第45話  休息



 王都メレンデルクにあるマルロの屋敷で、オリヴィアとリュウデリアは風呂に入っていた。しかも単なる風呂ではない。最早銭湯である。一軒家のリビングよりも広い風呂の為だけの空間で、1神と1匹はおぉ……と声を上げた。旅人が泊まる宿屋に備え付けられた風呂場は立派なものだったが、これは桁違いだ。鬼ごっこが出来るくらいなのだから。


 使い魔サイズのリュウデリアは両腕に抱えられ、体を洗うためのシャワーが付いている所へ行き、バスチェアに腰掛けた後に膝の上に置かれた。見上げるとオリヴィアが微笑んでいる。形が良く、程よい大きさの乳房が視界の中に入る。オリヴィアは見られていることに、ぽっと頬を赤く染めて恥ずかしそうにしていた。




「んんッ……私が洗ってやるから、大人しくしているんだぞ?」


「犬ではないんだぞ。言われんでも分かっている。というより、俺が自分で洗っても良いんだが?」


「私の楽しみなのだが……」


「俺を洗うことの何が楽しいんだ……」


「まあまあ。是非私にやらせてくれ。良いだろう?」


「いや、そこまで言わんでも……お前の好きにすればいい」


「ふふっ」




 許可を得たオリヴィアは蕩けるような微笑みを浮かべながら、意気揚々と石鹸を手に取って泡立て、純黒の鱗に手を伸ばした。名剣でも傷一つつかなかった鱗は、治癒したとはいえバルガスとクレアとの戦いで罅を入れ、場所によっては砕けていた。生まれて初めての負傷であると、嬉しそうにしていたが、オリヴィアは内心穏やかではなかった。


 あのリュウデリアの口から強いと、気配を感じ取っただけで言わしめた2匹との戦いは勝利を収めたが、それよりも傷だらけの姿なんて見たくは無かった。微笑んでお疲れ様と口にしたはいいものの、若しかしたら死んでいたかも知れないと考えると指先だけでなく、体の芯から凍り付くような思いだ。


 治癒するために近付いた際、どこがどれだけ傷付いているのかが嫌でも目に入った。痛そうだとか、可哀想だとか、そんな言葉では無い。死んで欲しくない。それだけだった。平気そうにしていたが、負っているダメージが大きいことは解っている。故に心配が心の中で燻っていた。


 泡を立てた手で優しく撫でるようにリュウデリアの体を洗っていたが、今では跡形も無い傷があった場所を、労るように撫でていた。触られている感触が少し変わったのに気付いたリュウデリアが振り返ってどうした?と問うような目線を送ってくる。小さく首をかしげる姿は可愛いが、それがトドメとなって思いきり抱き付いた。




「……どうかしたのか?」


「……あの時……傷だらけのお前を見たとき、私は心底怖かった。もしかしたら死んでいたのかも知れないと考えると、生きた心地がしなかった」


「……そうか。心配を掛けたようだな。すまなかった。傷つけられたのが初めてで熱中していた」


「龍が戦いの中で生きていることは知っている。だが、流石に今回は胆が冷えた。私はな、お前が死んでしまうと考えるだけで、本当に胸が苦しいんだ。約束しろと言わない。だが、私が心配していることだけは覚えておいてくれ」


「……解った。俺がお前の立場でも、嫌だと感じるだろう。俺も出来るだけ気を付ける。だからオリヴィア、お前が何かあったときの為に、後で御守りでも創って渡す。受け取ってくれ。ローブがあれば十分なのだろうが、念の為にな」


「うん。貰うよ。他でも無い、お前からの御守りだからな」




 自身が傷付いたら嫌だと言われた事で、特別に思われているという事が解る。それに心を温かくしながら強く抱き締める。泡をつけたリュウデリアは、オリヴィアの柔らかい肌と胸の中で目を閉じて、抱擁を甘んじて受けていた。


 ローブだけでも相当な防御性能を持っているのだが、そこへ安全を願った御守りもくれるという。腕の中で大人しくしているリュウデリアへ、ありがとうと呟くと、尻尾が頬に触れて優しく撫でてくれた。それにクスリと笑うと抱擁を解き、体を洗ってあげるのを再開し、隅々まで洗い終えるとお湯を掛けて泡を流した。


 泡を流し終えると中から艶やかに光る純黒の鱗が出て来た。目に見えない汚れも取れてサッパリした。心なしかピカピカになっているリュウデリアに満足して、ふふんと得意気な顔をして胸を張るオリヴィアに首を傾げながら、魔法を使って体のサイズを変えた。


 180センチ以上の背丈になったリュウデリアが、目と鼻の先に立って腰を折り、上から覗き込んでくる。なんで今ここで体の大きさを変えたのかと疑問を抱いたが、黄金の瞳を緩めてニッコリと笑みを浮かべたのでまさかと思った。まあ、そのまさかなのだが。




「何度も洗ってもらっているからな。今度は俺が洗ってやろう」


「え……えぇ……っ!?わ、私をか…っ!?」


「……?何をそんなに狼狽えている。……あぁ。力加減が心配なのか。それなら安心しろ、その程度の力の調整は造作もない」


「ち、違……ひゃっ!?」


「まずは頭からだな。痒いところは無いか?」


「ぉ……お金取れる……」


「どういう話になった??」




 オリヴィアの背後に回り、石鹸から立てた泡を手の中で更に泡立てて頭につける。皮膚を鋭い指先で傷つけないように気を付けつつ、力加減を見違えないように慎重に。しかし洗うのが遅くならないように心懸ける。それだけのことを一気にやっておきながら、初めて他人を洗う手際とは思えない上手さがある。


 腰まである長い純白の髪を洗っていると、オリヴィアがもじもじとしている。両手を太腿に挟みながら、肩を縮こめさせている様は、まるで不安そうにも捉える事が出来るが、単に嬉しくて仕方ないだけだ。


 髪の間から出て来た耳が真っ赤になっているのにひっそりと笑いながら、手早く頭を洗い終える。流すぞと一言言ってから、桶に溜まっているお湯を頭から掛けた。髪が長いので泡が流しきれず、2度目のお湯を掛けて泡が全部流れたのを確認すると、もう一度石鹸を手に取って手の中で泡立てた。


 音で気が付いたのだろう。頭を洗ったならば、今度はどこを洗うかなんて愚問。オリヴィアは耳どころか頬も真っ赤にしながら、バッ後ろを振り向いてリュウデリアを見上げた。潤った瞳に、上気して赤くなった頬。恥ずかしそうに時折逸らされる目線。煽情的な姿を目の前に、リュウデリアはニッコリと笑みを浮かべた。




「リュウデリア……?あ、あのな……?体は自分で……っ!?」


「遠慮するな。折角頭を洗い終えたのだ、体も洗ってやるから力を抜け。ほれ、腕を上げろ。俺の首に回しても良いぞ」


「え、ちょっ……!?ぁ、ぁんっ。待って……まってリュウ……デリアぁ……んぁあんっ!ぁ、ぁ、ぁ、そこ、そこはぁ──────はぁんっ」




 隅々まで満遍なく、洗い残しなど存在せず徹底的に洗われた。リュウデリアの素手が泡のヌルヌルを伴って体中を撫でられる。普通に撫でられるのでもダメなのに、泡が加わって頭が沸騰しそうだった。というかしてた。


 下心は無い、というか龍であるリュウデリアにとっては人間の体の形は均等が取れているだとか、細いとか太いとか、そういう区別しかつけられない。オリヴィアの完璧な肉体も、男ならば誰もが垂涎ものなのだが、やはり種族が違うと見方が違う。




「……もう嫁にいけない……あんな……あんな声まで私はっ」


「何を大袈裟な。体を洗ってやっただけではないか。龍ならば洗い合うのは普通だぞ。流石に親しくもない者にはやらんが」


「普通と言っても、お前は他の龍と洗い合ったことないだろう……」


「生まれてすぐ捨てられたからな。例え捨てられなかったとしても、悍ましいと思う姿の者に近付こうと思わんだろう。俺は、この姿の方が使い勝手が良いと思うがな」




 互いの体を洗い終えた2人は湯船に浸かっていた。頭の上に畳んだ白いタオルを乗せて肩まで入る。温かい湯船が体を芯まで温めてくれる。やはり風呂は気持ちが良いと思う一方、オリヴィアは温かい湯船の所為ではなく、羞恥で顔を真っ赤にして両手で隠していた。


 人間サイズの大きさのまま、リュウデリアも湯船に浸かって、オリヴィアの真似をして頭の上にタオルを乗せている。仰向け気味になってホッと一息つきながら、オリヴィアと話をしていた。


 本当に隅々まで満遍なく洗った事を、真っ赤になって恥ずかしがっているのは解っているが、そこまで恥ずかしがることか?とも思う。町などで擦れ違う人間を観察していると、オリヴィアの肢体が見た中で最も美しい造形美だと気付くが、別に興奮したりしない。そもそも体の形は似ているが、根本的に違うし。




「……ここまでしたんだからな。責任をとってもらうぞ、リュウデリア」


「責任……察するにお前を貰えということか?」


「そ、そうだ……っ!」


「ふむ、俺達でいうつがいのことか。別に構わんぞ。オリヴィアを俺の番にしても」


「…………………………は?」


「龍と神の番なんぞ聞いたことが無いが、俺はお前とならば番になっても構わん。まあ、そもそも他の雌の龍で、俺と番おうと思う奴なんざ皆無だろうからな。寧ろ俺は貰われる側だということだ。ふははッ……おい、オリヴィア?」


「わ、わた……つが……け、結婚……ブクブクブク……」


「は?おいオリヴィア!……逆上せたのか……?まったく、世話の焼ける神だな……くくッ」




 返事が無かったので横を向けば、底に穴が開いて沈没する船のように湯船の中へと沈んでいくオリヴィアが居た。真っ赤な顔で目をグルグルと回しているので、このままだと溺れると思い、急いで長い尻尾を伸ばして胴に巻き付け、上に持ち上げた。


 ざぶんとお湯も一緒に持ち上がり、ぐったりとしているオリヴィアの体を伝って湯船に戻っていく。全裸の状態で干された洗濯物みたいになっているオリヴィアを手元まで寄せると、横抱きにしながら顔を覗き込む。


 完全に逆上せてしまったようで、未だに目がグルグルと回って、結婚だとか幸せだとか子作りだとかをボソボソと譫言のように呟いている。四肢も力が入って居らず、リュウデリアの腕の中で動く様子が無い。仕方ないと思いながら溜め息を吐きつつ、湯船から上がった。


 風呂場の入口へ向かおうと一歩踏み出そうとして、オリヴィアが頭の上に乗せていたタオルが、湯船の中で泳いでしまっているのに気が付いた。尻尾を使って湯船の中から取り出し、ぐるりと尻尾で巻き付いて器用にお湯を絞り出す。カラカラになったタオルの、頭の上に乗っている自身の分のタオルの上へ更に乗せて、今度こそ風呂場から出た。




「大丈夫か?オリヴィア」


「う、うぅん……」


「……仕方ない。俺が着替えさせてやるか」




 頭の上のタオル2枚を、使用済みタオル入れのボックスに入れてから、オリヴィアの着替えを尻尾の先で摘まんで持ち上げ、指を一度鳴らした。2人の頭上から純黒の魔法陣が生み出され、降りてきて足下まで通過していく。すると、体を濡らしていた水分が飛んで、濡れていたオリヴィアの髪すらも乾いてしまった。


 魔法陣でスキャンされたように思うその工程だけで乾かしは完了した。後は、人間の町で購入した下着を着け、使用人が用意している真っ白なバスローブを着せてやって完了だ。一応着衣は終わったが、オリヴィアがまた復活しないので、傍にあった椅子に座ってから、膝の上に乗せて翼を使った風を送り込んでやる。


 暫くそのまましていると、オリヴィアが気怠そうに目を覚ました。パチパチと何度か瞬きをしてからボーッとし、リュウデリアの顔を見ると、横抱きをされている事に気が付いてポッと頬を赤らめた。




「あ、ありがとうリュウデリア。き、着替えもさせてしまったようで……」


「気にするな。すぐに済んだ。立てるか?」


「あ、あぁ。もう大丈夫だ。助かった」


「風呂の後は飯だそうだが、食えそうか?」


「早めに湯船から出してもらったからな、もう問題ない。さあ、行くとしよう。……そういえば、バルガスとクレアはどうなっているんだ?何の疑問も無くお前と入ったが」


「ティネ……だったか?あの人間の小娘が抱えて行ったからな、違うところで洗われているのではないか?」


「金持ちならば自室に風呂があっても不思議じゃ無いか……まあ、あの2匹に危害は加えられないから大丈夫だろう」




 今気付いたことを口にしたオリヴィアに、知っていたけど止めなかったと暗に示しているリュウデリア。気に入ったのか、ティネはクレアとバルガスはニッコリ笑顔で抱えたまま行ってしまった。推測の通り、お客として招待されたオリヴィアに大浴場を渡し、ティネは自室に付いている風呂に入っていたのだ。


 別れ際、オリヴィアが気付いていないところで、リュウデリア達による、助けろ、断る(笑)、アイコンタクト合戦があったことは、ここだけの秘密だ。恐らく睨み付けてくることだろう。存分に。まあだからといって反省する気は無いのだが。


 事情を把握したオリヴィアは頷いて、脱衣所の出入り口へと向かった。リュウデリアは再び体の大きさを使い魔サイズへと変え、歩いているオリヴィアの足下から体を伝って肩へと登った。ドアを開ければ使用人が待っていて、声を掛けようとして呆然とした。純黒のローブについているフードを被っていたので、素顔が見えなかったのだ。まさか傾国なんて生易しい程の美貌が出て来るとは思うまい。


 頭を振って気を取り戻した使用人の案内を受けて、食卓のあるダイニングルームへと向かった。時折チラリと見られるので、やはりフードを被っていないと外を満足に歩くことが出来ないだろうなと思った。オリヴィアの美貌が晒されれば、見惚れるか、声を掛けるかの2択だからだ。




「マルロ様。オリヴィアがお風呂からあがりましたので、お連れいたしました」


「おぉ、オリヴィア殿湯加減は……これは美しい……」


「オリヴィアさんスゴイ美人さん!」


「だからフードを被っていた。顔を晒すと外を満足に歩けん」


「あぁ……そういうことでしたか。納得しましたよ。」


「男の人だったらオリヴィアさんみたいなキレイな人、好きになっちゃうもんね!」


「儂もそう思うぞ。さて、ではオリヴィア殿。儂等の命を救ってくれた事への感謝としまして、料理人に言って最高級のものを用意させました。どうぞ堪能して下され」


「リュウちゃん達のもあるから、いっぱい食べてね!」


「「「…………ッ!!」」」


「では、遠慮無くいただくとしようか」




 食卓の長いテーブルの上には煌びやかに見えてしまう程豪華な食事が置かれていた。肉、魚、野菜、茸類のものからスープまで選り取り見取りだった。豚の丸焼きがあったのは、使い魔という設定のリュウデリア達が居るからだろうか。用意されている銀食器も鏡のように綺麗に洗われている。座ろうと近付けば使用人が椅子を態々引いてくれた。


 食べるのは3人と3匹なので、長いテーブルの端の方に寄って座っている。マルロが端の1人の場所で、ティネとオリヴィアが向き合うような形になっている。リュウデリア達は床かと思われたが、しっかりと椅子の上に誘導されていたので同じ食卓だ。


 こっちにお座り下さいと、丁寧に椅子を引かれて、3匹がそれぞれ椅子の上に登って座ったのに、使用人達はニッコリとしていた。さぞや躾がなっているのだろう、と思っているに違いない。3匹とも頭が良いので意図を察するなんてことは容易だ。そうして席に全員が揃ったので、オリヴィア達は食事を始めるのだった。




 ──────うんめぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!?ちょっ、これ……うんめぇッ!?人間の食ってる飯スゲーうめぇンだけど!?肉やっわらか!?嘘だろ正気か!?オレの今まで食ってた肉って全部腐ってたんか??




 ──────……ッ!!美味い……これは美味い……いくらでも……食べてしまいそうだ……ッ!!まさか……これほどとは……恐れ入った……人間の食べ物……ッ!!




 ──────……っと危ない……美味いと口にするところだった。しかしこれは本当に美味いな。この豚と鶏の丸焼き、表面がパリッと音を立てる程こんがりと焼かれているのに、中はシットリとした肉汁が閉じ込められている……何だこれは、味も濃くて……あぁ……美味い……。




「美味い。それに……ふふっ。リュウちゃん、クレちゃん、バルちゃんも美味そうに食べている。良い腕だな」


「それは良かった。さあさ、使い魔の君たちもゆっくりでいいからいっぱい食べておくれ。足りなければもっと作らせるから」


「「「──────っ!!」」」


「ふふふ……もう、そんなにがっつかなくとも料理は逃げんぞ」





 魔力を使って料理を次々と口に運んでいるリュウデリア達に、控えている使用人が驚いた表情をしているが、そんなことは気にせず美味そうに食べ進めていった。見た目よりもずっと食べている3匹にマルロとティネは微笑み、もっと出してやるとまで言ってくれた。


 まだまだ全然食える!と言っているような、左右に振られる元気な尻尾と、バサバサやっている翼を見て、オリヴィアはクスクスと笑うのだった。







 結局、リュウデリア達が満足するまで、1匹につき50人前程の飯を食って、皆で与えられた部屋にて眠るのだった。







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