第220話  呪王の右腕




 何も言わなくなり純黒へ染まった肉体。首が逆に曲がっただけの元、人のそれ。肉体は完全に生命活動を停止し、肉体を乗っ取っていた呪怨は純黒に呑み込まれ、この世から完全に消失する。


 総ては純黒によって呑み込まれる。概念のような、実体を持たない存在も例外ではなかった。彼の前には同じものでしかない。断末魔の如く叫び声が上がり、リュウデリアはそれを聞いて嗤う。


 勝てるとは思っていた。彼ならばきっと呪怨を滅ぼせるだろうと。しかし、こうも呆気なく、圧倒的だとは思いもしなかった。まるで歯が立った様子も無く、これ程簡単に同族が殺されるとは思っていなかったヤルダ。彼の心の中で咲いたのは、期待と喜びという名の花だった。




「……お見事です、リュウデリア様。あなたならきっと私の復讐をやり遂げていただける」


「最後はお前だがな」


「もちろんです。是非ともよろしくお願いいたします」


「リュウデリアが強いのは当たり前だが、同族諸共殺してくれと言ってくる者などそう居ないな」




 お試しという名のデモンストレーションが終わった。リュウデリアの力が確かに通用することが証明されたので、呪怨達と戦っても問題は無いだろう。いや、あるとすれば予想以上に彼の相手にならず、その事で彼が不機嫌にならないかどうかという話だろうか。


 先程消滅させた呪怨がどれ程の強さを持つ存在だったのかまでは知らないリュウデリア。下っ端も下っ端ならば、もしかしたら相当に強い呪怨も居るという可能性が出てくるので多少の期待もできようが、あれで上の方の力を持つ呪怨だと言われてしまえば失望の念を隠せない。


 彼としては、相手が強ければ強いほど良い。戦闘意欲というのが湧いてくる。さて、ではそろそろ本格的に動こうかという話になった。別の次元である呪界に渡る方法をリュウデリアは持っていないため、必然的にヤルダが開く別次元へ渡る為の扉を介して移動することになる。


 大気に罅が入り砕ける。粘度の高い液体が渦を巻いているような光景があり、ヤルダは先に行っていますと口にしてから中へ入っていった。扉はまだ閉まらない。罠である可能性も無きにしも非ずと言える中、リュウデリアは躊躇いなく歩み出した。しかしオリヴィアは異質なその扉に近づくのを躊躇った。


 怖い訳ではないが、よく知りもしない存在の力に触れるのが嫌なのだ。足音がしないので付いて来ていないオリヴィアに気がついたリュウデリアが振り返った。首を傾げて名を呼ぶ。今行くと返すが、何となく行きづらそうにしている様子を見せる彼女に手を差し出した。




「俺が居る。それでも嫌か?俺は、オリヴィアが来てくれねば嫌だ」


「……っ!ふふ。そうまで言われてしまうと、行くしかないだろう?」


「今度は途中ではぐれたりしないよう、手を繋いでいこう」


「そうだな。それがいい。一緒に行こうな」


「うむ」




 彼の純黒の手を取る。実際何処に繋がっているかも判らない扉に触れるのが嫌だったオリヴィアだが、リュウデリアと共に手を繋ぎながら行くと思うと足が軽くなる。踏み出せなかった1歩を易々と踏み出して、手を繋ぎながら扉の中へ入っていった。中は黒紫のような色で、歪んで見える。


 恨み辛みを垂れ流しているような、呪詛の塊が如くへばりつく気持ち悪さがあった。上か下かも判らない空間で、常人ならば精神に異常を来してしまいそうな感覚を味わう。攻撃ではないからか、ローブの防御を貫通してくる。嫌な感覚だ。耳元で恨み言を吐かれ続けているようだ。


 心底気持ち悪いと感じたオリヴィアは、彼と繋いだ手から力強い力の波動を受け取った。黒い波動が彼女の全身を薄く包み込む。今先程まで感じていた気持ち悪さが完全に消える。魔力によるバリアが張られているのだろう。俯き気味であった顔を上げて彼の顔を見れば、黄金の瞳が自身のことを見下ろしていた。




「大丈夫か?」


「……ふーっ。大丈夫だ、ありがとう。助かった」


「気にするな。こんな空間だった事を言わなかった奴の責任だ」


「リュウデリアは平気なのか?」


「まあな」




 何ともないと、あっけらかんと言うリュウデリアに流石だなと思う。気持ち悪さを感じていただけに、これに耐えられるとは余程強靱な精神力をしているのだろうと感じた。実際、彼が精神的にやられそうになっているところなど見たことがないので、精神力の強さは天然物だろう。


 オリヴィアが不快に思うならば、こんな空間に長居する理由などないなと言い、リュウデリアが翼を広げて羽ばたき、異質な空間を進む速度を上げた。繋いでいる手を引かれてオリヴィアも速く移動し、入ってきた時に見た扉と同じものを目にした。出口だと直感して目を瞑る。


 感じていなかった重力を体に感じ、足に踏み締めている大地の感触を感じた。目を開けると、それは酷い光景だった。地球の澄み渡るような青空はなく、空は黒く分厚い雲に全面が覆われて陽の光すら入らない。大地は裂け、触れてはならなそうな液体を溢れ出している。


 木々は腐り異臭を放ち、自然が無い以上動物も居ない。人の姿は見えず、動物も見えず、誰かが住めるような環境ですらない。水は濁り、自然のしの字も無い。空気すらも淀んでいて、吸ってしまうと胃が爛れてしまいそうだ。咄嗟にローブに顔を埋めて鼻や口を覆うオリヴィアに、リュウデリアは手を翳した。


 純黒の魔法陣が展開され、オリヴィアの周囲にだけ新鮮な空気が送られる。今ある淀んだ空気を極限まで濾過し、それでも残る異物を純黒が塗り潰して消滅させるのだ。普通に息をして大丈夫だと言われてからゆっくりと呼吸をし、問題が無いことにホッとした。




「最悪の世界だな」


「この世界の呪怨とやらは、他を排斥し続けていたらしい。生物らしい生物も見当たらん。つまらん世界だな」


「──────私もそう思います。実に酷い世界になってしまいました。彼女が居た当時は、ここまで酷くはなかったのです」


「この世界が地球とどう違うかは知らんが、これでは元も判らん」




 荒れに荒れ果てた、荒廃とはまた違う穢れて汚れた世界。自然の美しさの中で生きる龍なだけあって、呪界の光景はあまりに酷すぎる光景だった。呪いに満ち溢れた世界である呪界には濃い瘴気が漂う。吸う者を犯す毒性の強い物質だ。今でこそオリヴィアはリュウデリアの魔法によって吸うことはないが、人が吸えば人体をおかしくすることだろう。


 別次元へ渡る為の空間でも長居はしない方が良いなと思ったが、この世界に居た方が害がありそうなので早く元の地球へ帰りたいと思ったリュウデリア。自身は大丈夫だが、オリヴィアに万が一の影響が起きた場合を考えているのだ。


 着いたリュウデリアとオリヴィアを、先に行って待っていたヤルダが頭らしき場所を下げた。彼が愛した人間の女が生きていた頃は、まだ他の生物が住めるような場所だった。呪いに満ち溢れた世界ではなかった。だが、今ではこの有様である。微生物すらも生存できるか怪しいものとなってしまった。




「行きましょう。この先に“呪王じゅおう”が治める呪怨達の国があります。元は人間の作った国を乗っ取り、作り変えただけの代物ですが」


「国……な。どの方角だ?」


「この方角です」




 指らしきものを向けて方角を示すヤルダに、リュウデリアは目を細めた。気配が鋭くなったのを感じたのは一瞬だったが、オリヴィアは彼が何かに気がついたことを直感した。彼は意味のないことを聞かない。聞いて考えれば、それは必ず何かしらに関係があるものになる。つまり、彼にとって方角を知ることがそれだけ重要だったのだろう。


 ヤルダが示した方角の方へ向き直ったリュウデリアは、ほんの数秒動きを止めていたが、はぁ……と息を吐き出した。まるで何かに落胆するかの如く、重くつまらなそうな溜め息だった。ヤルダを見る目も冷たい。少し前の空気との差異に、ヤルダは思わず後退した。


 何をしてしまったのだろうかと悩み、これまでのことを振り返るが、敵を差し向けたりしたこと以外には特に思い至らない。今となってはその話も終わっている。ならば他だ。その他に何かしてしまったかも知れないことを探したが、原因を見つけられなかった。なのでここは無知を承知で聞くことにした。つまらなそうに、尻尾を地面に叩き付けている彼へと。




「何か、不躾な事でもしてしまったでしょうか?」


「それは今に始まった事ではないだろうがアホめ。ただ、お前が示す方角にはだけだ」


「……今、何とおっしゃりました?」


「──────お前が示した方角には何も無い。そう言った」


「リュウデリア。本当に何も無いのか?」


「『繊密な総観輿図ファルタラヴィア』で視たから間違いない。大地が広がっているだけだ」


「……そんな……バカな……ッ!?」




繊密な総観輿図ファルタラヴィア』で視た彼の頭の中の地図では、何も存在していなかった。本当に何も無いのだ。亀裂も奇妙な液体も澱んだ水も腐り果てた木々も何も、存在していなかったのだ。それを聞いたオリヴィアは首を捻って不可解そうにし、ヤルダは驚きの声を上げた。


 まだ1体しか呪怨を殺していないリュウデリアではまだ解らないが、ヤルダには解っているのだ。裏切ったとはいえ同族のことだ。ましてや呪怨の国には呪王が居る。総ての呪怨達を束ねる、最強の存在である。その他にも呪王の側近である幹部も控える。そんな存在達が集まる国が1つ、跡形も無く消えているというのだ。到底信じられるものではなかった。


 ハッとした様子を見せ、その場から高速で移動を開始したヤルダ。何となく状況を察したオリヴィアは、リュウデリアに抱えられて空を飛んで移動した。翼をはためかせ、上空から地上を見下ろす。上から見ても凄惨な光景だが、確かに遙か彼方まで見通しても、国らしきものは見当たらなかった。


 しかし、確かにリュウデリアの言うような、まるで最初から何も無かったかのように不自然な程何も無い場所が広範囲に渡って存在していた。国があっただろう場所に辿り着いたヤルダの近くに降りていく。足が付く高さで降ろしてもらったオリヴィアは目の前の光景を見る。上と変わらず、何も無い光景を。




「本当にここに在ったのか?お前達呪怨が乗っ取ったという国は」


「……はい。確かに、ここに存在していました。私が今更間違える筈もありません」


「何も無いが?」


「……本当に、何もありませんね」


「ふーむ。リュウデリア、何らかの攻撃の痕跡とかは無いのか?」


「……解らん。魔力の痕跡も無ければ、呪いやら怨念やらといった力も感じられん。何もな」


「珍しいな……リュウデリアが解らないというのは」




 見渡す限りの無。草1つすら生えていない場所を見て呆然とするヤルダに問いを投げるオリヴィア。リュウデリアにも、何か解らないか聞いてみるが、これまた珍しく彼にも解らないという。一体何があったというのか。誰の仕業なのかも突き止められない。


 ヤルダの反応からして、呪王とやらが他の何者かにやられたかも知れないという状況が余程信じられないように見える。そうでなければここまで固まるのもおかしな話だろう。リュウデリアからしてみれば、強いかも知れない存在と邂逅すると思い来てみれば、実は別の存在に先を越されていたという話なので大変つまらない。




「国があったのかすら怪しい光景だな」


「一体何があったというのですか……」


「知りたいならば、知っている奴に聞けばいい。姿を消して気づかれていないと思い込んでいる塵芥にな」


「──────ごぇ゙ッ!?」




 突然何も無いところに手を向けると何かを掴んだ。苦しげな声が聞こえて、オリヴィアが振り返る。ヤルダも呆然としていた状態から我に返り同じく振り返った。リュウデリアが掴んだのは、呪法で姿を消していた呪怨だった。


 40代程の人間の男の体を乗っ取っている呪怨は、首を鷲摑みにされて苦しそうにしている。藻掻いて苦しみ、手を外そうとするがビクともしない。抵抗すればするほど手の力が強まって首が千切れそうになる。足が付かない程持ち上げられた状態ではどうしようも無く、動かなくなるまで吊されていた。


 白目を剥いてしまった呪怨に、リュウデリアは尻尾で何度も往復ビンタを食らわせた。首の骨が折れるのではと思えるくらいの力で何度も叩き、強制的に目を覚まさせた。頬をぼっこりと腫らせながら目を覚ました呪怨は、また藻掻こうとした。




「芋虫のように動くな煩わしい。それ以上動くと手脚を千切るぞ。お前は大人しく、俺に聞かれたことを答えればいい」


「な、何なんだよお前……ッ!?」


「無駄なことは一切喋るな。此処にお前達の国があったそうだな。今は更地だ。何があった?」


「ぐぉ゙ぇ゙ッ……し、知らねぇッ!訳も解らねぇ奴がいきなり現れて、向かってった仲間達を次々消していきやがったッ!俺は弱くて奴の目に留まらなかったから生き残れたが、すらも奴の前には歯が立たなかったッ!」


「それはどれ程前の話ですか」


「ンなもん聞いたところで意味ね……あ゙?ヤルダ……お前ヤルダかッ!?裏切り者のヤルダァッ!!お前がアイツを呪界に連れて来やがったんだろッ!ふざけんなッ!ふざけんなよお前ェッ!!お前の所為でキオウ様が──────」


「もういい。死ね」




 これ以上は無駄なことを話して終わりそうだったので、リュウデリアは純黒の炎を灯した。首を掴まれていた呪怨は肉体を燃やされた。手の中で暴れていたが、やがて動かなくなって死んだ。肉体だけでなく、エネルギーの塊である呪怨も同じく消滅させられた。やはり彼の力はエネルギー生命体にも有効のようだ。


 話を聞き終える前に殺してしまったが、リュウデリアは今まで聞かなかった単語を耳にした。それはオリヴィアも同じで彼同様少し気になった。数度だけ名前が出てきたキオウという名だ。呪怨の国が滅びているのはもういいとして、呪怨の中でも強さに信頼がありそうな者が謎の存在にやられたらしい。その事についてリュウデリアはヤルダに問い掛けた。




「キオウ……呪怨の王である呪王の右腕です。呪王が王となるために手を尽くし、あっという間に王にした呪怨。噂では、呪王と同等かそれ以上の力を隠し持っているとされていました」


「呪王が呪怨の中で最強の存在ではないのか?」


「えぇ。しかし、我々はキオウの本気を見たことが無いのです。どんな敵も必ず余裕綽々と殺してしまう。呪王が全幅の信頼を寄せる唯一の呪怨でした」


「聞く限りだと、そのキオウとやらの方が呪王に相応しいように思えるがな。強さ的な意味で」




 呪怨の最強の存在であるという呪王を、裏では凌駕しているのではと噂されていたキオウと呼ばれる呪怨は、呪界に現れた謎の存在に葬られたと言う。ヤルダが居ない間に、一体何が起きていたというのだろうか。







 キオウという呪怨が殺されてしまったことは理解したが、その他の幹部は?肝心の呪王は?まだ解らないことがある。だが、解らないならば解明してしまえばいい。リュウデリア達は少しずつ、謎の存在に近づいていくのだ。







 ──────────────────



 キオウ


 呪怨の存在の頂点であり、呪怨によって死に絶えた呪界を統べる存在である呪王。キオウはその呪王に仕える呪怨で右腕。全幅の信頼を置かれている。呪王を王にするために力の限りを尽くし、噂では呪王の力を上回っているとされていた。現在、謎の存在の手により死亡している。





 ヤルダ


 呪王がどうなっているか解らない。ただ、その右腕であるキオウが敗北して殺されたという情報に驚きを示した。噂でしかないのだが、呪王を凌ぐとされる彼を斃すとなると、謎の存在とはどれ程の力を持つのかと想像ができない。





 リュウデリア


 呪王が生きているならば、自身の手で殺すので別にいいが、右腕でありながら相当な強さを持っていたと思われるキオウが死んでいることに、少なからずガッカリしている。


 そもそも呪怨であるキオウを殺した……ということは、実体を持たない負のエネルギーの塊である存在を根底から殺したことになる。自身の同じような力があるのか、エネルギー生命体でも関係なく殺せる力を持っているのかは知らないが、興味が湧いている。





 オリヴィア


 次元を移動する扉の中がどうなっているのか解らなくて1歩が踏み出せなかった。が、リュウデリアが一緒に行ってくれたので余裕で行けた。


 リュウデリアも解らないことがあるんだな……と少し驚いている。今まで敵のことで解らないことはなく、すぐさま能力を解き明かしていたので何となく新鮮。





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