第33話  光龍王





「──────どうだった、あの黒龍の実力は」


「リュウデリアのから聞くに、生まれてまだ100年程度しか生きていない筈だが、既に精鋭部隊の奴等では戦いにすら発展しないだろう。現に決闘は私以外に動きを捉えられた者は皆無だった」


「ほう……?」


「実力は確かか。だが、我々龍王から直々の提案をにべも無く断った」


「これでだな。断るのは」


「まったく、それぞれが大いなる力を秘めている。だからこそ手元に置いておきたかったのだが、儘ならんな」




 リュウデリアとロムの決闘が終了し、解散してから炎龍王は謁見の間へ戻ってきた。見ていたのは炎龍王のみ。故に他の龍王達は、実際に見た炎龍王から話を聞いていたのだ。因みにだが、広場に行った時に炎龍王は自身に認識をずらす魔法を掛けていた。滅多にお目に掛かれない龍王が来れば、その場は騒然となってしまうからだ。


 謁見の間でしか龍王の姿は見れないと思われるが、意外と認識が出来ていないだけで会っている者は会っている。紆余曲折。炎龍王から話を聞いた他の龍王達は、一つ溜め息を吐いた。リュウデリアは龍王達からのスカウトを蹴った三匹目の存在。これの前に既に2回同じ事を繰り返している。


 その身にあまりにも大きすぎる力を秘めた三匹の龍。何を仕出かすのか解らないからこそ、何時でも見られるように手元に置こうとしたものの、三匹からの答えは全く同じ否。下に就くことは有り得ない。やっと来たと思えばすぐに帰っていった。


 不敬だの何だのと文句を付ける者達は居た。リュウデリアと同じように決闘を申し込む者達が居て、それぞれが相手を一瞬で殺して勝利を収めた。手口は全く同じ。速度も纏う覇気すらも。そして、勝利を収めた後に言うことすらも同じだった。


 相手にしてやったが、退屈極まりない。やるだけ無駄だった。実につまらなかった。結局、相手は取るに足らない存在だったと言っている。龍王を護る精鋭部隊だというのに。つまり、三匹は既に選りすぐりの実力者達の実力を凌駕しているということだ。




「まあそう慌てる必要もあるまい──────暫しあの子等の活躍に期待しようではないか」




 炎龍王は見てきた三匹の龍達を思い浮かべる。強く、勇ましく、誰にも媚びない確固たる己を持つ者達、その姿を。



























「…っ……ふわぁ…………ふふっ」




 治癒の女神、オリヴィアは最高級のベッドの上で目を覚ました。ふわふわで体を押し返す優しい感触。真っ白なシーツ。そして、目の前に広がる純黒の鱗。


 何時もなら魔法で小さくなり、使い魔に見えるような、肩に乗れる大きさでいるリュウデリアなのだが、今回はそんな小さいサイズでは無い。約180センチ。少し高い位の成人男性の背丈のままで、オリヴィアと同じベッドに寝ていた。


 互いに向き合っているので、眠っているリュウデリアの顔が良く見える。自身にとっては大きな体。純黒の鱗。目と鼻の先にある顔に手を伸ばし、頬を優しく撫でると意外にも温かい。瞼が閉じられているので黄金の瞳は見えないが、この時間を使ってたっぷりと堪能させてもらおう。


 頬を撫でて、顎の下を擽るようにこちょこちょとし、瞼の上を人差し指でサッと触れる。背後に腕を回して背中に生えている翼の付け根に触れ、翼の膜を押してみる。柔らかそうに見えて結構硬い。まあ、あの巨体を飛ばす為のものなのだから当然だろうか。


 指で押すと押し返される翼の膜を思う存分触り、今度は体を少し起き上がらせてリュウデリアの尻尾の先を手に取る。そうしても一度寝転んで、尻尾の先をくねくねと動かしたり、指に絡めたりする。武器にも方向転換にも、相手を捕らえる事にすら使う長い尻尾は自身には無いものなので、つい執拗に遊んでしまう。


 5分程度尻尾で遊んだ後、今度のターゲットはリュウデリアの手だ。純黒の鱗に包まれ、先端が鋭利に尖っている指先。人間のように5本に別れており、関節の数も同じだ。今は一緒に寝ているオリヴィアを傷付けないために手を軽く握り込んでいるのを、起こさないようにゆっくりと解いて掌を合わせる。大きい手だ。そして温かい。


 手の大きさを比べていると、指がズレて指と指の間にリュウデリアの指が入り込んできた。隙間の無い恋人繋ぎ。そこまでするつもりじゃなかったオリヴィアは1人で瞠目し、頬を赤く染めてから、心底嬉しそうに顔を綻ばせた。恋人繋ぎをしている両手を見て赤くなりながら微笑んでいると、フッと風が吹いて前髪が揺れた。バッと顔を上げると、黄金の瞳と視線がかち合う。




「ぉ……起き……っ。こ、これは……」


「……あれだけ熱心に触れられていれば誰でも起きると思うが。まあ、取り敢えずおはよう。そしてお返しだ」


「えっ……ぉは……わっぷ」




 少し呆れたような目線を向けてくるリュウデリアに、しどろもどろになりながら挨拶を返そうとするが、それよりも早く顔を近づけられ、口の中から出て来た赤く長い舌がオリヴィアの頬を下から上へベロリと舐め上げた。ざらざらとした感触と、少しの唾液の感触が頬を撫で、オリヴィアは固まった。


 オリヴィアの頬をこれでもかと舐め上げたリュウデリアは、固まっている彼女に気を良くしたのか、意地悪くニヒルな笑みを浮かべてベッドから立ち上がった。体を伸ばして翼を大きく広げ、三度軽くばさりと羽ばたかせると、それだけで風が捲き起こる。動かないオリヴィアの長い髪がふわりと舞い、元の形に戻った。


 体の伸びを終えて振り返る。しかしまだ動かないで固まったままのオリヴィアに仕方ないなと溜め息を吐き、長くしなやかな尻尾を伸ばして寝転んだままの体勢に下から差し込んで胴に巻き付かせ、ゆっくりと持ち上げて傍に降ろす。強制的に立たされたというのに、何が起きているのか解っていないオリヴィアに笑い、乱れた髪を撫でて整えてやった。




「何時まで呆けているつもりだオリヴィア。散歩に行くぞ」


「……ハッ。あ……あぁ、そうだな。そうしよう。それがいい」


「いやどうした」




 カクカクしながらベッドから起き上がり、2人に用意された部屋のドアまで向かうオリヴィアに首を傾げた。普通に考えれば舐められた事にそうなっているんだと言いたいが、龍と女神では価値観がやはり違ってくるので解らないだろう。例えるなら犬や猫に顔を舐められるようなものだ。


 リュウデリアとしても軽い気持ちで舐めただけなのだが、女神にはそんな事は無いらしい。首筋を赤くしながら部屋を出て行ったので、自身も続いて部屋を出た。


 龍王の提案に載って泊まった部屋は、謁見の間があった建物の中の一角だ。そこには他にも幾つもの部屋が用意されており、そのどれもが快適空間になっている。最高級のベッドもその一つであり、頼めば朝食等も持ってきてもらえる。本当の姿が龍なだけで、高級旅館とそう大して変わりはしない。


 オリヴィアとリュウデリアが朝の散歩で真っ白い壁が続く廊下を歩いていると、使用人ならぬ使用龍と擦れ違うが、その時にリュウデリアの姿を見て眉を顰めたり、目線を逸らしたりしている。彼としては全く気にしていないのだが、一緒に歩いているオリヴィアはそうでもないようだ。


 繰り返される事で段々と眉間に皺が寄っていく。如何にも不機嫌です!と言っているかのような表情だ。折角の散歩なのだからと溜め息を吐き、リュウデリアはそっとオリヴィアの手を握った。硬い鱗に覆われた大きな手が自身の手を包み込み、握られた事に肩をビクッと震えさせ、勢い良く顔を振り向かせてきた。




「機嫌を直せ。俺は気にしていない」


「……これは、ズルいじゃないか」


「嫌か?」


「……ふふっ。嬉しいに決まっているだろう?」




 うっとりと微笑みながら握られた手を動かして、恋人繋ぎへと移行させた。先程もやった握り方だが、人間の町で図書館の本を制覇したリュウデリアは、これが親しい者達がやるものであると理解している。ボディタッチによるスキンシップも、相手を知りたい。触れたい。感じたいという心の表れであることも。だから拒まない。拒む理由が無いのだから。


 ならリュウデリアの方からするというのは、どういう事を表しているのだろうか。それは、察してあげるべきなのだろう。握っている手をキュッと隙間無く絡ませ、幸せそうに微笑みながら歩くオリヴィアに、見えないところで優しく笑みを作るリュウデリアは。2人の雰囲気は、誰にも邪魔が出来そうに無かった。


 暫しゆっくりのんびりとした散歩を建物から出て、外に行ってもしていた2人は、浮遊する龍の大地“スカイディア”に降り注ぐ太陽の光を全身に浴びて日光浴をし、満足したらまた建物の中へと戻ってきた。すると、歩いている最中にピクリと何かに反応したリュウデリアが、寄りたいところが出来たと言ってオリヴィアと手を繋いだまま向かった。




「──────お客さんだね。純黒の龍リュウデリアと、そのお連れの女神かな」


「……やはりあの気配はお前か、


「言葉を交わすのは初めてだね。あの時は炎龍王が話していたから……。では自己紹介をしよう。私は七大龍王が一匹、光龍王という者だ。よろしく頼むよ、リュウデリア、女神殿」


「私はオリヴィアだ。龍王ともなれば、明かすこと無く私の正体に気が付くのだな」


「伊達に“王”に冠する名前を持っていないからね」




 リュウデリアとオリヴィアがやって来たのは、建物の天井が全て大きな円形に刳り貫かれており、上から太陽の光が入り込んでいた。それを一身に浴びているのは、見上げるほど大きな大木だ。緑が生い茂り、力強い幹に根。光合成によって生み出される澄んだ空気を生み出している。


 そして、そんな大木の前に立っているのは、肩まである白く真っ直ぐな髪に金色の瞳を持つ存在だった。顔立ちは男にも女にも見えてしまう程整っていて、初見では性別がどちらであるのか困惑してしまうが、彼は男である。


 常に浮かべている柔らかい笑みが人の良さそうな印象を与え、まるで光そのものが彼を祝福しているかのように思えてしまう光景。だが、そんな彼も歴とした龍王。最強の種族である龍の中で、最強の七匹の内の一匹である。例え優しそうで人当たりが良さそうでも、全身から溢れ出る覇気と膨大な魔力の極一部は誤魔化せない。




「俺に対して気配を送ってきたな。何のつもりだ。よもや決闘でも始めるとでも言いたいのか」


「いやいや、私はそんなつもりでは無かったんだ。少し君と話がしたくてね。少し強引かも知れないが気配を送って呼ばせてもらったよ」


「それで、用件は」


「──────君は自身の力について理解しているかい?」


「俺の力だと?」




 光龍王が問いを投げてきたが、内容は抽象的なものだった。力と言っても色々とあるだろう。肉体的なフィジカル。頭脳。魔力。魔法。飛行能力。そのどれのことだろうと思われるが、リュウデリアは光龍王が聞きたいことをすぐに察した。光龍王が聞いているのは、彼の魔力についてだろう。


 純黒。混じり気の無い完璧な黒を表す言葉。リュウデリアの鱗の色でもあり、魔力の色でもある。そしてその魔力は純黒となって周囲に影響を及ぼす。過去にも彼が怒りに塗れて黒い炎を心に灯した時、彼の全身から溢れ出る純黒なる魔力は、大地を同じ純黒へと染め上げた。それに触れた動物も、微生物も、全てだ。


 率直に言って異常だろう。魔力に当てられただけで恐怖したりするでもなく、侵蝕されて命を奪われてしまうのは。だがリュウデリアは解せない。光龍王が聞いているのは確実に自身の魔力についてなのだろうが、彼の前で魔力は使っていない。決闘の時も魔力を使わずに勝ったのだから。




「何故解る……そう思っているようだね」


「チッ……だったら何だ」


「単純な話さ。私の眼は見た者の本質を視る事が出来る。だから、そこの女神殿……失礼、オリヴィア殿の正体にもすぐに気が付いたんだよ」


「それでリュウデリアの魔力について知ったのか?」


「残念だけど違うよ。視たからじゃなくて、視れなかったんだ。君の本質は何処まで黒い純黒だ。何者にも染められず、総てを呑み込み塗り潰す、圧倒的力の塊。私の眼にはね、君が純黒の深淵に見えるんだよ」




 オリヴィアは光龍王がリュウデリアの事を、その本質を見抜く眼によって見たことで解ったのだと思っていたが、実際はその逆。光龍王を以てしても見れなかった。純黒に染められ、長く見ていれば引き摺り込まれて塗り潰されそうな錯覚を起こさせる純黒。だからこそ、大いなる力の塊だと理解したのだ。


 理解出来ないからこそ理解出来る。その力はあまりにも強すぎる。制御出来ているなら良いが、もし暴走なんかしてみせれば、広大な大地は純黒に塗り潰されてしまうだろう。そんな予感を光龍王にさせた。だからこその問い。


 そんな問いを投げてくる光龍王に返す言葉は当然決まっている。自身が持つ力、魔力の事を己自身が理解していなくてどうするというのだ。知っていて当然。解っていて当たり前。把握してこその自身の力。故に答えは決まっているのだ。




「俺の純黒なる魔力は総てを呑み込み塗り潰す。それ以外には必要ない。俺は俺であるからこそ純黒だ」




 抵抗なんて許さない。純黒の前では全てがその他でしかない。つまり、言外にその他は全て敵では無いと、龍王に向かって言っている。






 リュウデリアの答えを聞いた光龍王は、炎龍王の時のように笑みを深くし、面白そうに笑うのだった。







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