第219話  呪法






「ふむ……──────お前達の使う力には興味がある。相手をしてやろうではないか」




 怨界に居るヤルダの仲間、呪怨の塊を殺すと明言したリュウデリア。それを聞いたヤルダは、安心したように息を吐いた。仲間を売り、ましてや滅ぼすように頼む行為は裏切りに等しいのだが、彼からすれば復讐のため、愛した人間の女性を思っての行動だ。


 自身を含めた呪怨の塊を皆殺しにしてもらう相手は、候補が居た。その者達全員にリュウデリアと同じく豹変させた魔物や人間、動物を嗾けた。相手に討ち破り、尚且つ躊躇いなく殺すような冷淡な心を持った、良い相手と思ったのはリュウデリアを含めて数人だった。元『英雄』ソフィーもその内の1人だった。まあ、もう少し強かったら……と思うところもあったが。


 他にもクレアとバルガスも候補に入っているが、1番自分達を殺す相手として相応しいと思ったのはリュウデリアだ。彼の持つ純黒は総てを呑み込み塗り潰す。概念的存在である呪怨の塊を、何の小細工も無しに無き者と出来るわけだ。もちろん、クレアとバルガスが弱いくて呪怨の塊を斃せないかも知れない……と言っている訳じゃない。


 同じく概念のようなものでもある神を殺すため、神殺しの魔法陣をその場で構築するような天才的な頭脳を持つ彼等だ。普通のやり方じゃ斃せないと解れば殺すための魔法陣をまた構築することだろう。単純に、ヤルダが仲間達を殺してもらうならばリュウデリアが良いと考えて接触しただけの話だ。


 本当は3匹揃って殺し回ってくれた方が嬉しいのだが、この場には生憎リュウデリアしか居らず、クレアとバルガスが今何処に居るのかヤルダは流石に知らない。距離が離れすぎているからだろう。しかしリュウデリアが居れば殲滅は可能の筈。なのでこうして懇願した。




「それで、お前の仲間はどうやって殺せばいい。俺が呪界とやらに行けばいいのか?」


「そうしていただけるならばそれに越した事はありませんが、それより練習として1人とまず戦ってみますか?」


「お前以外の奴は見たこと無いが、何処に居る」


「私達の世界である呪界に。私がこの次元に来られないように扉を閉じています。そこを部分的に開け、適当な者を此方の世界へ引っ張ります」


「ふーん。本当に殺せるか練習させると。要らん気遣いだがな」


「リュウデリア様の力を疑うような真似、誠に申し訳ありません」




 深々と頭を下げる半透明で炎のような紋様が入ったシルエット。ヤルダがリュウデリアに練習をさせたいのは分かる。何せ殺せるだろう純黒が実際に呪怨の塊に作用するのか解らないからだ。一応、ヤルダの力を与えた人間を殺しているが、所詮は借り物の力で調子に乗っていた人間だ。呪怨の塊本体ではない。


 リュウデリアとしては早々に本番に入って殺戮を初めても一向に構わないのだが、ヤルダは自分のことなだけに試してもらいたいらしい。深々と頭を下げて申し訳なさそうな声色をしながら、どうかと頼み込んでくる。


 むしろ普通の方々で殺せないなら、それならそれで楽しめるのだが、次元を渡らせる術を持つのはヤルダなのでどうしようも無いだろう。なので練習に付き合ってやると言うと、また頭を下げてお礼を言ってきた。


 押さえ付けていた開こうとする次元を、少しだけ開ける。奥の光景は黒い粘度の高い液体が渦を巻いているようで、入口はガラスが砕けたような状態だ。大気がガラス製で砕けて穴が開いたように見える。そこから黒い影が飛び出してきた。人影だった。何かから逃げるように出てきた影をリュウデリアとオリヴィアは目で追いかける。


 地面に転がりながら出てきた人影は、まさしく人間だった。30代の男性で如何にも一般人と言った顔つき。しかしその顔や服の下には瘴気による炎を象った紋様が入っている。呪怨の塊に乗っ取られている証みたいなものだろう。人間を乗っ取っている呪怨は、顔中に大粒の汗を掻きながら、息を乱していた。




「い、移動できたッ!?此処は……いや、それよりも……お前はッ!!」


「まずはこの者からです。リュウデリア様、よろしくお願いします」


「お前が……お前が“奴”を送り込んできやがったんだろッ!!ふざけんじゃ──────」




 呪怨は横からの打撃を横面に受けて弾かれた。何かをヤルダに向けて言おうとしていた手前、隙だらけだったのでリュウデリアが尻尾を使って横面を打ったのだ。ばきりと重い音を立てながら真面に受けた呪怨は、背中から地面に着地して少し転がり、ゆらりと立ち上がった。


 尻尾の打撃を受けた際、とてもではないが無事に済んだとは思えない生々しい音が響いていた。さしものリュウデリアも、これで終わったのか?と思ってしまう程の、あまりの手応えの無さ。まるで生身の人間をそのまま殴ったような感覚。言ってしまえば、弱すぎた。


 二もなく弱いと断じたリュウデリアに向かい、立ち上がって顔を見せる呪怨は異質だった。首の骨が折れている。罅や脱臼等という次元の話ではなく、完璧に、完全に折れていた。というのも、顔が上下逆の状態になっていたのだ。立ち上がり、フラつく度にみちり……と砕けた骨と肉が重なり合う音が鳴る。


 目を細めるのはリュウデリア。突然の攻撃に怒り心頭となり、上下逆の頭で怒りの表情を露わにするのは呪怨。普通ならばとっくに死んでいる状態で相対しているのは、恐らく肉体そのものが本体ではなく、あくまで乗っ取り操っているからなのだろう。




「“裏切り者”のヤルダが扉を開いたかと思えば、何だお前……ッざけんなよ……嬲るぞゴミがァッ!!」


「小突いただけで首の骨がへし折れる脆弱体に何ができると?所詮は他者の肉体が無ければ満足に生きることも叶わん概念的生命体の分際で、何を偉そうに……」


「ぁ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙……ムカつくムカつくムカつくムカつくッ!!ヤルダ、お前もッ!殴ってきやがったお前もッ!何もかもがめんどくせェッ!!お前らは俺達の呪怨オモチャで居りゃイイんだよッ!!反抗すんじゃねェッ!!」




 肉と皮で繋がっている状態にしか見えない首をぶら下げながら、呪怨は怒り狂ったように咆哮した。全身から得体の知れない力の波動を発している。怒りを露わにしてからだ。念の為オリヴィアの肩に手をやって自身の背後に隠すと、もう一方の手で顎を擦り何かを考えている。


 呪怨の力の波動は増すばかり。魔力とはまた違った力の前でも、リュウデリアは臆すること無し。それどころか考え込む始末。それを好機と捉えてか、それとも隙有りと考えてか、マリオネット人形のように不自然な動きでしゃがみ込み、猫のようなしなやかさというアンバランスな動きで襲い掛かってきた。


 たった1度の跳躍で開けていたリュウデリアとの距離を詰める。接近して拳を握る。強く固められたその拳には、黒い炎のような波動が灯り、それを彼の腹へと打ちつけた。両者の足元に亀裂が入る。純粋な威力もあるようだ。回避も防御も無く、腹で受けやがったと呪怨は怒りを露わにしながら杜撰な笑みを浮かべた。




「オラオラオラァッ!!死ねッ!死ねッ!死ねッ!お前はこれから苦しみながら死ぬことになるんだよッ!あ゙ぁ゙ッ!?ざまーねーなオイッ!待ってろよヤルダッ!コイツぶち殺したらとっ捕まえてやるッ!!ふざけやがってクソ野郎がッ!“裏切り者”の分際で調子に乗ってんじゃねーぞッ!!」




 一撃目を見舞った呪怨は、立て続けにリュウデリアの腹へ謎の力を纏う拳を叩きつけた。凄まじい速度で叩き込まれていく拳に、どうしようも無いのだと勘違いしているのか、そんなことは最早どうでもいいのか、直立不動で上から眺めるだけのリュウデリアを前に、呪怨はひたすらに拳を入れた。


 万が一に備えて背後に隠されているオリヴィアは、攻撃を総てノーガードで受けている彼に大丈夫なのだろうかと身を案じた。高い防御力を持つ彼の鱗には物理が効きづらく、魔法も同じく効きづらいのは知っているが、相手はこの世界の存在ではなく、また未知の力を扱う。


 そう簡単に正面から受けてしまっても良いものなのかと、ほんの少しの不安が過る。信頼も信用もしている。オリヴィアの中でリュウデリアこそが至高にして最強の存在なのだ。しかしだからと言って何もかもが彼の前には無力とは思わない。彼と戦える者は居る。それを何度も目にしているからこその不安。


 知らず知らず、胸の前で両手を合わせていたオリヴィアの心を読んだのか見透かしていたのか、合わせられた白い手に尻尾が軽く巻きつく。手の甲をくすぐるようにするりと撫でる。鱗から伝わる彼の温度と、優しい触れ方にふんわりと笑みを浮かべると頷いた。


 心配は要らないと言っている。オリヴィアが不安に思っていることは見なくても気配で察知できる。なので戦闘中にも拘わらず、彼は安心させるために優しく触れてくれた。言葉が無くても安心したオリヴィアは尻尾の先を両手で取って軽く頬擦りをした。本当はもっと触れていたいが、彼はまだ戦っている最中。自重して後ろ髪を引かれる思いを携えながら尻尾を離した。


 防御もせず、回避も考えず、直立不動のその場で全攻撃を受けていたリュウデリア。呪怨は拳を叩き込んだ数が3桁になろうとした時、その場から跳び退いて距離を取り、上下逆の頭を気にすることも無く、人差し指を彼に向けてケタケタと嗤った。




「イイ肉体してんじゃねーかッ!俺の攻撃をこれだけ受けてダメージが無ェの褒めてやる。だがなァッ!?お前は苦しむ事が決定してるんだよマヌケッ!!」


「……ほう。どう苦しむんだ?」


「肉体を構成する細胞一つ一つが腐り果てていく感触を味わいながら死ぬんだよッ!俺の“呪法じゅほう”は腐食ッ!触れたものを腐らせる能力だッ!触れれば触れ多分だけ進行速度は増していくッ!俺はお前に97回触れたッ!それだけ触れりゃァ腐り死ぬのは10秒と掛からねェッ!!」


「おぉ……それは怖いな。なんて強力な力なのだ、その“呪法”とやらは。まさか発動条件というのは……?」


「──────俺の意思1つだバーカッ!!呪法発動ッ!!」




 呪怨が扱う力。その名を“呪法じゅほう”。この世界に住む者達が持つ魔力や魔法とは系統が全く違う未知の力である。呪怨は得意気な標準をしながら、自身の力の詳細を明らかにした。知られたところで問題は無いのだろう。それにどうせ、教えたリュウデリアはこの場で殺すつもりだからだ。


 意思1つで発動が叶うという呪法を発動する。触れたものを腐らせる呪いの力。更に、触れれば触れ多分だけ腐食速度を加速させることができるという凶悪な能力だ。これまでに何度も逆らった者達を腐らせて、苦しみのたうち回る姿を見物しては高笑いしていた。


 今回もそうなる。早々にリュウデリアを殺し、ヤルダを捕まえる。“奴”を送り込んだことを仲間達と共に後悔させる。呪怨のやることは決まっていた。後はそれをなぞるだけ。まあ、それがなぞれたらという話になってくるのだが。


 発動した呪法。確実に何度も、それこそ97回も触れた。触れた感触もあった。呪法を施しながら拳を打ちつけた。これまでの経験上、それだけ触れれば呪法の対象となった者は10秒もあれば完全に腐り死ぬ。……のが呪怨の中の筋書きだ。いつになっても腐る様子の無いリュウデリアに、少しずつ瞠目していく。




「なん……で、腐らねェ……?」


「知っているか。龍の鱗は劣化はすれど、腐らない。そんな柔な材質をしていないからな。強力な魔法を受けた場合までは知らんが、基本はそうだ」


「そんなモンが関係あるかァッ!!呪法だぞ!?俺の力が効かないなんて事は有り得ねェッ!!」


有り得なかっただけだろう?居るのだ、お前のような奴が。今まではその程度でどうにかできていたから、あたかも自身の力が全てに通ずると勘違いするアホがな」


「それとこれとは話が別だろーがッ!一体何をしやがったッ!?」


「さてな。そんなことよりもはいいのか?」


「あぁ……?」




 それ……と、言って指を指すリュウデリアにつられて、呪怨は指された場所……自身の手を見た。見てしまった。乗っ取った人間の肉体の両手部分が、純黒に染まっていた。いつの間にこんな事になっていたのか検討もつかない呪怨は、ただ呆然と純黒の手を眺めていた。


 傷ができても痛みを殆ど感じず、目視してから初めて自覚し、痛みを感じ始める時がある。それと同じように呪怨は純黒に染まっていた手を認識してから、恐ろしいナニカを感じ始めた。痛みは無い。無いが動かない。まるでその部分だけ切り放されてしまったかのように何も感じない。なのに、底知れぬ恐怖が湧き上がってくる。


 呑み込まれる。一言で言ってしまえばその感情だろう。ナニカ解らないものに呑み込まれようとしている。純黒は範囲を拡大している。手から手首、前腕を通って上腕まで達した。切り放そうにも切り放す術を持たない。というより、何故本体でもないのに恐怖を感じたのか。


 益々もって意味が解らない呪怨は混乱した。混乱し過ぎて動きが完全に制止した。どうすれば良いのかも解決策も何も浮かばないまま、乗っ取った人間の肉体が純黒色に呑み込まれていくのを呆然とした表情で眺めているしかなかった。




「お前の呪法とやらが腐食だと言ったな。俺の純黒は浸蝕だ。触れたものに移り、蝕む。解除はできん。切り放せばその場凌ぎにはなるが……そこまで浸蝕したらもう無理だろうがな」


「だ、だが俺はこの体が本体じゃねェッ!!俺を殺すことはできねーぞッ!!」


「そう言うと思って手は打ってある。お前が俺に97回触れた事で能力を発動しようとしていたように、俺はお前が97回触れている間に乗っ取った肉体とお前の本体の関係性を曝いている。その純黒は肉体を浸蝕すると同時に、本体であるお前にも作用している。つまり──────さようなら」


「バカな……バカな……ッ……バカなァッ!?ふざけんなッ!!俺は……俺は呪怨で……ッ!死なんてもんは……ッ!」


「無いのか?なら消えるといい。どちらにせよ同じようなものだろう?」


「……──────いやだ……嫌だッ!!ひっ……ひぃいやぁああああああああああああああああッ!!!!」




 体が純黒に呑み込まれて染まり、首に差し掛かっていった。折れた首にまで上っていき、上下逆の頭までもが純黒に呑み込まれていってしまった。悲鳴の叫びが上がる。殺されるなんて考えたことが無い者の声だ。それを聞き、リュウデリアはゲラゲラと嗤う。


 戦っても大した強さは感じられなかった。ならば、死ぬ瞬間で面白さを表現してもらうしかない。死にたくない。こんなところで終わりたくない。そんな思いが詰まった悲鳴、断末魔が心地良い音楽に聞こえる。


 やがて、何も言わなくなり全身が純黒へ染まった。形だけは首が逆に曲がっただけの人のそれ。肉体は完全に生命活動を停止している。そして、肉体を乗っ取っていた呪怨は純黒に呑み込まれ、消失した。







 何の問題も無く勝利したことにホッとするオリヴィア。ゲラゲラと嗤うリュウデリア。それを見ていたヤルダは、やはり間違いはなかったと確信したのだった。







 ──────────────────



 ヤルダ


 単独行動ができる稀少な呪怨で、同族からは“裏切り者”と呼ばれている。人間の女と恋に落ち、自分達の本能から目を背け、仲間から抜け出して別次元への扉を一方的に閉ざしていたため。





 呪法


 呪怨達が使う、リュウデリア達の世界の魔法のようなもの。魔力のように消費されるものは無いが、その代わりにとある条件がある。





 リュウデリア


 97回も触れられれば、1つの存在の解析など余裕で終わる。毒を食らうならば、それもそれで良かったが効かなかった。やはり純黒の壁は越えられないらしい。


 他者の楽しそうな笑い声より、助けを求める悲鳴の方が心地良く感じるタイプ。冷酷で慈悲がなさ過ぎる。そのクセにオリヴィアの笑顔はずっと見ていても飽きない。





 オリヴィア


 未知の力ならば、もしかしたらリュウデリアにも効いてしまうのでは……?と思っていたが、そんな考えは杞憂だったようでホッとした。背後に隠されて守られたときはキュンとした。




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