第519話 次なる方針
『少し話をしませんか?マリー少尉』
隔離牢の分厚い強化ガラス越しにレオ司令が言った。
傍らにはテルー艦長と副官がいる。副官はクリップボードとペンを携えていて
『ええ、もちろん』
隔離牢は猿人間を4人まで収容するように設計されていて少し広いため、部屋の中央にいたマリーは車椅子を押してガラスの前まで移動した。
――私が知った真実は私だけの胸にしまっておく
――そうしなければ世界は大混乱になってしまうだろう…!
レオが「4.5光年先に住むシロイルカの存在」や「5000年後の海底人創造の物語」を聞かされて誰かに言いふらすとは思えないが、マリーは彼の事をただの元・月面司令ぐらいとしか知らないため信頼していないのである。
『経緯はもう聞いています』
いくら鋭敏なレオも、さすがにそんな壮大な話が隠されているとは気づかず、ただチェスの次手を悩んでいるぐらいの雰囲気で会話が始まった。
『敵の
『はい。ジャングルの真ん中にありました。500人ぐらいが住む森と一体化した村です』
マリーはさすがに敬語である。いや敬語という名の防御態勢だ。
『なるほど。そして、そこに
『ええ。あ…!そうか、そうですね。喋っていて気づきましたが本拠地ではないかもしれません』
『同じですね。私もそう思います、古都のようなものだと。跳躍孔が開いていた場所が村造りにちょうど良い土地であるというのは考えにくい。おそらくアナタが連れて行かれたのは跳躍孔を祀るための小規模な集落なのではないでしょうか?小さな集落でしたか?』
レオは「本拠地を見せられたが何かの理由で黙っているのではないか」という探りを入れているようだ。
『いえ、それ以外の村を見ていないので……比較はできませんよ』
『そりゃあ、そうですね。はは、失礼しました』
レオは自分が愚かな質問をしたという体で話題を回収し、続けた。
『しかし少尉の情報は役に立ちます。跳躍孔の周りが単なる小規模な村だったということはすなわち、
『ええ…まぁ…』
むしろ逆ね、とマリーは内心で笑いながら頷いた。
確かにそうだ。水や食料を頼りにしているのはシロイルカの方だろう。彼は拝受教徒からの献上品で生きながらえているに違いない。あの薪ストーブだってそうだ。宇宙船の中に木などあるはずがないので、献上品の一つと考えるべきだろう。
『私も本拠地は別にあると思います』
ここでレオの副官(参謀)が加わった。
『オーワの森は広大です。1万人ぐらい簡単に隠れ住めるでしょう』
アマゾンに高度な文明があったかは研究中のようだが(wikipediaも、なかなかセンス・オブ・ワンダーな内容になっている)類似したところでいうとマヤ文明は1000万人の人口を擁していたそうだ。そうなると副官の言葉も不自然ではない。
『それはそうね。彼らは家畜すら飼育しているのよ』
マリーも同意する。これは、自分が連れて行かれた村よりもっと巨大な本拠地があるに違いない――という裏表のない素直な同意である。別大陸に持ち込まれた外来生物のように、シロイルカの知らないところで猿人間は増えていてもおかしくない。
『大蛇や、四つ足の肉食動物や、例の鼻の長い奇獣などの生物兵器ですね』
副官が頷くと、それにマリーもつけ加えた。
『そう。家畜を持つというのは何年もその土地に住んで環境をよく理解していることで……』
と、そのときテルー艦長がマリーの言葉を遮った。
『まてまて。やはり怪しいな。ありもしない本拠地を設定し、そっちを探索させようとしているように聞こえるぞ。敵の戦力も誇張してな』
『はぁ…?』
『少尉は自分が連れて行かれた跳躍孔のある集落に俺達を行かせたくないんじゃないか?』
『なんですか、それ…』
マリーはやれやれと首を縦に振った。
『…いや少尉。我々も君をスパイだと思っているわけではないのです』
ここでレオが口を開いた。静かだがなぜか周りの人を清聴させる力がある。
『ただ…例えばですよ。例えば万人が知るのには危険な真実を跳躍孔の周りで見たとするなら、君はスパイでないままに隠し事を持つことになるでしょう』
マリーは「するどいやつだ」と内心笑った。しかし――
『隠し事はありません』
彼女もなかなかの辣腕だ。顔色一つかえず即答した。
『そんなに言うなら“跳躍孔の集落”を攻撃すればいい。私は戦略的に価値のない“そこ”を攻撃するより無視して敵の本拠を探す方が意味があると思いますが、皆さんがそんなに言うのならね』
マリーが強い語気で一息に言うと場には少しの沈黙が広がった。
『司令…?』
そしてテルー艦長がチラリと横を向いて尋ねると、その瞬間レオは自身の中で何かを決断したように峻厳に答えた。
『そうしましょう』
『え…?』
『森に展開した兵を戻します。一度補給し、そして少尉の証言通りに鼻の長い奇獣で通ったという道を遡りましょう。夜通し歩いて日の出を正面から見たというなら、ここ(ステガマーマの停留地点)からほぼ真西に跳躍孔がある』
レオは一息に言って、さらに続けた。
『鼻の長い奇獣の歩行速度は? 平均すると、いかほどでしょう?』
『じ、時速6,7kmぐらいだった思います。森の中とはいえ、かなり上手に歩いていたと印象ですね』
マリーは嘘偽りなく答えた。
ここで嘘を吐く必要はあるまい。あの村からの補給が無くなればシロイルカは飢え死にするだろうが、知ったことではない。……もちろん奴の事だから、こうなる事を計算していそうだが。
『なるほど、それで4時間歩いた?』
レオは続けて尋ねた。
『はい…!』
『ならば、ここから陸路で20kmといったところでしょう。ふふふ、となれば簡単ですね』
レオは昼食のメニューを決めるぐらいの語気で事も無げに頷いた。そうすることで副官や艦長を安心させるのを知っているからであるが……同時にマリーだけは戦慄を覚えていた。
だがそれは、戦いへの戦慄ではない。
ゴールデンスキンと共にアクオルに行くというスパイの算段が崩れかけているからである。
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