第520話 透明なデバイス(前編)

 隔離牢の分厚いガラス越しの会話が続いている。

 もちろん隔離牢の中にいるのはマリー少尉だ。一時的に猿人間の捕虜となった彼女は月面服(彼女の場合は装甲機兵なのでtecアーマー)無しで彼らと肉薄・接触していたため、未知のウィルスに感染している可能性があったのだ。哺乳類には何ともなくても恐竜や鳥類には深刻な病を齎すというような病原菌やウィルスは大いに存在が予想でき、潜伏期間が終わってが示されるまで彼女はこのまま隔離される事になるだろう。

 もっとも種族なかまに海底人の存在と、これから行う独断スパイ行動を隠している彼女の心の方はとっても潔白ではないのだが……まて。


 と、我々は気づく。

 そんなことよりだ。マリーがさらに裏切って、ダブルスパイとなって自分の跳躍孔ばしょを仲間に伝えるかもしれないのに、あのシロイルカがただの口約束で彼女を解き放ったのはを持っているからではないだろうか。拝樹教徒たちが自分を祀る聖地を守り切れなくなった場合、最終手段として使用する上記のウィルス…鳥インフルエンザのように哺乳類に害のない細菌兵器を持っているからではないだろうか…!?


 しかし不幸なことにマリーはそれに気づかなかった。

 彼女はレオが「ではその聖地に攻め入ろう」と言ったときも上記のことには気づかず、ただ自分の次なる行動、つまりゴールデンスキンと共にアクオルに行くという作戦が首尾良くいくかだけに気を取られてしまった。


――――――――


『参謀。尋問ここの立文責役は結構です。艦橋ブリッジに戻って森に展開した部隊の帰投の指揮をとってください』

『了解です』

『もちろん艦側の受け入れ態勢も。整備、補給…それに治療、休養の準備もお願いします』

『はい』

 と言って、副官(参謀を兼ねる)が辞すのを見送ってから、マリーが口を開いた。

『レオ司令』

 慎重に言葉を選ぶ。自分から「自分は病理学的に重要なサンプルだ。アクオル送りになりますよね?」と確認するのは勘繰られるだろう。

『私は…その…?』

『何を言う?できるわけがないだろう』

 テルー艦長が言った。…いや、

『お前はアクオルの猿人間研究所ピラミッドに直行だ。でしょう、司令?』

 

――ナイス…!


『え…ええ』

 レオはマリーが愚かしい質問をしたことに引っかかったようだが、幸い彼女との付き合いが無かったため、単に「バカな女なんだな」と思うだけで頷いた。エースからは「使えるヤツだよ。ゆくゆくは機兵隊の副隊長にしていい」という評価を聞いていたが……なるほどここでいう「使える」とはコンバットスキルが高いという事なんだな、とレオは納得した。

『少尉とあの猿人間の輸送の手筈は進んでいます』

 彼の中で、この珍しいラプトリアンの装甲機兵の女は「ただの戦闘狂アマゾネス」と誤解された形で収まった。

『そうですか…』

 さも、一緒に戦いたかった、と残念そうにマリーは俯いた。

『まぁ、今はゆっくりお休みください。危険なウィルスに感染しているかもしれず、安堵はできないでしょうが…もし少尉がそんなウィルスに感染していて自己免疫でそれに打ち勝てれば、それはそれで貴重なサンプルになる』

『ありがとうございます』

『そのためにも、ゆっくり休み免疫力を高めておいてください』

『ヘリは明日の昼、30時間後だ』

『ええ。そしてそのヘリを見送ってから、ステガマーマは次元跳躍孔を擁すという猿人間かれらの村に進撃を開始します』


――――――


 この30時間、もちろんマリーは暇を持て余すこととなった。

 夕刻にはエースをはじめ帰投した装甲機兵隊の面々と再会し、死んだ仲間のために喪に服して行方不明の仲間のために祈祷した。もちろん彼らもまた、どうやって脱出したのかという質問をしてきたが、そこは慎重に最初に行ったのと同じ証言を繰り返した。「生贄か何かの理由で私だけ牢から連れ出された。どこへ向かっていたかは分からない。だが、ともかくそこで反撃して金色の肌の猿人間を倒したのだ」と。

 日付が変わった1時には夜勤(艦長代理の任務)に着く前のトライタンが来て、一つ嬉しいニュースを残してくれた。

 彼女の命の恩人である、あのマンモスはまだ生きているというのだ。

 2名の砲歩兵が交代制で例の川岸に派遣され、倒れ込たマンモスを護衛してくれているという。川で倒れたのも幸いで(そして鼻が長いのも幸いで)水を飲んだりして回復に努めているらしい。

 おそらくはあの巨体を隔離して捕獲するのは不可能なので、明日ヘリで来る研究員たちによって採血だけされたら護衛は解除されてしまうだろうが、それまでに何とか自立できるようになってくれればジュラシックジャングルの中を生きていけるかもしれない――マリーはそう思った。


 生と死の違いは、未来が不確定か確定かの違いなのだ。

 死んでしまえばオーワの川岸に骨という物質(可能性ゼロ)が残るだけだが、生きてさえいれば途端に可能性は無限大に拡散する…。

 がんばれ。生きろ。


 マリーは「暇すぎると哲学的になっていけないわ」と自戒しながら、隔離牢の天井を見つめて長い夜を明かした。


――――――


 次の日の正午。

 湿度100%のむせかえるような熱風を吹き下ろしながらヘリコプターが、ステガマーマの甲板に降り立った。ヘリはさっそく甲板で待機していた整備兵によって給油されるとともに、口のように見えるフロントドアをペリカンのようにガバッと開いて、イワシでも食うようにマリーとゴールデンスキンを収めた2つの隔離カプセルを飲み込んだ。

『ふぅ……』

 マリーはヘリのドアが閉じ切って、真っ暗になったカプセルの中で大きく安堵の息を吐いた。は透明化しているとはいえ、物体としては彼女が握っているだけなのだ。カプセル搬送中の思わぬ揺れで、内壁にぶつかってガタッとでも硬い音を響かせたらマズイことになっていただろう。


 さぁ、すべきことは山積みだ。

 まず進路はアクオル市、あの月面基地へと繋がる次元跳躍孔である。

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