取り戻す為に必要なもの。それを行えば、元から最強クラスの力を持っていた彼等を桁違いに強くさせる。
だが、言い換えてしまえばそれは、そうまでしないと勝てないと認めているようなもの。相手がそれだけ強いということを意味する。リュウデリアが感じ取っているのは西の大陸で発生している超広範囲の彼等の濃い魔法の魔力だ。内包している魔力ではない。要するに戦闘は終わっているということだ。
あまりに強力な魔法故に、発動されてから発動し続けている。恐らく暴風と轟雷が環境を破壊し尽くしていることだろう。遊びで専用武器の解放はしない。強すぎることを理解しているからだ。奥の手として使うことを3匹共共通としているし、その考えも同じなので鬼気迫ったが故の解放と察せられる。
つまり、バルガスとクレアに本気を出させるだけの存在が居るということになる。クレアが居ただろう場所とバルガスが居ただろう場所は遠く離れている。にも拘わらず同時に高濃度の魔力を感じさせるということは、2匹共に近い時間で戦闘を繰り広げた事になる。彼等を追い詰めるだけの存在が2体以上居るならば、3体居てもおかしくない。だからこそ、彼は警戒していた。嫌な予感を感じているということもある。
そして軽く説明を受けたオリヴィアは驚いている。リュウデリア達が専用武器を解放した時の強さは理解している。理外の理と言ってしまえばそれまでだが、凄まじい力を発揮して神界を滅ぼす獣さえ屠るだけのものであることは確か。それにリュウデリアを以てしても、計り知れない力とまで言わしめた2匹の本来の力だ。並大抵の相手ではない。
「クレアとバルガスの気配は無いのか……っ!?」
「……判らん。魔法の魔力は感じられても、それより強大な筈の彼奴等の魔力がどうしても感じられん。……何処にもな」
「そんな……まさか……敗けたのか……?」
「……………………。」
──────専用武器を解放した彼奴等の力は絶大なものだ。それは俺が最も知っている。俺と同等の力と言ってもいい。なのにそれを引き出している奴が居る。徒党を組んで2匹を狙ったのか?まさかとは思うが……単騎で2匹を相手にした……。いや、連続での戦闘は流石に無理だろう。……分からん。俺達が呪界に言っている間に何があったんだ……?そして、一体何処に居るというんだ、バルガス……クレア。
信じられないように敗北したのではと口にするオリヴィアに、否定の言葉を掛けられなかった。言うのは簡単だが、到底それは認められない。というよりも考えつかないのだ。専用武器を使い本来の力を取り戻し、全力で戦っただろうクレア達を殺すというのが。
過去の神界で感じ取ったからこそ理解出来る、彼等の本来の力の強さ。辺りを警戒しながら思考を巡らせる。不意打ちができたとしても、一撃で彼等を仕留めるのはほぼ不可能に近い。高い硬度の鱗がある他に高い魔力耐性を持っている。それに付随して高い生命力を兼ね備え、広い感知能力すらもある。
そもそも、専用武器を使っている時点で奇襲による殺害は失敗している。ともすれば、有り得るのはたった1つ。真っ正面から彼等に挑んだということだ。嫌な予感を感じさせるのは、魔法の魔力が超広範囲に発生しているのに対して、彼等の内包する魔力が何処にも無いことだ。
感じ取れない可能性として考えられるのは2つ。戦いに勝ち、魔力を使い果たして自然の回復を待っている状態。そして……既に死亡している場合だ。前者は1番可能性が高い。後者は可能性は低いが、そうとは言い切れない。なのでリュウデリアはどちらなのか解らない。彼等の強さを理解しているからこそ無事だと思うが、絶対とは言えないのだ。
「……判らん。何も判らん。何が起き──────オリヴィアッ!!」
「──────ッ!?」
思考を巡らし、ありとあらゆる可能性を考える。警戒は解くことなくその場でオリヴィアを守りながらの臨戦態勢だった。だったのだが、リュウデリアは嫌な予感を第六感で感じ取って反射的に右腕を持ち上げた。自分だけならばどうとでもなるが、抱き締めているオリヴィアに被害が出るかも知れない。
純黒のローブに物理と魔法を無効化する効力が備わっているものの、バルガスとクレアの本気を出させるような相手と同等の者が居た場合、高い確率でその効力を無視してくるかもしれない。今すぐにこの場から離れさせたいが警戒しないといけない。だから傍に居たのだが、それが仇となった。
その場から強く踏み込んで跳躍したリュウデリアと、抱えられているため同じくその場から退避したオリヴィア。突然動かれたので強い衝撃が来たが、一定以上の衝撃はローブが自動的に防御して無効化してくれるので問題は無かった。別の問題として、彼が突然避けだことだ。元居た場所から距離を取って着地したオリヴィアは、何があったのかを把握するために彼の胸元から顔を上げて前を見る。
目に映ったのは、赤だった。赤黒い液体がちょうど宙を舞っていた。それに伴い別の物体も同じく宙を舞っている。最初は何なのか判らなかった。だがそれの正体が何か解った時、オリヴィアを目を大きく見開いて瞠目し、ゆっくりとリュウデリアの方へ振り返りある場所を見た。そこには無かった。あるべきものが。彼の右腕が肘の少し先、前腕の中間辺りから無くなっていた。
「……ッ!」
「ぁ……りゅ、リュウデリアッ!腕が……ッ!?」
「大丈夫だ……前腕の半ばから
「ま、待っていろっ!今すぐに治癒するっ!」
「あぁ……頼んだ」
オリヴィアは庇われたことを瞬時に悟った。リュウデリアの鱗をこうも易々と斬るのならば、ローブの物理無効化が効かない何かが付与されていた場合、オリヴィアは死んでいたかも知れない。治癒の力を使う前に絶命したら意味が無い。
純白の淡い光が、斬り落とされたリュウデリアの腕に注がれる。骨や血管、筋肉と治癒されていき、純黒の鱗が生えて元通りになった。掌の開閉を行って動作確認をすると完璧に治癒されたことを確信した。ありがとうと礼を口にした彼は、ある場所に目をやった。腕を斬り落とした犯人の方を。
「──────仕留めたと思いましたが、残念です。大人しくしてくだされば、無駄な争いをせずに済みましたのに」
「自己紹介も無しに首を取りに来た奴が何を言うかと思えば、偉そうに上からものを言うな」
「……
「あ?……お前、バルガスとクレアに何をした」
「どういうことだ……?まさか、彼奴が関係しているのか?」
「…………──────奴からバルガスとクレアの魔力の残滓を感じる。それも高濃度のものだ。正確には、奴の持つ二振りの剣からだ」
現れたのは、薄緑の長髪に青いメッシュが入った、美しい中性的な顔立ちをした存在だった。瞳は琥珀色をしており、体つきは細く、肌は日焼けを知らないように白い。全身に軽度の動きやすさを重視した鎧を装着し、手には二振りの剣が握られていた。シンプルな直剣だが、美しい造形美をした黄金の剣だった。
剣には数滴の赤い雫が付いていて、重力に従い剣先を通って地面に落ちて染みを作る。リュウデリアの腕を両断したのは、その存在が持っている剣が原因であることは明らか。何の材質でできているのかと疑問に思ったリュウデリアだったが、その思考は放棄されすぐに別のものに向いた。
奇襲してきた存在から、バルガスとクレアの濃い魔力の残滓を感じたのだ。近くに居るだけでは付かない、強力な魔法に晒されて初めて感じられるような高濃度の魔力残滓。肉体の方からは殆ど感じず、手に持つ黄金の剣から強く感じ取れた。リュウデリアは目を細め、問い掛ける。彼等をどうしたのかと。それに対してその存在は、あぁ……と、得心がいったと言わんばかりの相槌を打った。
「やはりあなたも彼等と知り合いだったのですね。繋がりがあるとは思いましたが」
「答えになっていないわ愚か者め。答えろ。あの2匹に何をした」
「──────
「そん……な……バルガスっ……クレアっ……っ!」
「……………………。」
内側が宇宙のような光景になっていた異空間に手を入れた謎の存在は、あるものを浮かせて放り投げた。放物線を描いて放られたものは、リュウデリアとオリヴィアの足元に落ちた。それは……バルガスの専用武器である無骨な金鎚と、美しい装飾の入ったクレアの専用武器の扇子だった。ただしそれらは、血に塗れている。
鼻の良いリュウデリアが一呼吸する。匂いを嗅いだのだ。香ってきたのは、初めて会って3匹で殺し合った際に嗅いだバルガスとクレアの血の匂いだった。認めるしかない。彼等の血が大量に付着した、彼等の専用武器で間違いない。
オリヴィアが両手で口を覆い、進じられないと言わんばかりに驚愕した表情をする。リュウデリアは黙したまま何を言わない。謎の存在は黄金の剣に付いている血を振り払って落とし、剣先をリュウデリアに向けた。得体の知れない力を感じる剣と、何者かも分からず不思議な気配のする中性的な美しい存在。琥珀色の瞳には何の感情を抱いているのか、無機質で解らない。
「彼等も近しいものを持っていましたが、あなたは別ですね。漸く見つけましたよ。私はあなたを探していました」
「……何の話だ」
「──────私は『
「…………──────やってみろ」
不思議な力を放出している
──────────────────
謎の存在
白い肌。薄緑の長髪に青いメッシュが入っている。瞳の色は琥珀色をしており、手には黄金の双剣を持っている。リュウデリアの腕を両断しており、技量によるものなのか剣の鋭さによるものなのかは未だ不明。
血に塗れたバルガスとクレアの専用武器を別空間に持っていた。消したと口にしていたが、真偽もまた不明。
リュウデリア
バルガスとクレアの血の匂いを憶えていたので、専用武器が彼等のものであることを確信している。腕を両断されたが、そんなことはこの際気にしていない。
オリヴィア
計り知れない力を持つバルガスとクレアが敗北し、死んでしまった可能性が高いことに驚き、悲しみを感じている。謎の存在がリュウデリアの腕を両断したことには激しい怒りを感じている。
バルガス・クレア
生死不明
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