第211話 矛先が触れたのは
「──────この俺から逃げられるとでも思っているのか?盗み見が趣味の塵芥風情が」
飛翔の余波で雲を散らす。一条の黒い線となって飛んでいるリュウデリアは、感じ取った気配を追いかけていた。速度は中々だ。そこらの者共では追いつくことは不可能に近いだろう。ただし、彼の速度ならば追いつくことは十分可能だ。
追跡を開始する前に、少しオリヴィアに説明してスタートが出遅れたが、あと少しのところまで来ている。魔法の射程範囲内でもある。黄金の瞳が常に、彼から逃げようとする存在を捉えて離さない。漸く見つけた、何度もちょっかいを掛けてきていた存在。目障りな奴をやっとこの手で殺せる。
逃がしてやる理由は無い。確実に、この手で捻り殺す。オリヴィアとの旅を追いかけてきていた不届き者。何度も殺そうとしては、素早い逃げ足で逃げられた。その鬱憤を本人に直接叩き込む時だ。
口内に莫大な魔力が集中する。口の隙間から眩い純黒の光が漏れ始める。ブレスの予兆だ。触れれば細胞1つ残さず消し飛ばされるだろう。込められた魔力的にも、殆ど面に近い範囲。受け止めるなど出来ようはずも無い。それが出来るのは、彼の友である龍達くらいなものだろう。
「『
総てを呑み込む、純黒なる殲滅の光が放たれようとしたその瞬間、リュウデリアの動きが止まった。何かを目にし、固まったのだ。
「彼はどこに行ったのかな?」
「恐らく見つけたのだろうな、奴を」
「……?誰を?」
「知らん」
「えぇ……」
飛んでいってしまったリュウデリアの姿を暫く眺めていたオリヴィアとソフィー。『英雄』から見ても途轍もない速度で飛ぶリュウデリアに追いつく方法は無い。負傷中を抜きにしても、どんな魔法を使ったところで追いつくなんて芸当は出来そうにない。
感嘆とした気持ちを抱きながら眺め、目視できなくなるほど距離が離れたら視線を前に移した。ふと、あの『殲滅龍』であるリュウデリアが追いかけるほどの存在とはどんな者なのか興味が湧いたソフィーは、オリヴィアに聞いてみた。しかし帰ってきたのは知らないという言葉だった。
奴を見つけたのだろうと言うので、てっきり誰のことを言っているのか解っているものだと思っていたが、知らないというのはどういうことなのだろうか。普通に聞いていれば要領を得ない話だ。そこでもう少しだけ詳しく聞いてみることにした。
「知らないのは分かったけど、奴って言ってたでしょ?心当たりがあるってことじゃないのー?」
「あるにはあるが、姿を見たことが無い。リュウデリアは気配で其奴だと判断したのだろう」
「ふーん?」
「ちなみにだが、お前が倒せなかったゴーレム。アレはリュウデリアが追いかけている奴に力を与えられてあの強さだったんだぞ」
「……えっ?」
思わぬカミングアウトを受けた。今までこんなに強いゴーレムと会ったことが無いと思っていたソフィー。そのゴーレムは自然に生まれた類のゴーレムではなく、何者かに力を与えられてあの強さを持っていたという。元がどの程度の強さだったのかは知らないが、『英雄』が倒せないくらいの力を外部に与えられたとなると、いよいよその存在の脅威が伝わってくる。
本人の強さではないのに、力を与えただけで『英雄』を圧倒するとなると、もしかしたらかなり厄介な相手かも知れない。ましてや王都を襲撃するように仕向けていることから、敵対関係にあることが濃厚だろう。あのようなゴーレムに似た魔物を複数体用意して仕向けられたら、王都は陥落してしまう。
想像するだけでも嫌な光景を思い浮かべてしまった。ソフィーは頭から消し去るために首を振る。オリヴィアに何をしているんだと声を掛けられるが、誤魔化すように何でもないと返した。
ゴーレムはオリヴィア達が斃した。力を与えたという存在は、リュウデリアが追いかけているので捕まえられるだろう。つまり王都に危機は訪れないと考えても良いはず。『英雄』という立場で、危機を救ってもらった挙げ句、現状に対してホッとしているのもどうかと自覚しているものの、今は療養も兼ねて楽しんでも罰は当たらないだろうと考える。
離していたオリヴィアの手をもう一度手に取って繋ぎ、彼女の腕に抱き付いた。突然だったのでふらりと蹌踉けるが、体勢を立て直したので彼女達が倒れ込むことはなかった。フードで見えないが、何となく気配でオリヴィアが訝しげな表情をしているのが伝わってくる。きっとこうやって触れ合うのは好かないのだろう。彼以外とは。
「彼に追いつくのは無理だし暇になっちゃったから、ボク達はデートの続きでもしよっ」
「リュウちゃんが今戦っているかも知れないのに、私だけ遊んでいられるか」
「まーまー。彼にはボクがちゃんとお詫びとかするし、謝るからさ?ねっ。ほら行こう行こう!」
「あ、おい……ッ!」
抱き付いた腕を引っ張って歩き出したソフィーに連れられて、オリヴィアも歩き出した。謎の存在を追いかけて、もしかしたら戦っているかも知れないというのに、自身だけ遊んでいては彼に申し訳ないという気持ちにさせられる。なので帰ってくるまで待っていようと思った。彼の実力からして、戦いなどすぐに終わると思ったのもある。
グイグイと引っ張られるオリヴィア。無理矢理止まってやろうかと思ったが、偶にはリュウデリアと別行動をしても良いかと思い直す。機嫌が悪くなれば、後で謝ろうという思いくらいは当然有るので、何を買ってあげようか頭の中で決めておく。
行く場所は全く決めていないソフィーは、自由に街を回っていた。服屋に行って何か可愛いものでも買いたい気分だったが、お忍びでデートをしているので外套を脱ぐようなことはしたくない。なのでウィンドウショッピングに留めておいて、後ほどもう一度訪れて買うことにした。
フード付きの純黒なローブと、灰色の外套を身に纏った2人組が歩く姿は色々な意味で目立つ。ましてやオリヴィアに関してはボロボロのソフィーを診療所まで引き摺っていたところを目撃した住民がいるだけある意味注目されている。人の口に戸は立てられぬとは良く言ったものだ。噂が広まるのは早い。
見た目が完全に怪しい組み合わせなのだが、手に綿飴を持って歩いているので怪しさ半減である。子供も持って食べているものと同じものを持っていると、親近感が湧くものだ。なので不審者を見るような目を向けられることはなかった。
「そういえば聞いていなかったな」
「ん?何を?」
「何故お前は冒険者になった。ある程度の強さを自覚し、大成することを確信していたのか?」
「あはは……そんなんじゃないよ。けど……んー……ごめん。何でかは忘れちゃったなぁ。『英雄』として、冒険者としてやらなくちゃいけないことは分かってるんだけど、何で冒険者になったのかはもう忘れちゃった!何だっけなぁ……」
「お前のことだ。冒険者やってみようぐらいの軽い気持ちだろう」
「そんな適当な人に見えるの??」
不満ですと言いたげな声色のソフィーに、黙して答える。もうそうですと言っているようなものだ。もー!と言って口だけの怒りを表すと、別に気を悪くした訳でもないのでクスリと笑った。これだ。こういう気安い会話がしたかったのだ。誰と話しても畏まられたりするので会話がつまらない。冒険者の皆は気安いが、怒らせないようにしようという配慮が透けて見えるので少し嫌だ。
その点、オリヴィアはズケズケと棘のあること言ってくる。虐められたいという意味ではないが、棘のある言葉が新鮮で嬉しい。友人のような距離感が心地良い。まあ、ソフィーとしてはオリヴィアに友人と見られているのか微妙なところではあるが。
この店は昔からあって、色々と見て吟味している様子を見せると値段を安くしてくれるよ。この店は女の子が好きな店主がおまけしてくれる。ここの店の魚はとても新鮮で美味しいけど、食べ過ぎて太るのは注意だよ。等々、ソフィーは楽しそうに見て回っている店のことをオリヴィアに説明した。
ソフィーの体がまだ痛みを感じていることを察している。治癒という面に於いては、あのリュウデリアをも凌駕するオリヴィアに、傷の具合で分からないことは無い。体調は察しないといけないが、完治していない傷のことなど簡単に分かる。なのに、その痛みを感じさせないソフィーに目を細める。そこまでしてやりたいことなのだろうかと。
やりたいことらしいので好きにさせているが、生憎オリヴィアにはそこまで無理をしてやることには思えない。好意的なのは察しは良い方なので分かるが、そこまで好かれる理由は検討もつかない。冷たいところが好かれているとは思いもしないだろう。
「はー、楽しいね!何もしない日を満喫してるなー!」
「傷だらけの患者が何を言って──────おい」
「──────ッ!?オリヴィアッ!!」
手を引いて歩いていたソフィーを引っ張った。突然後ろに強く引かれた彼女はフードの中で瞠目して体勢を大きく崩す。擦れ違う形でオリヴィアが前に出る。咄嗟のことだったのでつい、手を伸ばしてしまった。その手が空を切る……ことはなく、偶然彼女のローブについているフードを掴んだ。
後方へ下がりながら掴まってしまったフードを引く。必然的に中のものが露わになる。陽の光を浴びて煌めく純白の髪。仕舞っていた長髪がふんわりと広がりながら解放された。そして同じくして晒された神がかった彼女の容姿。切れ長の紅い目。スッと通った形の良い鼻に、健康的で造形美のある唇。白い無垢な肌。何もかもが美しすぎる美貌。
そして、そんな彼女の元へ妖しい光を放つ鋭い矛先が向かってきた。正面から串刺しにしようとするそれに、オリヴィアは無防備だ。このままだと刺し殺されてしまう。振り返りながら眺めるしかなかったソフィーが恐れた少し先の未来の光景。しかしそんな光景は訪れやしない。
甲高い音が響いた。何事かと周りに居た住民が振り返ると、オリヴィアの美貌が目に入って瞠目するが、その彼女に突き立てられた矛先に悲鳴を上げる女性達。流血沙汰の事件かと、警戒して離れる男達。突き刺されたと思われるオリヴィアではあるが、鋭い矛先は純黒のローブに触れた瞬間に止まっていた。そこだけ時が停まったようにも見える。
「……私の愛する彼が、血肉を削って造ってくれた私の宝物によくも……よくもその汚いものを
「チッ……身の程を弁えん冒険者風情がァッ!!」
向けられた矛先は、ハルバードと呼ばれる武器の先端部分である。ハルバードとは、矛槍類に属する長柄武器の一種である。戦斧と槍を合わせた万能武器であり、斬る・突く・断つ・払うといった様々な使い方が可能となっている。しかしその一方で使いこなすには熟練の技術を要するため、騎士の花形武器とされていた。
槍と斧の一体型な長物武器であるハルバードを、刺突に使ってオリヴィアを狙ったはいいものの、彼女が身に纏うローブには、『殲滅龍』が付与した能力が備わっている。身につけている者に物理無効と魔法無効の加護を与えているのだ。よってどれだけ鋭い武器の攻撃であろうと彼女を傷つけるには至らない。
そして、ハルバードを持って突然襲い掛かってきたのは……王城に出向いた時に国王の傍で控えていた騎士の男だった。面を被っていたので素顔は分からないが、会ったばかりの男の気配なのでまだ覚えていた。
だがそんなことはどうでもいい。騎士の男の甲冑が、ゴーレムの時のように黒い紋様を刻んでいることも、人間の気配をしていないことも全てがどうでもいい。オリヴィアの中にあるのは怒りだ。突然襲い掛かってきたかと思えば、ハルバードを純黒のローブに触れさせた。それは彼へ攻撃したも同義。この世で唯一、そして何よりも愛する彼にだ。
美しすぎる貌に浮かべるべきではない青筋をこれでもかと浮かべ、睨みだけで人を殺せる程の凄まじい形相へ変貌する。誰がどう見ても憤怒に塗れている。周りに居た住民達は、突然の暴力沙汰よりも、オリヴィアの怒りに怯えてその場から走って逃げていった。
騎士は人であって人でなくなっていた。着ている鎧と肉体が同化している。体中に奔る炎のような形をした瘴気の紋様。彼を知っている者からしてみれば、別人だとしか言えない存在感と強さを手にしている。今の彼に掛かれば、そこらの冒険者など相手にもなるまい。目の前の彼女を除いて。
体をぐるりと回転させて回し蹴りを繰り出した。騎士の男が両手に持っていたハルバードは、魔力で強化された蹴りの威力に負けて弾き飛ばされ、数メートル離れた店の壁を破壊しながら突き刺さった。次いで、オリヴィアの拳が胸部を捉える。肉体と一体化した鎧は、瘴気の紋様によって強度が底上げされている。にも拘わらず一撃で拉げ、地面を転げ回りながら殴り飛ばされ、店に頭から突っ込んでいった。
「げほッ……ごぼ……ッ!?」
「嬲り殺しにしてやる。精々己の行いを悔いて死んでいけ」
「あの紋様って……あの時のゴーレムと同じ……ッ!?」
肉体と同じく紋様が刻まれたハルバードは、騎士が手を翳すだけで独りでに動いて宙を舞い、手の中に戻った。柄頭を舗装された地面に叩き付けて体を起こす騎士の男。拉げた胸部の部分は、あと少しで貫通するんじゃないかというくらいめり込んでいる。致命傷に成り得るダメージなのだが、瘴気の紋様によって驚異的な速度で回復していった。
修復されるのは、周りの岩を集めるだけのゴーレムだけの話かと思えばコレである。ゴーレムと同じ紋様を刻んだ男と、傷を瞬く間に修復することに二重で驚いているソフィー。紋様が何者かに与えられた力ということは知っている。しかしそれは、リュウデリアが追いかけているのではなかったか。斃すはずではなかったか。何が起きているのか。
外套の中に隠していた双剣を取り出して警戒しながら、現状を把握するために思考するソフィーは、ゴーレムの時のように嫌な予感をひしひしと感じ始めていた。
──────────────────
オリヴィア
ハルバードを突きつけられたことにキレている。文字通り血肉を削って造ってくれたローブは、彼女にとっての宝物。物理無効だとしても、攻撃してきて触れた時点でアウト。ぶち殺すことを即座に決めた。
ソフィー
戦ってきた魔物の中で1番強かったゴーレムが、実は何者かに与えられた力によってあの強さを手にしていたことを知った。しかしその存在はリュウデリアが追いかけたということなので、必ず死ぬだろうと思っていた。
なので、騎士がゴーレムと同じ力を持っていることに驚いている。まさか、あの『殲滅龍』が負けたの……?と考えたくない想像をしそうになるのを拒否している。
騎士の男
国王に対して失礼な態度をとったオリヴィアにいちゃもんをつけようとしていた男。本来ならば決闘を挑んで態度を改めさせるだけのつもりだったが、自分でも分かっていなかった不快からくる負の感情につけ込まれてしまった。
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