第518話 お子様スパイ作戦(後編)

 ザブ…チャプ……ザブ…チャプ……。

 トライタン艦長見習いと三人の精鋭歩兵ラプトルソルジャーはちょうどすねの辺りを喫水線にして、遠浅の海と見紛うオーワ川の水面を掻き分けて岸まで進んだ。彼らの逆関節の足は、水鳥がそうであるように水中から片足を抜くときの動きがスムーズで、人間と比べてあまり大きな飛沫と音を立てない。

 ザブ…チャプ……ザブ…チャプ……。

 それが日常生活で何の役に立つわけでもないが、殊ここに至っては意味があった。

 川面を小魚が跳ねるほどの心地よい音のお陰で、そのは4人のハンターが近づいてきても興奮せずに、ただ自分の傷を癒やすために横たわったままでいてくれたからだ。


――――――


『拘束具はあるわね?』

 鼻の長い魔獣に寄りかかったまま、マリー少尉が言った。

 緊張しながら近づいていくる4人とは対照的である。4人は岸まで10mというところだった。水の抵抗が減って歩くのが速くなってきている。

『え?なに?』

 トライタン艦長見習いが「聞こえない」というジェスチャーで応えた。

『スピーカーを入れなさい』

 マリーは右腕のコンソールを叩くジェスチャーをし返し「月面服のマイク&スピーカーの機能をONにしろよ…」と溜息を吐いた。トライタンは月面服に慣れていないのだ。月面服は跳躍孔ホールを擁す基地内での使用を前提に設計されているため、こうやって空気振動での通信(つまり声)に対応しているのである。

『あ…そうか! で、なんです!?』

 トライタン艦長見習いはスイッチを入れつつ訊き返した。階級は彼女の方が上であるが雰囲気のようなもので気圧された。

『拘束具は?』

『あります。あ、でも動物サイズのものは無いかも!ね?』

『そりゃあそうでしょう』

 精鋭歩兵の一人が苦笑気味に応えた。この斥候隊の指揮官はトライタンだが、ほとんど子守り状態である。

『十分よ。。はやく』

『その猿人間はどこに…』

『私の後ろ』

 そんな会話をしていると、いよいよ4人は川から出てマリーの目の前まで来た。

 それはすなわち、マリーが背凭れにしている「鼻の長い魔獣」の文字通り目と鼻の先に来たことになる。鼻を伸ばせば大蛇のように彼らの一人は絞め殺せる距離だ。

『この子は大丈夫だから。ともかく猿人間よ…!』

 マリーは騎乗していたときと同様、コロンビアマンモスのうなじの辺りにもたれながら指でゴールデンスキンを示をした。

『その個体はかなり強いわ。相打ちみたいな形で辛くも倒せたけど…気絶しているだけ。気を付けて』

『了解…!』

『OK』

『はっ』

 マリーばかりをフォーカスしていたので忘れがちだが、ラプトリアンは真面目で愚直で質実剛健な性格なのだ。悪く言えば疑うことを知らない彼らは――

『…いくぞ』

 言われるまま猿人間に飛び掛かった。


――これで証拠は無くなった

 実はこのときゴールデンスキンは気絶している芝居をしているに過ぎなかったが(とはいえ腹をマリー少尉ラプトリアンのバナナのように巨大な足の爪で切り裂かせるという、松田優作もビックリの迫真の芝居である)こうして両手足を押さえ込まれて拘束されてしまえば演技を続ける必要がなくなり、ボロも出ないというものだ。

『押さえた!手錠を』

『よし! ――結んだ!』

『足もだ。猿人間の足とはいえ甘く見るな』

『りょ、了解!』

 200kgオーバーの男のラプトリアン3人が緊張しながら、自分たちの半分以下の体重しかない小柄な知的生物を取り押さえる様は、人間が宇宙人グレイを捕まえるときのそれにそっくりで少し笑ってしまう。まぁ…ともかくこうしてデメテルサウルスの皮のベルトがゴールデンスキンの手首と足首にきつく結ばれ――

 この瞬間、ゴールデンスキンとマリー少尉の稚拙なおこさまスパイ作戦が始まる事となった。

『トライタン大尉。拘束完了です』

『やったわ! よし。えっと…次は隔離だわ。袋を!』


――――――


 以下、想像に優しいので少し話を飛ばしたい。

 このあと二人は隔離用の袋に入れられ、ステガマーマへと帰還(ゴールデンスキンの方は)することとなった。輸送の途中、揚陸艇ステガビンチの上でゴールデンスキンは覚醒して暴れたが(という芝居だ)袋の上からラプトルソルジャーたちが取り押さえしばらくすると観念したのか大人しくなった。

 ステガマーマに帰還すると二人は担架に乗せられ真新しい隔離牢に直行した。戦った拝樹教徒が皆死んでしまったため、生きている猿人間を捕まえておくこの隔離牢スペースを使うのは初めての事だったのだ。こうした施設が狭い軍艦の中に増設されたように生きた猿人間はサウロイド文明としては垂涎の研究対象であり(ネッゲル青年以来のサンプルだ)ゴールデンスキンは両手足を拘束されたままだが、腹部の裂傷については手厚い治療を受ける事ができた。(消毒と抗生物質の投与と縫合だ)


――――――

―――――

――――

 オーワ(アマゾン)の森は10時を迎え、日よけの無い川の上のステガマーマの鋼鉄の艦内は蒸し焼きになり始めていたが、マリーとゴールデンスキンを擁す2つの隔離牢は冷房が効いて過ごしやすい。

『ふわぁぁ…』

 ラプトリアン用の尻尾が外に出せる車いすの上、マリーは足のギブスの様子を確かめながら大きく欠伸あくびをした。部屋が快適なせいもあるし、なにより徹夜だったからだ。赤色巨巨星の傍でシロイルカと語らい、マンモスと一緒に恐竜と戦うという一夜だった…。

『眠る前にお話をいいですか?』

 と、そこにレオ大佐が、テルー艦長と副官を引き連れ姿を現した。微笑んでいて「報告も軍務だろ」と言わないあたりがレオらしいが、何かを怪しんでいるような目の光がある……気がした。

『ええ、もちろん』

 マリーは車いすを押して隔離牢の強化ガラスの前に移動し、こちらも笑顔でレオとの対話に応じる事にした。


▼▼▼

P.S.

 角川グループ(ニコ動?)のネットワーク障害の影響か、火曜日の定期アップが失敗しておりました。せっかく読んで頂いている方がいるのに…申し訳ありません。


 SFというより戦記っぽい章立てが続き、SF好きの方には苦しいかもしれませんが、何卒もうしばらくお付き合い頂ければと存じます!

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