第521話 透明なデバイス(後編)

 ラプトリアン(マリー少尉)とネアンデルタール人(ゴールデンスキン)を収めた二つの隔離カプセルは、モンゴル帝国の駅伝制のように鮮やかな手際でヘリからヘリへとバトンタッチで受け渡されて、ノンストップでアクオル市へと運ばれた。飛行機の方がスピードうんぬんの前にエネルギー効率が段違いに良いわけだが、墜落事故を起こしたときのバイオハザードを恐れて、仮に墜落してもカプセルが壊れない程度の高度と速度で運ばれたわけである。時速120kmで安定飛行でき、重さ300kgのカプセルを2つ搭載できるような飛行機は存在しないのだ。


 かくいうわけでオーワ(ブラジル。アマゾン川)からアクオル(スペイン。イベリア半島)までの約8000kmを移動するには2日半を要した。カプセルの中で暇をするのは我慢できるが、困るのはもちろん“大”の方である…。

『少尉。あと40キロテイルほどです』

 コンコンとカプセルの小窓を叩いて輸送ヘリの乗組員(民間)が教えてくれた。テイルとはサウロイド世界の1メートルのことで、かつての王様の尻尾の長さに由来する。

『我慢できますか?』

『我慢するしかない…わね』

『このために一昨昨日さきおとといは絶食していたんでしょう?』

『まぁ…。ねぇ!隔離室にはトイレがあるんでしょうね…!?』

『聞いてみます』

『まったく…』

 このとき既にゴールデンスキンはいたようだが臭いは一切ヘリの中に広がっておらず、カプセルを受領したアクオルの工学メカ系研究者だけは「隔離カプセルの性能が保証された」と喜んだものの、それ以外の施設関係者は見慣れぬ哺乳類のそれに最悪な気分にさせられたのは間違いない。


――――――

 

 恐竜の回復は早い。

 翼が折れた鳥が餓死という死神の追走を振り切って天使の空に舞い上がる…などと書くと魔法のようだがその実は進化の力だ。恐竜(鳥)の骨は哺乳類のそれよりフレキシブルで、体内に残されたカルシウムの再分配がスムーズなのである。群れで暮らさない孤高なりし肉食恐竜の足の骨に骨折から治った跡があるのは有名な話だ。だが、あくまで一部の健康な骨の強度を削って骨折の修復に充てているだけなので…

『運動は控えるように。全身の骨が弱くなっていますよ』

 膝をついてマリーの足首を看ていた全身防護服の医師は立ち上がりながら言った。

『歩けるのね?』

『はい。でも、引き続きこのサプリは摂るように』

 アクオルの猿人間研究施設ピラミッドに来てからわずか4日後の事であった。

『はいはい』

『あと血液検査の方でも重篤な感染は見つからないようです。…不思議だ』

『……』

 マリーはこのとき「まさか、あのゼリーか…?」「だから妙に食べることを勧めてきたのか、シロイルカは」と今さらになって思い至ったが、もちろん黙っていた。

『…ラッキーね』

『ええ、とても。さて…では看護師に昼食を持ってこさせます。ステガマーマからの報告書も届いたはずだ。暇つぶしにはなるでしょう』

 そう言うと医師は二重になった隔離扉を出て行った。一瞬開いた扉の向こうはガラスの消毒室になっていて、そのさらに向こうは対核ミサイルのシェルターのような冷たく重厚なピラミッドの内部構造が広がっている。(実際、アクオルのこの人工ピラミッドは核爆発にも耐えるだろう)


――あのネアンデルタール人はどこに捕まっているだろう?

 このピラミッドの最上階には、あっちの確率次元うちゅうの月面基地へと繋がる次元跳躍孔があるのだ。私は、使徒と呼ばれる金色の肌をした猿人間を救い出し彼を次元跳躍孔に導かねばならない。……すべては二日後だ。


――――――


 二日後というスケジュールはシロイルカが、海底人の預言(予言ではない)に従って決めたものである。

 彼らのループする歴史を記した死海文書によれば、どうやら二日後のエラキ曹長とリピア少尉が向こうの月面基地に連れて来られ……いや連れて来られらしい。

 人類が南極基地からわざわざ二人をロケットで月面に連れてくる目的については不明だが(死海文書に記載されていない)シロイルカとしては、まぁどうでもいいことだったようだ。彼にとってエラキもリピアもマリーを説得するための餌でしかなかったのである。彼としてはただ、規定事項イベントを邪魔する事、それ自体に意味があったのだ。8万年前との過去5千年後の未来が円環となってしまった海底人にとっての世界…その世界が何度ループしようが毎回、いつも、同じように、繰り返し執り行われてきた「エラキとリピア、月面にきたる」というイベントを邪魔することで円環を破壊しようというのが彼の狙いである。

 その人類とサウロイドのイベントが、海底人の擁す「時間共益型の次元跳躍孔」の発生に直接的に関わるとは思えないが、少なくともそれを邪魔することで歴史に変調をきたすことができるだろう――とシロイルカは思っていた。

 ブラジルの蝶の羽ばたきが、テキサス州で竜巻を起こすようにだ。


――――――


 そして二日後、2034年12月1日は海底人にとって確かに歴史が動く日となった。

『さぁ、時間だわ』

 いよいよマリーは作戦を決行した。

 彼女は、もう必要ではなくなったはずの透明なデバイスを口に咥えたである。そして内心で

『そんなに消えたいなら消してあげるわよ』

 と、ある種の史上最大級の死向衝動タナトスを患うシロイルカに向かって吐き捨てた。

 ……言わずもがなだが、一人の反逆者とその協力者のせいで全員が消えてしまう海底人からしたら、これはたまったものではない。

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