第226話  呪界と呪怨






「──────準備運動はもういいな?」




「……準備運動?あれだけの戦闘をしながら、貴様はそんな認識をしていたというのかッ!!」




 呪王は激昂する。手を抜くなんて事はしていない。リュウデリアを、目前の敵を殺すつもりでやっていた。しかし実態は彼の準備運動のようなものだった。その程度の認識だった。その程度の認識を持たれていた。呪怨の塊として、王としての矜恃がそれを赦さない。


 何でもないように言い放つリュウデリアに顔を歪める。激昂する呪王を見て、リュウデリアが首を傾げたが、聡明な頭脳で力の差によるものであると見抜くと目を細めた。静かな怒りを表すように、尻尾を地面に叩きつける。触れた部分から純黒に浸蝕されて黒いフィールドが出来上がっていく。


 触れれば何人たりとも生存を赦されない特異領域。その中心で、リュウデリアは苛立たしげに溜め息を吐いた。戦いは楽しい。命の奪い合いは良いものだ。相手が強ければ尚のこといい。ギリギリの戦いは心躍るものだ。そして未知の力を使われると、どうしても興味を持ってしまう。解明してしまいたくなる。


 だからこそ……という訳でもないが、リュウデリアは呪王との戦いを楽しんでいた。魔法とは違う、呪法とも違う、違う世界の人間が使っていたと思われる力が気になったから。呪王も強者であったから嗤っていた。しかし、気分を下げる言葉を肝心の呪王が吐き捨てた。


 戦いはこれからだった。これからもっと熾烈を極めるのだ。少しのミスが死に直結するような、極めて高度で複雑な殺し合いをするつもりだった。なのに、まるで見せた力が殆ど全力だったと言わんばかりの言葉に、戦闘意欲が下がろうとしている。苛立たしげに尻尾を何度も打ち下ろす姿に、遠く離れた場所から観戦するヤルダがオリヴィアに問い掛けた。




「リュウデリア様はどうしてしまったのでしょうか?」


「想定していたよりも呪王が弱かったんじゃないか?」


「は?」


「リュウデリアは相手が強ければ強い程、気持ちが昂ぶるんだ。だが一方で良い気分で戦っていても、相手が逃げ腰になったり程度が知れてしまうと怒る。求めていたものと違うからな」


「程度が知れる……相手は呪王ですよ?この呪界を統べる呪怨の王であり──────」


「──────?」


「……っ!!」


「お前……まだリュウデリアの強さを解っていないな?」




 はーあ……と、聞こえるように、呆れたと言わんばかりの長い溜め息を吐いたオリヴィア。復讐するためにリュウデリアの力に目をつけたのは良いだろう。良い目をしていると言ってもいい。だが肝心の強さを見極められていない。呪怨の王であり、呪界を統べる存在でもリュウデリアにとっては強敵には成り得ないのだ。


 強くなりすぎてしまったことにリュウデリアが苦悩しているのを、オリヴィアは知っている。時々ぼやいていたりするからだ。強すぎると、敵が居なくなって戦いを純粋に楽しめない。それが悩ましい。本当なら、毎回命を賭けたギリギリの戦いをしたいものだ。強い彼からすると、そんなことも容易にはできない。


 それなりに強い奴ならばまあいい。見たことの無い力を使うならば興味が湧く。しかしそれだけではリュウデリアを追い詰められない。圧倒的力。純粋な、破滅的力が必要なのだ。その力を、呪王は持っていない。肉体を乗り移り、力を貯める。それはつまり、他者という乗り移れる存在が居てこそのもの。他者の力では、彼を超えられない。




「率直に言えば、呪王では役不足だ。見ろ。リュウデリアの目を。いつもの全てを見透かすような美しい黄金の瞳が曇った」


「……申し訳ありません。私には分かりません……」


「当然だ。私だから分かるんだ」


「では何故見ろと??」




 フフン……と、ドヤ顔で言ってのけるオリヴィアに困惑する。視界に映るリュウデリアの目を見ても何が違うのか分からない。実力を計るために観察はしていたが、接してきた訳でもないため彼の多くは知らない。強いかどうかばかりを重視してきたためだ。その一方でオリヴィアは彼の多くを知っている。


 何でもないフリをして、その実戦いを求めているリュウデリアが強者との殺し合いを心底楽しむ質であることを。そして今、強いと思っていた者がそれ程でもなく、失望の念を抱いてしまっていることに。彼女には、彼の目から輝きが消えたように見えている。先まで楽しそうにしていたのに、この落差ということは呪王の実力がお気に召さなかったのだろう。そう考える。


 実際にそれは当たり、リュウデリアの中での戦闘意欲が下がっている。思っていることが正しいことを確信しているオリヴィアは得意気だ。その頃、彼と呪王の方でも動きがあった。詠唱文を唱え始めている呪王を前に、彼はその場から動く様子を見せなかった。




「イグス・エス・トゥラク・ラク・ルーラクス。眠りの堅牢。妄想の檻。夢の彼方。命有る者に長き夢幻へ誘う。命を捨て眠るがいい──────」


「呪王。何故俺との力の差がこれ程あるか、教えてやろうか」


「──────『彷徨える生命に眠りの救済をヴエルテー・ネッカー・ヘイレズ』」




 詠唱文を唱え終えると厳選化が完了し、リュウデリアの足元から桃色の煙が発生した。何も無いところから発生したこの桃色の煙は範囲を拡大していき、彼の姿を完全に覆い隠した。毒であることは確信して言え、その中に入って閉じ込められた彼の安否は見えず分からない。


 呪王が発生させたリュウデリアを包み込む桃色の煙は、一呼吸で大型の魔物が1ヶ月は何をされても起きなくなるような、強力な睡眠ガスである。一度でも吸ってしまえばその場で眠ってしまい、眠っている間にもガスを吸ってしまえば最早自力で起きてくることは不可能となる。


 閉じ込められたリュウデリアは出て来なかった。仕留めたと思えてもいい場面でも、呪王は煙の中を警戒している。この程度ではまず止められない相手のことは分かりきっているからだ。さて、どう出る?と思っていれば、強風に煽られたように桃色の煙が激しく動き出した。どこかへ向かっている動きかと思えば、桃色の煙はあるところに吸い込まれていった。


 中に居たリュウデリアが、胸の前で腕を組んだ格好は変わらず、口を大きく開けていた。煙は彼の口の中へ勢い良く吸い込まれていく。一呼吸という話ではない。発生した広範囲の煙を1匹で全部吸い込んでいた。やがて煙は全部彼の肺の中に入れられ、息を吐くと純黒の煙が口から吐き出され、虚空へと消えていった。




「はぁ……。話の続きだが、俺とお前とで実力がここまで違う理由は色々とあるが、最もたるものは──────」


「イグス・エス・トゥラ──────ッ!?」


「──────塵芥の力を我が物顔で使い、俺と戦っているからだ」


「がッ……ッ!?」




 詠唱文を唱える前に、リュウデリアがその場から消えた。遅れて彼が立っていた場所が陥没しながら砕け、呪王は姿を捉える事もできずに腹部へ思い拳を受けていた。体がくの字に曲がり、拳に乗せられた重さが衝撃となって背中から突き抜けて行った。口からごぼりと溢れる血に、内臓がやられたことは間違いない。


 途中で破棄させられてしまった詠唱文を唱えることは諦め、彼の腕を掴んで身動きを制限して近接を仕掛けようとする前に、彼の背後から伸ばされた尻尾に首を掴まれた。足が浮き、首が絞まって気管を圧迫される。吐き気がやって来るので外そうとする直前、リュウデリアが拳を呪王の腹部に4度打ち込んだ。


 太い木の枝が折れた時に似た音が何度も鳴り、その数だけ肋が折られた。内臓も深刻なレベルで傷つけられ、肺が片方破裂した。口や鼻から大量の血を吐き出す呪王の頭を右手で鷲掴み、腕力で締めに叩きつけた。地面が砕けて陥没すらした。力を込めて叩きつけたので、元の体の大きさを考えると、呪王はすぐさま起き上がるのは不可能に近かった。


 後頭部が地面に打ちつけられ、顔は大きな純黒の手が鷲掴んでいる。ダメージが大きく、思うように肉体を操れない。そこへ更に力が加わった。リュウデリアが腕を押し込んだ。地面は周囲数百メートルに及んで大きく砕けてクレーターが生まれ、呪王の乗っ取った肉体は痙攣を起こして動かなくなった。




「俺は確かにこの呪界の力に興味が湧いた。しかし、だからと言って戦いに満足などしていない。呪王よ、お前は他者の力を貯め込み使うだけで、オリジナル性が無い。それではつまらんのだ。結局何者かの……塵芥の力だと思ってしまえば途端にやる気が起きなくなる。純粋なお前の力ではないからだ」


『……だが、それが私の呪法であり……』


「言い訳を吐くな、みっともない。要は塵芥の寄せ集めでつまらんと言っている。肉体とてそうだ。人間ではないか。人間の肉体だと人間の域を超えられん。龍には到底届かんのだ。その結果がこれだ。決着が一瞬すぎた。地面に叩きつけただけで肉体が死んだ。本体のみとなったお前には、最早何の価値すらも無い」


『……………………。』


「まあ、お前と長々とやっていても、つまらんものを延長しているだけで尚更つまらんがな」


『……気づいていたのか』


「俺を甘く見るな塵芥が」




 負のエネルギー生命体でありながら、アンノウンの襲撃で最も信頼する部下を一瞬で殺され、配下の大半も殺されてしまい、自身は別の場所に居たという事実から負の感情に苛まれていた。ミイラ取りがミイラになった気分だろう。呪王はキオウを失ってから、抜け殻のようになってしまっていた。だから、アンノウンに対して復讐をしようと思わなかった。


 無様に生き残ってしまった。そんな思いに付随するように、生き残れて良かったと、少しでも考えてしまった。大切な、それこそ自身が呪王となるためならば何でも行ってくれたキオウを裏切るような考えを抱いてしまったことに、呪王が自分自身に失望したのだ。


 冷酷。冷徹。徹頭徹尾邪悪。それが呪怨の塊であり、負のエネルギー生命体の真理。しかしそれ故に、持ちうる呪法は与えようとする負の感情によって効力が左右される。自身が負の感情を抱かせれば、呪法はより強力になり、自身が負の感情を抱き支配されると、呪法は弱くなる。それが、呪王を人知れず弱体化させていた。呪法も精神もエネルギー生命体としての肉体も。


 それを戦闘中に見抜いたリュウデリア。殺気はあれど、刺し違えてでも殺す……となるくらいの強い殺意が無く、殺せるならば殺そうというあやふやなものであった。弱体化しているだろうことも見抜き、それと合わせてやる気が無いこと、殺気が弱いこと。それらを加味して、リュウデリアはやる気を失い失望した。


 ヤルダと同じく、半透明の人型に炎を象った瘴気の紋様を刻んだ、負のエネルギー生命体としての呪王本体に、リュウデリアは問い掛ける。ヤルダが知る、彼の右腕だったキオウについての事を。全て話せと言う彼に、呪王は諦めた様子で話した。余すことなく、全ての事実を。



























「──────それで、何か言い残すことはあるか。聞くだけ聞いてやるが?」


「……とんでもないございません。私からはお礼申し上げることしか……」


「お前からの謝礼なんぞ誰が要るか」




 呪王との戦いが終わり、全てを聞いたリュウデリアとオリヴィアは、ヤルダが開いた別次元への扉の前に居た。見送るのはヤルダのみ。呪王はアンノウンに消された呪怨の国があった場所へ戻っていった。たった1体の呪怨が見送るだけというのは寂しいものに思えて、彼等はそもそも見送りなど必要なかった。断ったが、是非にとしつこいので許可したのだ。


 まさしく殺風景である呪界を発つ。いつまでもこんなところに居たいとは思わないので、呪界の探検などはせず、用がなくなり次第元の世界の地球に帰る。これでやっと度々盗み見られていた視線からおさらばだと考えると清々するものだった。




「オリヴィアは先に戻ってくれ。俺は最後にやることがある。まだ跳ぶことに嫌なものを感じるならば一緒でも構わんが」


「……いや、頼りきるのもな。先に戻って待っているぞ」


「あぁ、すまんな」


「いいとも」




 やることに何となく察したオリヴィアが、ヤルダの開いた別次元への扉に入っていった。地球に戻るまでは一瞬とは言え、扉の中は気色悪い粘度の高い液体のようなものだ。嬉々として触りたいとは思えないが、行きの時はリュウデリアを頼ったので、今度は自分から行くことにしたのだった。


 扉の中に入って消えたオリヴィアを見送り、リュウデリアはヤルダと対面する。最後にやること。それは呪怨達の殲滅という復讐の手伝いを頼み込んできたヤルダの抹殺だった。全ての呪怨の中に自身を含めるという、ある意味での自殺願望。愛する者を殺されて生きることに疲れたヤルダだからこその願い。


 それを叶えるべく莫大な魔力を練り込み始めながら、リュウデリアは口を開いた。オリヴィアは気づかず、他の呪怨達も一切口にしなかったがために、彼でも知らないだろうと思われたヤルダの真実を。




呪王が種族ごとの殲滅を求めるとは、阿呆なことも考えるものだなァ?」


「──────ッ!!何故それを……」


「呪王にもできん別次元への転移。その扉の強制閉門。隠しているようだが俺の眼は誤魔化せん。あの呪王に近い力を持っているだろう」


「……所詮は元です。現呪王とキオウの在り方に呪怨達は賛同し、普通の呪怨とはかけ離れた存在である私には誰もついてこなかった。彼女を除いて……」


「どの世界でも突然変異は嫌われ者だな。そこだけは俺とお前は同じだ」


「ふふ……光栄ですね」


「ふん。……さて──────総て諸共死ぬといい」




 ヤルダは今の呪王が『呪王』として君臨する前の呪王であった。つまりは元呪王。他の呪怨達よりも圧倒的力を内包する最強の存在だった。最も強いというだけで呪王となったものの、他とは違うことに一部からは不満を持たれていた。そこに付け加えるように人間を愛した。


 手を取り合い力をつけた呪王とキオウに実力的にも追い抜かれ、呪怨という在り方でも敗北し、呪王の座を引きずり落とされた。それからは愛した女性と共に居たのだが、呪怨だというのに玩具でしかない人間と共に在るのは何事かと、呪王を先頭に糾弾されて彼女を殺された。


 復讐を考えたヤルダは、自身とキオウだけが制限も無く自由にできる別次元への転移能力を使い、地球に降り立ち、呪王やキオウを殺せる存在の探索を始めた。それがヤルダの真実である。


 ヤルダが強いことは気配から知っていた。そして別次元への移動方法の所持。呪王と戦ってみてからのヤルダの隠蔽されている力を鑑みるに、元呪王であることが予想された。まあだからと言ってもう戦おうとは考えない。残るやることは1つ。ヤルダや呪王、生き残った呪怨達を消すことだ。






「──────『███████████████████████████████████』」






「あぁ……──────なんと美しいのでしょう」




 リュウデリアは扉へ入り、元の次元へと戻っていった。その寸前、練り上げられた魔力で造られた、小さな小さな純黒の光が呪界の空へと打ち上げられ、解放された。


 空を眺めてその光を眺めていたヤルダは、その美しさに心を奪われた。総てを呑み込む破壊の光なのに、何故これ程美しいのかと思うほどの、心底心酔する美しいものだった。そしてその光景を最期に、ヤルダの意識もまた、純黒に呑み込まれていった。





 ──────……私も今、そちらへ逝きます。





 その日──────純黒の光に呑み込まれ、消滅した。








 ──────────────────



 呪怨の塊


 負のエネルギーが主体の生命体なので、自身が負の感情……つまり恐怖したり限界を超えて憤慨したり、諦めたりすると呪法が弱くなる。代わりに、負の感情を抱かれると……要するに殺意を向けられたり憤慨されたりすると呪法が強くなる。





 呪王


 リュウデリアの手により乗っ取った肉体を破壊され、戦闘不能となった。キオウが殺され、大半の配下が殺されたことにより諦めの意識がついてしまった。そのため弱体化。リュウデリアを本気で殺そうという思いは無かった。抵抗……という言葉が合う程度の認識。


 最期は自分達呪怨にとっての楽園であった、呪怨の国があった場所にて純黒の光に呑み込まれて死亡。





 ヤルダ


 現呪王の前に呪王だった、元呪王。呪王とキオウが現れる前までは最強の呪怨だった。キオウも別次元への扉を開けるが、ヤルダが邪魔をしていた。扉の作成の練度だけはヤルダが上回っていた。そのため、地球に来れていたのはヤルダのみ。


 強いというだけで呪王をやっていたため、更に強い呪怨が出たらお払い箱された。元々気乗りせず、周りと考え方も違ったため馴染めなかった。呪王を降りてからは、交際していた人間の一般人女性アリシアと暮らしていたが、それがバレてアリシアを殺された。そこからは復讐に生きる諦観の呪怨と化した。


 リュウデリアの純黒の光に呑み込まれて死亡。





 リュウデリア


 呪王が弱体化していることも、諦めていることも、呪法が弱っていることも全て最後は看破した。それ故につまらないと判断してやる気が無くなり、結果決着が早くなった。更に強く、殺意が凄まじいならば興が乗って戦いを楽しんでいた。





 オリヴィア


 行きの時にリュウデリアと一緒に扉を潜ったので、帰りは彼の手を借りずに自分だけで行こうと決めていた。気持ち悪いので少し躊躇ったが、無事地球に帰還する。


 リュウデリアのやり残したことは、ヤルダの抹殺だと思っていたので、呪界を消滅させたことを知らない。



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