第574話 サウロイドの神頼み(後編)

 人類の巨大ソーラーパネル群、通称「電気農園」の真ん中にポツンと佇む地上施設でマリー、リピア、エラキは刹那の立て籠もりを演じていた。この地上施設は巨大な地下施設の一部、いわばであり本体は地下1階、2階に広がる変電・蓄電設備であった。実際のところ地上部分はのようなサイズに過ぎず、同じ量産構造パッケージの他の区画では休憩(地下生活だけでは息が詰まる)やミーティング、研究の部屋として活用されていたが、電気農園ではただの地下への入口に過ぎなかった――ゆえに


『中尉。私を戦力としてカウントするのなら』

 エラキは損傷した月面服の、胸の辺りからシューシューと漏れる空気を押さえながら言った。テープで補強するが空気漏れを完全に止めることはできない。

『急いだ方がいい』

 目標は簡単でA棟に戻る事だ。特に確実なのはボーア博士らがいるA-22区画に戻る事だが(サウロイドが裏切ったと知らない彼らは内側から開けてくれるだろう)もしどの区画にも入る事ができよう。

 問題はA棟に戻るための手段である。その手段について――

『ビッグバグの穴をいきましょう…!』

 リピアはもう一度、言った。月面を往くのではなく敢えて蟻の巣穴の一端に飛び込もうというのだ。

『さっきの地震で穴が開いたとするなら、すぐ近くにあるはずです』

憶測それだけは…かなり…』

 かなり厳しいわね、とマリーは答えた。ヘルメットで顔は見えないがエラキも同様の表情であろう。

『いえ…あ! そういうわけではありません』

 リピアはこの混乱のせいで、を伝えられていないまま自分だけで話を進めている事に気づき慌てて訂正した。

『そうではなく、私はのを見ました。それはビッグバグがソーラーパネルの一部を破壊した事を示す…と思えませんか?』

『なんですって!? それを早く言いなさい』

 マリーの瞳孔は獲物を見つけたフクロウのようにニュゥーと拡大した。集中力や期待が膨らむときに起きる生理現象だ。

『…どうです?曹長』

 階級こそ一番下だが年長のエラキの判断は重い。

『行けるかもしれん』

 電気農園のビッグバグの穴が開いたというならば、そこまで移動できる可能性はある。何故なら農園の名の通りソーラーパネルが大麦やトウモロコシの畑のように機能して、六弦弓兵スナイパーから彼らの体を隠してくれるからだ。


『ええ。月面を行くよりは…』

 リピアは「何も遮蔽物の無い月面を六弦弓兵に背中を見せつつ駆け抜けるより、穴を目指す方が可能性がある」と強調した。

『わかっているわ。でも、それは本当に穴があればの話で…いえ』

 マリーは言いかけて止めた。リピアに不平しても何も始まらない。外の情報が分からない以上、賭けに出るしかないのだ。

『こうなれば神頼み…ですかね』

『ああ』

 エラキはもう腹が決まっているようだった。

 このとき背後では地下へ降りる階段を封じる扉がギギギと歪むような音を生じさせていた。扉の向こうに蟻兵が集まり、テコか何かを使って扉をこじ開けようとしているようである。

『だがを軍神は助けない』

 そう言うとエラキは、馬中佐からナイフを取り出し、おもむろに自分の靴に穴を開けてしまった。エラキとリピアの靴はボーア博士があつらえてくれたもので、足袋のように彼らの指(爪)が独立するようになっているのだが、その“指袋”の先端に切り込みを入れた形である。

『曹長、なにを!?』

 エラキはその穴から爪を引き出し、爪の根本と捲り上げた指袋をテープでグルグルに巻いた。

 そこまで見て二人はこれが何を意図したものか、理解する。

 爪は彼らにとって可動式のスパイクシューズだ。特に重力の弱い月では大地を掴む爪の有る無しでスピードは倍は違うだろう。こうして爪を自由にすることでサウロイド・ラプトリアンの真の速力を発揮する事ができるわけだ――

『さぁ、お前たちも覚悟を決めろ』

 エラキはそう言って、ナイフを二人に放った。


――――――


『…臨機応変に』

 そうして、いよいよリピアが二重扉エアロックに手をかけたときマリーが言った。

『もし弓兵を討てたらA棟へ。ダメなら穴に』

『了解です…!』

『うむ。そして若人よ』

 エラキはとばかりに2人の目を見て言った。

『捕虜にはならぬようにな。どんな悲惨な目に合うかわからん。戦って散れよ』

『はい』

『では…! 3…2…1…いまです!』

 リピアが扉を開けるや、その隙間からエラキとマリーはほとんど四足歩行で飛び出した!長い尻尾を水平にピンと伸ばすことで後方の重心とし、チーターのように低い姿勢で疾走する。ラプトリアンだけができるクラウチングスタートだ。そして――

『はっ!』

 エラキは左、マリーは右のソーラーパネルにゴロン!と身を転がして隠れつつ猿人間のライフルを地面に斉射した。煙幕である!

 扉の正面は、来るときにも通った道だが、一面のソーラーパネルの海原を割る一直線の切れ目となっている。ソーラーパネルの足は80cmほどの高さなので、地平線までテーブルが敷き詰められていて、その間を人一人が通れる細い道が貫いているような光景である。

『中佐がいませんが!?』

『逃げられたか…! 少尉、いまだ!』

 扉の前は狙撃を防ぐための砂塵が舞いは成功したが、扉の前で倒れているはずの中佐が姿を消している事に愕然とする。

『酸欠のはずでは!?』

 リピアは砂塵に守られつつも油断せず、身を低くして扉から飛び出て、すぐにソーラーパネルの下に身を隠した。

『彼がいないとなると戻れる場所が無いですよ!』

 内側から開けてもらうしかない、という事だ。

『ビッグバグは見たか?』

『いえ!』

こっちも見てないわ!』

『パネルの下を這って移動し、弓兵を討つしか…』

 とエラキが言った瞬間、彼は中佐がいなくなっている理由を知った。

『いや、ライトをつけろ!』

『!?』

 三人はライトを着け、ソーラーパネルのを照らす!

 するとその闇の奥で、仰向けでバンザイをした姿勢の馬中佐が力無くこちらに顔を向けたまま、ズズズ!と引きられていく絶望的の様が目に飛び込んで来たのである!

『すでに接敵していた!?』

『曹長!後ろです!』

『なに!? まだだ!迎撃!』

 三人はいきなり作戦を挫かれたが諦める事はしない。


 サウロイドの世界では、万策を尽くした者のみ神頼みをする権利を得るのだ!

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