第8話  純黒の殲滅龍



 一面が黄金の煌びやかさに包まれた、自己主張の激しいとある豪華な一室の窓辺に、1羽の鳩が留まった。脚には手紙が丸めて括り付けられていて、部屋の主は鳩からそれを受け取ると広げ、中に書かれている文章に目を通していく。


 書かれているのは、我等が同盟国の一つであるイリスオ王国が黒龍の手によって跡形も無く滅ぼされ、次はルサトル王国を狙って向かってきている。故に同盟国として救援を求む。そう書かれていた。読み終えた部屋の主は、手紙を部屋に備えつけられている暖炉の中に放り込んで燃やしてしまった。その目は何を考えているのか解らないほど冷たく、そして悍ましい程に綺麗な微笑みを張り付けていた。


 部屋の主は細身の若い男であった。そしてこの男がジヒルス王国の歴とした国王である。余りにも若い見た目の国王は、見た目通り20代前半の歳だ。しかしその歳にして前国王だった父と妃の母、4つ歳の離れた兄と3つ歳の離れた姉を一人で殺し、若くして国王の座に就いた畏るべき男である。


 ジヒルス王国は建国してからというもの、戦争を起こせば必ず勝利を収め、未だに戦争負け知らずの無敗を誇る王国である。その勝利の裏には、必ず戦場に立って敵を殺し尽くす男が居る。何らかの功績や戦争に於ける要を担った者、他を圧倒する力を持つ者を、人は『英雄』と呼ぶ。その男こそがその『英雄』である。たった一人で戦争を終わらせ、嘗ては龍すらも殺したと言われている超人である。


 同盟国の救援要請を躊躇いも無く燃やしてしまった国王は、黄金に囲まれた煌びやかな部屋の中で、唯一異質な部屋の隅へと歩みを進めた。そこには天井から鎖が垂らされ、その先には頑丈な腕輪。そしてその頑丈な腕輪に腕を通して吊されているのが、国を滅ぼして回っている黒龍の目的、森の精霊スリーシャ。その本体である。


 だがスリーシャは辛うじて足の指先が床に触れるかどうかという高さで腕を吊され、意識が無いのか顔を俯かせている。服は着ておらず、生まれたままの姿を晒し、その体には数え切れないほどの切り傷がついて血も流れていた。肌は死人のように白くなり、髪も痛んで乱れている。まるで拷問を受けた後のようだ。




「おい。何を勝手に寝ている。起きろ」


「………………………。」


「起きろと──────言っているだろうッ!!」


「──────ッ!?ぁぐっ……っ」




 国王は机の上に置いてあった鞭を手に取り、加減など無く、全力で吊されているスリーシャに目掛けて振った。ばちんと嫌な音がなり、遠心力で加速した鞭の先端がスリーシャの肌に打ち付けられ、切ったような浅い傷を作りながら血を滲ませた。尋常じゃない痛みで目を覚ましたスリーシャは、跳び起きて痛みで呼吸を一瞬止めた。


 鞭は人を殺す為の道具ではない。殺さず最も残酷に痛め付ける拷問に用いる道具である。それをスリーシャは何百と打たれていた。体は悲鳴を上げ、口からも絶叫を捻り出し、痛みだけで何度も意識を飛ばした。止めてくれと言っても、国王は聞く耳持たず、寧ろ願えば願うほどスリーシャを痛め付けた。




「どうやら、黒龍がお前を探して攫った国を滅ぼして回っているようだぞ」


「ぁ……ぁっ……りゅう…でり…あ………」


「リュウデリア……成る程。その黒龍の名はリュウデリアというのか。ハハッ。態々貴様を探しに、俺の国に来るとはなァ。言伝には救援要請なんぞ書いてあったが、今から送ったところで間に合うと思うのかァ?どうせ今頃、あの国は滅ぼされているだろうよ。そもそも、あの国と同盟を組んでいたのは愚かな我が父だ。寧ろ同盟を切ろうと思っていたところだ、手間が省けたな。貴様もそう思うだろう?」


「……りゅうで……りあ。きちゃ……だ…め。りゅうでり…あ」


「俺の話を無視して、これから死ぬ黒龍の心配かァ?……フンッ!」


「────ッ!?ぁ゛あ゛っ……あぐっ…ぎっ…!はぁ…はぁ……ッぐぅ…!ぁ゛がッ……ぃ゛……っ」




 国王は何度もスリーシャに鞭を叩き付ける。何度も何度も何度も。スリーシャが気絶しようが関係無く、悲鳴を上げても手を止めなかった。やがて30は鞭を打ち付けただろうか。打っても打っても声も上げなくなったスリーシャに興が削がれたのか、鼻を鳴らして踵を返し、血塗れの鞭を机へ無雑作に投げて置いて、部屋の扉を開けた。そこには執事の格好をした男が立っていて、国王の指示を待っていた。


 国王は執事に告げる。兵の準備は要らない。その代わりに『英雄』に戦いの準備をしろと伝えろと。一国を滅ぼせる力を持つと謂われている龍だが、もう既に二国滅ぼしていて、更には此方にも向かってくると推測される。


 そんな化け物のような種族が相手ならば、多少魔物と戦える兵士を仕向けたところで焼け石に水だろう。ならば無駄に兵士を消費するのではなく、最初からジヒルス王国最強の存在である『英雄』をぶつける。


 噂程度にしかなっていないが、『英雄』は過去に龍を一体殺している。だがそんな奴が仮に、万が一にも負けた時には、大人しく国諸共消える覚悟が、国王にはあった。どうせ此方に恐ろしい速度で向かってきているのだ、逃げようにも時間が足りないし、逃げたところで魔法でも何でも使って追い掛けてくるだろう。どちらにせよ『英雄』が敗北すれば死ぬのは確実。ならば最強の種族と人間の『英雄』の戦いを生で観戦した方が面白い。


 国王はどちらに転んでもいいとでも言うように、張り付けた微笑みを深くして部屋から出ていった。一人取り残されたスリーシャは苦しそうに気絶から目を覚まし、うっすらと目を開けた。此処に来て二日、スリーシャは国王に拷問のような仕打ちを受けていた。何故こうなったのかは解らない。


 何時ものように森を見守っていたら、森に人間がやって来た。最初は何もせず、森を調べて帰っていったが、日にちが経つにつれて森に生えている木を荒らしたりし始めた。そして強い魔力を持つ人間が大樹を見つけた。そこからだ、可笑しくなったのは。森を荒らすならば出て行けと忠告してからだ。


 大人しく帰って行ったと思えば、直ぐにまたやって来て、再び忠告して森から出て行かせようとした時、人間は森に火を放った。そして大樹にも火を放ち、小さな精霊をも捕まえていった。これ以上精霊に手を出さないでくれと、自身が身代わりになったというのに、人間は嘘をついてスリーシャを捕らえた後、小さな精霊をまた捕まえ始めた。


 何度言っても精霊を捕らえることは止めず、最後には殆どの精霊が捕らえられてしまった。スリーシャは小さな精霊の上位の存在だ。故にある程度の耐久性は持っている。


 だが小さな精霊達は、そうもいかない。ルサトル王国で無理矢理魔力を搾取されたことで、小さな精霊達は皆死んでしまった。スリーシャは小さな精霊達の分も搾取していいから、解放してあげてくれと頼み込んだが、結局はこの有様である。


 このままジヒルス王国の国王に殺されるのだろうと思っていた。だが先程の話だ。リュウデリアが……100年程前に少しだけお世話をしたあの黒龍のリュウデリアが……自身の事を探して追ってきているというのだ。それも森に攻め込んで来た国と、魔力を限界以上に搾取した国を消したという。


 十中八九取り戻そうとしてくれているのだろう。その行動が嬉しくないと言えば嘘になるが、だからこそ此処には来て欲しくないと切実に思う。スリーシャはこの二日間で一度だけ国王が言っていた『英雄』を一目だけ見た。その一目だけで、他の人間とは格が余りに違いすぎるのを肌で感じ取った。あれは強者だ。龍を殺したというのも恐らく本当だと直感してしまう程の何かを、その身に宿していた。


 スリーシャは意識を飛ばしそうになりながら、此方へ向かっているリュウデリアに届くように、強く念じた。




 ──────リュウデリア……私の事は良いですから、此処へ来てはいけません。お願い……リュウデリア、此処へは来ないで……。








































 ──────スリーシャが最後のジヒルス王国とやらに連れて行かれてどれ程経つかは解らん。スリーシャが既に殺されているという可能性は当然有る。だが逆もまた然り。ならば……俺に出来るのは出来うる限り早くジヒルス王国に辿り着き、人間を皆殺しにして殲滅する。……それだけだ。




 莫大な魔力を背後への放出だけに全て回し、音を置き去りにする超速度を推進力で実現させる。雲を吹き飛ばし、地上にすら引き起こされたソニックブームの衝撃波が届いている。薙ぎ倒す程ではないが、生えている木が揺れるほどのものが訪れる。リュウデリアは初めてとなる自身で出せる速度以上の速度下で、冷静に魔力のコントロールを熟していた。


 空気摩擦で熱を生じさせるが、リュウデリアの純黒の鱗はその程度の熱をものともしない。だが心の内は異常に熱い。愚かな人間に対する憎しみと憤り。それが黒い禍々しい炎となって燃え上がっているのだ。逃がさないに逃がしてやる気は無い。ジヒルス王国の人間は殲滅すると決めている。己の手で必ず。


 リュウデリアは国を一撃で消し飛ばす魔力と力、魔法の技術を持っている。なのに態々自身で王国の中に入り込み、直接人間を殺しているのは、死ぬ今際の際まで恐怖を与えるためだ。魔法を使って一撃で殺すのは容易いが、それだと龍を憤らせた身の程を弁えない行動に対する対価を払わせる事が出来ない。故に一度で滅ぼすのではなく、態々己が攻め込むのだ。


 ルサトル王国から飛んで数十秒が経過した。たったそれだけの時間でリュウデリアは目的のジヒルス王国に辿り着いた。しかしリュウデリアはジヒルス王国の違和感に気が付いた。先の二つの王国は直ぐに兵士を出してきたというのに、ジヒルス王国はリュウデリアが上空に現れ、降りてきても兵士を投入することは無かった。


 だが、その代わりにジヒルス王国の前にある開けた地に、一人の人間の姿が見えた。たった一人で仁王立ちしているその人間からは、これまで魔力を内包する者の中で、断トツの魔力を内包していた。突然変異で巨大に成長したジャイアントレントをも圧倒する、文字通り圧倒的魔力である。そして同時に強大な気配も感じ取り、小さいのに大きい存在に見えてしまう。




「──────やァっと来やがったか。待ちわびたぜ?国を滅ぼして回ってる黒龍サンよ」


「……………………。」


「はは。お前が喋れる事は知ってるぜ。だから勝手に喋らせてもらうが、お前の目当てである精霊なら、今は手出しすんなって言ってある。お前が精霊に無駄な心配や焦りを感じて、動きが疎かになっても困るからなァ」


「……貴様は俺に何の憂いも無く殺し合えと言うのか」


「お…?喋ってくれんのか。……そうだ。俺は過去に龍をぶち殺してやった。だがそれは龍の子供だ。大した戦い方も知らねぇガキを殺したんだ。だがお前は違ぇだろ?俺は真っ正面から龍と戦って勝って……本物の『英雄』となる」


「は、下らんな。所詮は他者からの評価と、眼を曇らせる栄光が欲しいだけだろう。そんな糞の役にも立たんものの為に死にに来るとは。愚か極まるな──────反吐が出る」


「人間で男に生まれたんだぜ?──────英雄を目指すのは珍しい事じゃないんだよッ!!」




 龍であるリュウデリアを前にして闘気を失うどころか、寧ろ闘気と殺意を漲らせ、リュウデリアへその手に持った2メートルはあろう大剣を軽々しく持ち上げ、人間とは思えない驚異的な跳躍力で、全長25メートルあるリュウデリアの顔までやって来て大剣を振り下ろした。


 ジヒルス王国の英雄をしているこの男は、190はある高身長に筋骨隆々の恵まれた肉体。浅黒く焼けたその肉体には所狭しと傷が刻まれており、その鋼のような肉体を惜しげも無く晒している。着ている服はズボンだけ。明らかな肉体派の戦闘スタイルを思わせる。目は鋭く、口は獰猛な笑みを作っていた。


 振り下ろされる大剣にリュウデリアは目を細め、空中の英雄に向けて硬く握り込んだ右拳を振り抜いた。衝突しあう大剣と右拳。衝撃波が発生して火花が散る。英雄の男は大剣で思い切り叩き付けたにも拘わらず、火花を散らして切り傷すら付かない異常な硬度のリュウデリアの純黒の鱗に挑戦的な笑みを浮かべた。今振り下ろしている大剣は、鋼を豆腐を斬るが如く両断する業物の名剣である。


 だが英雄の男は驚きはしない。最強の種族である龍を人間が鍛えた業物の名剣程度で易々と斬れるとは考えていないからだ。しかし名剣で斬れない鱗を殴って砕く何て芸当が出来るかと言われれば、英雄の男は否と答えるだろう。強敵との命の奪い合いを、これまで数え切れない程行ってきた。それ故に無駄な自信は持たないようにしている。油断して死ぬ等、笑い話にすらならないからだ。


 英雄の男はリュウデリアからの殴打の威力に逆らわず、大剣を一つのクッションにして受け止め、体に伝わろうとする殴打の絶大な威力を殆ど殺して、後方へと飛んで下がっていった。空中で体勢を整え、音も無く体格に似合わない軽快な着地をしてみせた。獰猛な笑みを浮かべながら、リュウデリアと衝突させた大剣の刃を見てみれば、大剣の刃は既に大きく刃毀れしていた。英雄の男はそれを見て声を上げて笑ってしまった。



「くはッ!はははッ!!いいねいいねェッ!?名剣でも斬れねぇどころか、刃を毀れさせるその異様に硬い純黒の鱗…!俺の腕力に真っ向から打ち勝つ膂力ッ!!楽しみで胸が高鳴るなァッ!!悪いが黒龍、俺は早速全力で行かせてもらうぜ?……──────術式起動」




「……あれは……」




 英雄の男が足元に赤い魔法陣を展開すると、ジヒルス王国の方から魔法発動による魔力を感知した。籠められた魔力は膨大で、数は200ほど。その全てが独りでに動いて此方へ向かってくる。リュウデリアの眼に映ったのは、ありとあらゆる種類の武器だった。


 一つ一つから強大な魔力が内包されているのが感じ取れ、その全ての武器を英雄の男一人で操作しているのだ。極められた魔力操作技術と精神力、そして膨大な魔力が織り成せる技である。


 空を渡ってやって来た数々の武器は英雄の男の周りに突き刺さって止まった。針山となった地面を歩ってリュウデリアの方へと進み、刃毀れした大剣を後ろへ放り投げて捨て、無雑作に槍を手にして鋒を向けた。魔力を帯びた武器は見る者を圧倒させる魅力を醸し出している。これで相手が普通の人間ならば、忽ち降参を宣言するだろう。それ程の覇気を纏っていた。




「俺は今でこそ『英雄』と呼ばれているが、お前の前では名乗らねェ。その代わりに違う名を名乗らせて貰うぜ。俺はダンティエル、通称『千剣せんけん』のダンティエルだ。本来武器千本は操れるんだが、生憎お前とやり合えそうな武器は200ぐれェしかないんでな……ま、よろしく頼むわ。殺し合う前にお前の名前も教えてくれよ」


「……リュウデリア・ルイン・アルマデュラだ。どうせ今から死ぬ身だ、覚えんでいい」


「ひひッ。なら──────覚えていられるようにお前を仕留めねェとなァ──────ッ!!!!」




 ダンティエルはその場から忽然と姿を消してしまった。常人にはまず見切れない速度だ。だがリュウデリアの眼には捉えられていた。自身の動きを眼で追い掛けているリュウデリアに、ダンティエルは楽しくて楽しくて仕方ないとでも言うように笑みを深くし、リュウデリアの背後へ回って足首を狙った。


 全長25メートルに達するリュウデリアの体は、鱗や筋肉によって重量が尋常ではない。そしてその超重量を支えているのは、二本の足と尻尾である。その内の一本を奪ってしまえば、地上に於ける動きはかなり制限されるだろう。見た目からは想像できない計画的な行動。ダンティエルは筋肉が薄く、他よりは刃が入りやすいだろう関節の足首を狙った。


 ダンティエルが足首を槍で突き刺そうとしているのを見ずに、リュウデリアは尻尾の先端に魔力で刃を形成し、槍が鱗に到達する寸前でダンティエルごと両断しようとした。振り下ろされる尻尾と純黒なる魔力の刃。それを直感のみで察知して後ろへとバックステップで方向転換した。槍はリュウデリアの魔力の刃によって抵抗無く斬られた。


 これでもかなりの鍛冶屋が鍛えた逸品なのだが、まさか魔力で作った即席の刃で易々と斬られるとはな……と、ダンティエルは魔力の刃の切れ味に感嘆としながら走り回って撹乱し、地に突き刺さった武器の中から片手剣二本を持ってリュウデリアへ突撃する。


 真っ正面から突っ込んでくるダンティエルに対し、リュウデリアは尻尾の魔力の刃を消さず、串刺しにする気持ちで刺突した。見上げる程の巨体の割に俊敏なリュウデリアにまた感嘆としつつ、目前まで迫ってきた魔力の刃を跳躍して躱し、尻尾の上に乗って伝って走り、また跳躍してリュウデリアの眼に向かって二本の剣を突き出した。


 流石のリュウデリアでも、眼球に剣を突き立てられれば失明するし、奥に突き込まれたら脳に届いて死ぬ。かと言って今から手を動かして防御しようにも間に合うかは解らない。そこで密かに、口内で準備をしていた魔力を解放した。放たれるのは純黒の光線。ダンティエルはほぼ零距離で空中だ。避けられる訳が無く、耐えられる訳が無い。


 だがリュウデリアはダンティエルが生きていることを解っていた。口内に溜めていた魔力を解放して呑み込もうとする瞬間、下から何かがやって来て、ダンティエルを攫って光線の射線上から間一髪で離脱したのだから。目を細めながら頤を上げて上を見ると、大剣の上に乗って宙に浮かぶダンティエルの姿があった。




「俺の魔法は予め武器に施した魔法陣を使って自由自在に操る。範囲は半径十キロ。同時に操れる最高記録は1246本だ」


「何だ、己の力を誇示したいのか」


「楽しくてお喋りしちまうんだよ、ハハッ!それと、お前はアレだな……龍の突然変異だろ?普通の龍は四足歩行だからな。お前みたいな人間に近い姿形をしてない。それにその、お前の体に内包されている底が見えない魔力だ。どう考えても普通じゃねェ。龍……という事を考慮してもな」


「……………………。」


「おっと、勘違いしないでくれよ?侮辱してるンじゃない。突然変異だな……と思っただけだ」


「……………………。」


「俺もな──────生まれながらにした突然変異の人間なんだよ」




 今でこそ『英雄』と謳われて讃えられているものだが、元々ダンティエルは治安の悪いスラム街の生まれだった。何らかの理由で一般住宅街から追い出されてしまい、お金も無く、頼る存在も居ない者達が行き着くゴミ溜めのような場所である。父は薬物中毒とアルコール中毒で真面な言葉を喋る事さえ出来ない。母は体を売って小銭を稼いでいた。


 ダンティエルはお金も無く、友達も居らず、頼れる人も居ない。そんなダンティエルに有ったのは……幼い子供にして発達した筋力と、子供が内包出来るとは思えない膨大な魔力。故に取れる行動は一つ。金を持っている者達を襲って金品を奪う。両親が魔力も持っておらず、況してや恵まれた肉体を持っていない一般人から生まれたとは思えない、天性の肉体。それだけで何年も生き延びた。


 指名手配されてからは森に行って魔物を狩って資金源とし、成長してからは傭兵として戦場に赴き、数え切れないほどの敵を殺した。それからだ、周りが敵を殺すごとに褒め讃えるようになったのは。元が指名手配されていた者だとは思えない栄光を掴んでいき、戦場の落ちている武器を使って敵勢力を殆ど一人で壊滅させ、幼いが龍を殺した。


 ダンティエルは己の力のみで今の地位を手に入れた。だがその力で慢心したことは無い。だからこそ死ぬかも知れない壮絶な戦いも、屈強な精神力と戦いの才能、そして日々を努力で塗り固めたダンティエルだからこそ、最後は必ず打ち勝ってみせるのだ。




「突然変異は普通じゃ生まれないところから、特別な何かを持って生まれた存在だ。何かが優れる代わりに……何かを犠牲にしている場合も有る。俺達のような存在は完璧な突然変異の類だ」


「……要領を得んな。何が言いたい」


「俺はな……嬉しいんだよ。これまで俺と同類の奴なんて会った事が無くてな。況してや相手は最強の種族である龍の突然変異と来た。俺にとってこれ以上の存在は居ない。だからありがとよ……純黒の龍リュウデリア・ルイン・アルマデュラ。俺は今、最高の気分だッ!!」


「……そこまで言うのならば、お望み通り最高の気分のまま殺してやる。精々誇るが良い──────貴様には俺の力を見せてやる」


「ひひッ……そりゃ楽し──────」




 ダンティエルはリュウデリアが見上げる位置に居た。高さで言うならば40メートル位だろうか。つまり眼下に居るリュウデリアが動けば解るのだ。話してはいたが、リュウデリアの事は注視していた。つまり不意打ちやその類の事は事前に分かるということだ。だがダンティエルは不可解だった。一体どうやって……目の前に現れて拳を既に振り抜いているというのか。


 空中に居るダンティエルの目の前に居て、そして尚且つもう既に拳は振り抜かれて目と鼻の先。脳裏に浮かぶのは……濃厚な死。強靭な肉体を以てしても耐えることは出来ないと無意識に悟るほどの一撃だった。そこからの動きは完全な無意識だった。手に持っている二本の剣を平行して構え、迫り来る拳に当てて刃に擦らせて自身の体と共に逸らせた。


 しかしリュウデリアの拳の威力を完全には殺しきれず、乱回転しながらリュウデリアの横を通って吹き飛ばされていった。そこで直感が働いた。必ず横から追撃が来ると。周囲を確認するまでも無く、直感に従い、足場にしていた大剣の腹を使って自身の体を真下に叩き付けた。ダメージを受けるが、一撃必死の攻撃を躱すことに成功した。


 ダンティエルの居た所に、尻尾の先に形成した魔力の刃が紙一重で通っていった。避けねばダンティエルの体は今頃真っ二つに両断されていた。それを理解していたからこそダンティエルは、戦闘が開始されてから初めてとなる冷や汗を流していた。大剣を全力で叩き付けた事で地面には直ぐに着地した。そして間髪入れずに横へと緊急回避する。


 上から残像を帯びながらリュウデリアが現れ、ダンティエルに向けて振りかぶった左拳が振るわれる。それをまたしても間一髪で回避したのだが、リュウデリアの拳はそのまま大地へと吸い込まれていき、叩き付けられ、陸が揺れたと錯覚する程の震動が発生して地面が円形に陥没し、巨大な亀裂が蜘蛛の巣状に奔った。受けていれば確実に原形が分からなくなる程潰されていたというのが、想像に難しくない。




「ぐっ……っ!なんッつー威力だ…っ!?見たことがある最上級魔法でもここまでの威力は無かったぞ……ッ!?それに更に厄介なのはあの速度だッ!あの巨体で何故そこまでの速度で動ける!?俺ですら残像を捉えられるかという域……クソッ!!術式起動、一斉掃射ッ!!」




「──────『略奪の権限ジャック』」




「──────はっ!?そんなことまでアリかよ…っ!」




 打ち込まれた殴打の威力に舌打ちをし、突き立てられた数々の武器を一斉に浮かび上がらせてリュウデリアへと殺到させた。だがその刃達が届く前に手を翳して純黒の魔法陣を展開すると武器達は動きを止め、向きを反対方向へ変え、ダンティエルの方へと突き進んでいった。


 リュウデリアがジヒルス王国に来る前から武器に施した操作するための魔法陣を、リュウデリアが更に魔法で乗っ取ってしまった。今やダンティエルに向かってきているのは、リュウデリアの操る武器だ。ダンティエルはリュウデリアの出鱈目さに改めて気が付く。初めての筈の武器の操作は完璧だ。軌道を読まれないように一本一本が出鱈目な動きをして迫ってくる。


 操作する本数も最初から200本以上を軽々とやってのけている。普通は一発目からは成功しない。一本だって満足に動かせない筈だ。それをリュウデリアは、あろう事か初めてで長年操ってきたダンティエルと互角程の操作を見せ付けた。乗っ取られていない大剣の腹に乗って空中へ退避する。その後を追い掛けてくる200本以上の武器。速度は操られている武器が上。


 少しずつ迫ってくる武器を振り切ろうと、思い付く出鱈目な軌道で空中を駆けているというのに、一本も引き離せない。如何すれば撒く事が出来るのか。そう考えた瞬間、足下の大剣が突然粉々に砕け散った。本当に突然の事に、ダンティエルは頭が真っ白になってしまった。そして武器の群が追い付いてしまった。もう迎え撃つしかない。


 ダンティエルは足場が効かない空中で、突撃してくる武器を両手に持つ剣で弾き飛ばしていった。雄叫びで気合いを上げ、瞬きもせず、10、20、30……と武器を弾き飛ばし続けた。そしてダンティエルは、つい前からやって来る夥しい武器に気を取られ、背後で振りかぶっていた大鎚の存在に気が付かなかった。


 背中を打撃する大鎚。奇襲による驚きと、背中への一撃で呼吸困難になりながら、ダンティエルは自身に突如訪れた状態に驚愕した。




「──────『見聞き奪い不話を為すベネクタァ・スリィエンス』」




 瞼を開けている筈なのに景色が見えない。知らぬ内に眼を傷付けられて失明したのかと、手を当ててみるも傷の類は無い。そして何も聞こえない。耳も何かされていないか確認してみるが、耳が飛ばされていたり何かがあった訳では無さそうだ。そして声。何が起きた…、と言ったつもりだったのだが、口を動かした感覚はあれど、自身の声が聞こえない。喋れていないのだ。


 これはリュウデリアの魔法である。視覚、聴覚、発声を奪う魔法だ。これをダンティエルを背中から襲った大鎚に付与しておき、叩き付けて直接対象を変えたのだ。


 見ることが出来ない。何も聞こえてこない。声が出ない。普段当たり前にやっている事を突然奪われた人間は、正常に動く事が出来なくなる。どれか一つでも奪われると行動に支障を来すというのに、ダンティエルは一度に三つも主要な部分を奪われた。しかし流石は『英雄』とも言うべきか、地面に真っ逆様で落ちても着地を完璧に熟し、見えず聞こえずでも、的確に上から飛来する武器をはたき落としていく。


 弾かれた数多くの武器がダンティエルの周囲に乱雑に落ちていく。武器が飛来する時に生じる風切り音を聞き分ける事も出来ない今では、出来ることは一つ。大気の歪みを肌で感じ取って飛来する場所を予測し、類い稀なる身体能力を限界まで活用し、今のように武器を弾いているのだ。


 声は出ていないが咆哮し、武器を弾き続ける。120、130、140……と弾いていき、後少し…後少しで全て弾くことが出来る。そう思った瞬間のことだった。ダンティエルは下の方で何かを感じた。大気の歪みが生まれたと感じたのだが、気のせいだったのだろうか。そう思うと同時に、体が下に落ちるように高さがズレた。何が…と思ったが理解した。足二本が膝当たりから両断されたのだ。


 今先程の大気の歪みは勘違いなどでは無かった。物体の通る速度が速すぎて感じ取れなかったのだ。遅れてやって来る痛みに顔を少しだけ歪ませていると、ダンティエルの奪われた視覚、聴覚、発声が戻った。そして視界が戻ると同時、三つ叉の槍と両刃の西洋剣が目前まで飛来してきており、ダンティエルの両腕を肩から奪っていった。


 上がる血飛沫。飛ばされていく両腕。飛んできて腕を奪った武器によって後方へと倒れて仰向けとなった。広がるのはリュウデリアがソニックブームを起こしながら来たことで雲が吹き飛び、顔を見せた澄み渡る青い空だった。ダンティエルは頭を持ち上げて、前に居るだろうリュウデリアを見た。そこにはやはり、尻尾の先に魔力の刃を形成していたリュウデリアが居た。それと色々な箇所で両断された武器がそこかしこに散らばっている。


 直感的に理解する。自身が懸命に武器を弾いている間に、リュウデリアは自身が後少しで全て弾き終わると、ほんの少し安堵から来る油断を突いて、飛んでいたり弾かれて地面に突き刺さった武器ごと自身の脚を斬ったのだと。完全に自身の落ち度。そしてリュウデリアの作戦による勝利だった。




「……くくッ。はははっ。あーはっはっはっはっはっはっはっ!!あ゛ー清々しい気分だぜ。脚は膝から下が無ェし、腕は肩からバッサリ。武器は乗っ取られて一本も動かせねェし、予備は存在しない。こりゃァお手上げだわ。俺の敗けかァ……」


「……貴様は俺が生まれてこの方、100年余りで出会った中で最も強い存在だった」


「はははっ。無傷の奴が言うンじゃねーよ。嫌みか?くくッ。……しっかし、まだ100年しか生きてねェのかよ。龍にしてみればまだまだガキじゃねーか。つまり、お前はこれから先、今とは比べ物にならないほど強くなるわけだ。かーっ!!そんなお前とも戦ってみたかったぜ!ま、無いもの求めても仕方ねーわな。俺は潔くここで散るとしますかねェ」


「お前は強い。強いが今回は俺の方が強かったというだけだ。だが覚えておくぞ、お前の『千剣』のダンティエルという名を。欲を言うのならば『千剣』の由来となった操られる千の剣を見てみたかった」


「……俺はダンティエル・ブレイワークス。来世が有るならまた会おうぜ。今度はお前を完膚無きまでにぶちのめしてやるよ」


「ふん。来たところでまた殺してやるが、期待せず待ってやる。ではな、ダンティエル・ブレイワークス。突然変異同類に生まれし人間」


「じゃあな、リュウデリア・ルイン・アルマデュラ。俺が生まれ直すまで精々長生きしろよ」




 リュウデリアはダンティエルから踵を返してジヒルス王国の方へと歩みを進めた。そして右手の人差し指を上に向かって振ると、ダンティエルから乗っ取ってまだ使える100本程度の武器を上空へ飛ばし、仰向けに倒れ込んでいるダンティエルに差し向けた。


『英雄』とまで謳われたダンティエルは、降り注ぐ数多の武器を見ながらぼうっとして考える。これまでの戦いに明け暮れた日々を。どんなことよりも強い奴と戦うことが好きだった。体を動かしていると生きていると実感する。窮地に立つと快感すら覚えた。


 強い奴と戦って死ぬなら本望だ。常にそう考えているし、覚悟なんて魔物が蔓延る森へ行こうと決心した子供の頃から出来ている。だが…それでも……リュウデリアとの戦いは最高に楽しかった。全力でやって傷一つ付けられない、絶対強者。最強の種族でありながら突然変異として生まれてきた純黒の黒龍。悔いは無い。だが未練はあった。




「…っ……くっそッ。まだまだアイツと……やり合いたかったなぁ……っ!!今度はぜってー敗けねェからなァッ!!覚悟しやがれェッ!!!!」




 ダンティエルは嬉しそうに、哀しそうに笑みを浮かべながら、リュウデリアに届く程の大声で叫び、数多の武器に体を突き立てられ、『英雄』はこの世から去った。


 最後のダンティエルの叫びがリュウデリアに届いたのかは分からない。だがリュウデリアの尻尾は左右にゆらゆらと揺れている。まるで別れを告げて手を振っているようだった。




























 人間の中でも限られた者しか到達出来ない『英雄』が死に、最強の種族として共通認識を持たれている龍がやって来る。兵士では刃が立たないのは火を見るより明らか。故にジヒルス王国の国王は城につけられている屋上テラスまでやって来ていた。傷だらけで死にかけの精霊であるスリーシャを連れ、国王は絶えない微笑みを浮かべながら、此方を見ている純黒の黒龍の瞳を見つめ返した。


 ジヒルス王国の建築物を歩くだけで破壊され、土を魔法で操って王国の全ての出入り口を塞がれた。やはり人間一人だって逃がすつもりは毛頭無いようだ。そして城の前までやって来て、国王とスリーシャが出て来るのを見ていたリュウデリアは、スリーシャの状態を見て膨大な魔力を溢れさせた。


 あれだけの戦いの後だというのに疲労の色は全く見えない。感じ取れる魔力は底など無いようにすら思える。『英雄』の一撃を受けても無傷の純黒の鱗は美しく、国王には今まで見てきたどんな絵画や宝石、傾国の美女等よりも綺麗に見えた。欲しい。そう短絡的に考えるほどの魅力が前にある。だが国王は頭を振って煩悩を消した。今から死ぬのに、そんな想いは抱くだけ無駄だと。




「──────ようこそ。純黒の龍」


「……塵芥風情が。お前はスリーシャを甚振った──────真面に死ねると思うなよ?」


「分かっている。そもそもダンティエルが敗れた時点で俺達が死ぬのは決定していた。どんな死でも甘んじて受けるとも。……それよりもそら、精霊を受け取らんでいいのか?俺が言うのも何だが、もう死ぬぞ」


「……精々苦痛のある死を遂げるが良い」




 リュウデリアは魔力の操作で傷付いたスリーシャを浮かび上がらせて掌の上に寝かせ、外的要因による刺激が無いように、純黒の膜で覆った。これでリュウデリアのスリーシャ奪還は果たした。あとは、このジヒルス王国の民と国王を皆殺しにして殲滅し、国を滅ぼすだけだ。


 用が済んだリュウデリアは翼を広げて飛び立ち、上空から純黒の球体をジヒルス王国の中間位置に投げ落とした。落ちてきた莫大な魔力が籠められた球体に、人々は騒然としたものの、直ぐにそんな騒ぎは別の騒ぎへと切り替えられた。




「──────『迫り狂う恐怖フゲレス・フォーミュラァ』」




 ジヒルス王国の国王を除いた全ての人間に、同士討ちを強制させる魔法を掛けた。突如始まる人間同士の醜く残虐で凄惨な殺し合い。それを一人だけ見届け、正常な意識を持ったまま誰かに嬲り殺される時を待つ国王。生きる為に、徹底的に嬲られて殺されることだろう。それを分かっていて尚、国王の表情には変わらない微笑みが張り付いていた。


 ジヒルス王国はジヒルス王国の民の手によって生存者は0となった。生き残った最後の人間も、正常に戻った頭で狂った己の行いに耐えきれず自決。惨い殺され方をした死体だけが国内に捨てられていた。それから暫くして、ジヒルス王国は純黒の光に包まれてその姿を完全に消すこととなった。


 後日、突如姿を消したジヒルス王国の国王の署名が入った手紙が風に流れて近くの王国に渡り、拾って読んだものが一大事だと国王に渡した。それから、その国の国王は世界に向けてメッセージを伝えた。曰く、純黒の鱗を纏いし黒龍……リュウデリア・ルイン・アルマデュラは日を跨ぐことなく三つの国を滅ぼし、数少ない選ばれし『英雄』をも正面から容易に屠った。


 見つけた者は死を覚悟するべし。彼の純黒の龍に慈悲は無く、逆鱗に触れれば訪れるのは殲滅である……と。



 たったの一日で3つの国を跡形も無く消し去った純黒の黒龍に、人間は恐怖した。今は亡き一国の国王にここまで言わしめる存在である。人々は恐怖の象徴として、リュウデリアに二つ名を付けた。




殲滅龍せんめつりゅう』……純黒の龍であるリュウデリアに付けられた名である。




 因みに、それを本人が知るのは更に数日後の話である。

























 リュウデリアはこれ以上無く速度を出して飛んでいた。望み薄かも知れないが、スリーシャが宿っていたあの大樹の元まで連れて行こうと思ったのだ。件の大樹も既に大部分が焼けてしまっているが、完全に死んでしまった訳では無い。まだ辛うじてだが生きている。


 掌の上にある純黒の膜の中で眠っているスリーシャからは、魔力を微かにしか感じない。そして生命力から来る気配もかなり薄い。本当の死にかけであった。あと数分もすれば、スリーシャの生命活動は止まる事だろう。故にリュウデリアは珍しく焦った表情をしながら森を目指し、大樹の元まで急いだ。




「──────スリーシャッ!!着いたぞッ!お前の宿っていた大樹だッ!!今すぐ傷を癒せッ!!」


「……………………。」


「おいスリーシャッ!!目を開けろッ!!眠っていると本当に死ぬぞ!?聞こえているのか!?」


「……………………。」


「この俺に助けられたというのに、お前は俺と一言も交わすこと無く死ぬつもりか!?そんなこと俺が許さんぞッ!?」




 森の上を飛んで大樹の元までやって来たリュウデリアは、純黒の膜を解除して、元々スリーシャの本体が入っていた大樹の根元に割れ物が如くゆっくりと横たわらせた。しかしスリーシャは目を覚まさず、それどころか傷の回復すらしない。まさかそんなことも出来ない程弱っていたとは……と、リュウデリアは手を握り締める。


 大声で話し掛ける。喧しさで目を覚ますならば幾らでも声を張り上げる。だがそれでもスリーシャが目を覚ます様子が無かった。リュウデリアはもう如何すれば良いのか分からなかった。魔法による回復をリュウデリアは行えない。傷を治す魔法なんてものは存在せず、有ったのは今よりも遙か古代で、今では失われた技術だからだ。


 ぶっつけ本番でやろうにも、今やってほんの少しでも間違えれば、体力が残っていない今のスリーシャでは到底堪えきれない。如何すればいい?如何すればスリーシャが助かるというのか。リュウデリアは歯噛みする。こうなるならば一々憎い王国を滅ぼして回るのではなく、場所を無理矢理聞き出してスリーシャを奪還し、後で滅ぼしに行けば良かった。


 過ぎ去った事はもう変えられない。発達した聴力がスリーシャの掠れた息遣いが少しずつ間隔が広くなり、浅くなっていった。今まさにスリーシャが事切れようとしていた。リュウデリアに出来ることは……もう無い。




「──────その者の傷、私が治してやろうか?」




「──────ッ!?…………何者だ、お前」




 事切れる寸前のスリーシャの前で座り込み、項垂れるリュウデリアの元へ澄んだ美しい声が聞こえてきた。ハッとして瞠目したリュウデリアは頭を上げて声がした方を見た。腰まである長く細い煌びやかな純白の髪。真っ白でヒラヒラとしたキトンのような服を身に纏い、服の下にある肉体美が人の情欲を誘う。


 程良い大きさの胸部に、括れた腰。形の良い臀部。人間が居ればその絶世な美しさに心を奪われるだろう。だがリュウデリアは龍であり、それ以上に気配を感じさせること無く、近くまで寄ってきていた事に警戒心を抱いた。


 それを知ってか知らずか、女は神がかっている整った顔立ちに微笑みを浮かべ、リュウデリアの方へと近付いてくる。まるで警戒する必要は無いと語るように。







 リュウデリアに何者かと問われた、この絶世の美女の正体は何なのか、まだ解らない。だがそれとは別に、スリーシャの命のタイムリミットが刻一刻と近付いていた。






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