第573話 サウロイドの神頼み(前編)

 面積だけなら人類が地球外に造った最大の建造物である電気農園、その巨大ソーラーパネル群の管理棟の二重扉エアロックを開けた瞬間、エラキは蟲人間ことI-SIPの弓兵の矢を受けた。矢といってもそれは竹筒のように太く巨大で、刺さるというよりはドンッと吹っ飛ばされたに近い。

 一瞬だけ月面そとに一歩を踏み出した体は、まるでスーパーヒーロー映画の超人的なパンチを受けるシーンのスタントで、背中のハーネスのワイヤーを4人がかりで後ろに引かれた演者のようにポーン!と管理棟に押し戻され、冗談のように通路をズサァァ!と滑るという屈辱を受けた。


 ここで幸運だったのは射られたあと二重扉エアロックが自然に閉じて追撃を封じてくれたことであり、不運だったのは人質である馬中佐を落としてしまった事である。矢は威力だけでなく精度(力の方向)も完璧だったため、見事にエラキの体だけを吹っ飛ばし、エラキの肩に担がれていた馬中佐の体は「だるま落とし」のように中空に取り残され、忘れた頃にスッとそのまま重力で落ちることとなったのだ。


――――――

『そ、外に六弦弓兵スナイパーがいるぞ…!』

 エラキは射られた胸を押さえながら言った。200kgオーバーの巨漢を誇るラプトリアンの肋骨を確実に2本はいる。

『しかし地下階からも蟻兵が来ています!』

『ともかく地下への扉は閉じて!少尉リピア!』

『は、はい!』

『地下の敵は少ないかもしれない。そうならあるいは…!』

 窮地であった。

 マリーの旅は終わったかもしれない。

 別の確率次元のアマゾンや6万光年も彼方の宇宙を旅してきた彼女だがあっけないものである――敗走する武将が山中で農民のくわか足軽の錆び刀なまくらで打ち取られるようなものだ。

『了解! こうか…!?』

 リピアは地下へ降りる階段(坂になっている)と、この地上階を隔てる扉を閉じた。この扉は何かの防壁というものではないが、月面の施設の扉が皆そうであるように気密は守られる造りになっていて多少の頑丈さを誇る。

『なるほど、これなら』

 リピアは閉じた後の扉の表面を摩りながら言った。

『もし蟻兵かれらが腕力だけで開けようとするなら、相当な人数が必要でしょう』

 ここで籠城か――という考えが一瞬よぎったが

は無理よ、曹長が』

 マリーは中腰になって(彼らは逆関節なので、片膝立ちになってその膝に腕を置く…というような屈み方はしない。卵を温めるダチョウのように両足を折りたたむ)エラキの確認しながら言った。

『服が損傷してる。猿人間の月面服、かなり丈夫だったようだけど、さすがに…』

 そう、マリーの懸念はエラキの怪我ではなかった。

 見ればエラキを打ち抜いた竹筒のように太い矢の先端(矢じり)は確かに樹脂のようなもので補強されているが、尖っているどころか、丸く保護されていた。アルミ缶の底のように見た目である。

『これは…最初から鎮圧用のそういう矢だったという事ですね…!?』

『ああ…』

 エラキは胸を押さえつつ言う。

『殺す気ではないようだ。

 ゴム弾のようなものを使ったのは生きたまま捕縛したいからで、それはつまりI-SIPが一定の知能や策略を持って動いていることを示していた。

『それも悪い事だけど』

 矢の件に向かってしまった話題をマリーが戻す。

『エラキ曹長の服は長く持たないわ…!酸素が漏れている。そして地上階ここには何もない』

 この管理棟に入ってくる時に描写した通り、地上階は他の区画のそれと同じだが、地下への階段を封じる小屋としてしか使用されていないため、借り手がつかないテナントのようにガランとしていた。

『つまりA棟に戻るしかないわ』

月面そとに…!? いえ、しかしそれしかありませんね』

『うむ…』

 エラキは「自分のためにすまん」とは言わなかった。

 籠城には無理があるし、そもそも尽きる時間に差があるだけで、マリーとリピアの酸素もこのままでは持たないからだ。と――。

 ドンドン!

 彼らを急かすように、地下への階段を封じる扉が叩かれた。音の様子から蟻兵の二、三人が扉の前に集まり出したのが分かる。

月面そとに出てからの作戦うごきを確認しましょう…!』

六弦弓兵スナイパーは扉の真正面だ。煙幕…何かで土煙を炊ければ初弾はなんとかなるだろう』

 エラキがそう言うと、リピアが続いた。

『扉を出てしまえば、ソーラーパネルに隠れられます。ただ…』

『問題はA棟まで移動する方法ね』

『ああ、不可能に近い。遮蔽物が何もない平原だ』

『六弦弓兵を討つ方が良くないですか?』

『すぐに位置が見つけられ、不用意にも弓兵が近くに陣取っており、3枚以上いなければ…』

 エラキは淡々と分析しただけで嫌味ではないが嫌味に聞こえる。

『無理ですか…』

 マリーは苦笑した。こちらには猿人間の2丁の火薬式投球器アサルトライフルがあるといえばあるが…。

『あの。ここへ来るときは敵は居ませんでしたよね。つまり敵は今しがた現れたばかりという事です。さっきの地震でビッグバグの通路が開いたのではないですか?』

『あり得るわね』

『では…! 虚をつき…そこに飛び込むのはどうでしょうか?』

 ビッグバグの地下迷宮がどれほど入り組んでいるか分からないが、少なくとも一本は月面基地の中央部分には通じているのは間違いない。いや百人以上を擁した月面基地の指揮系がここまでズタズタにされている事を考えると何本も基地の区画を食い破っているはずだ。

『少尉…本気で言ってる?』

『しかしもう、神頼みしかないでしょう…!?』

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