第517話 お子様スパイ作戦(中編)

 サウロイドのトライタン艦長代理は、ラプトリアンのマリー少尉より視力が悪い。

 岸にいるマリーは裸眼でステガマーマの甲板の上の様子を、かなり細かなところまで見えているが、対するトライタンは望遠鏡を使わねば「岸で何かいる」ぐらいにしか見えていなかった。

 そうして望遠鏡を覗く――。

『あ!?』

 彼女の目に飛び込んできたのはやはり、見慣れる怪物(我々は知っているがコロンビアマンモスである)の姿であったが、それ以上に驚くべきはその傍らで手を振っている小柄なラプトリアンの姿であった。

『マリー少尉…!?』

 その構図はどうやっても「行方不明になっていたマリー少尉が敵を返り討ちにした」というドラマを想像させるものであり、実際にレオ大佐も含めてステガマーマの全員がとなった。


――――――――

 

 ここから、レオをはじめ警報でたたき起こされた面々が代わる代わる望遠鏡を覗いて状況を察する事になる。彼らは議論を交わし、上陸済みの前線の連中(エース達だ)にも連絡し、マリーと思われるラプトリアンの救助のために斥候を送る事とした。

 ただ、このあたりの描写はつまらないので割愛する。重要なのはレオが、母艦(ステガマーマ)を安全な川の中央から移動させず、代わりに揚陸用の小舟で4名の斥候を向かわせる……と決したことである。(この小舟はステガビンチと言い、マーマに8艇配備された攻撃用のモーターボートである)

 そしてこの小舟の指揮官にはトライタンが任命された。なんという運命か、艦長見習いの彼女にとって初めての操艦指揮がこの朝の出来事となったのである。


――――――


 小舟つまりといっても、ステガビンチはさすがに軍用の揚陸艇モーターボートである。

 感染防止用に月面服をまとったトライタンと3人の精鋭歩兵ラプトルソルジャーを乗せたステガビンチは、岸から10kmに停泊しているステガマーマから発進するや、持ち前の快足を飛ばしてあっという間に川岸に近づいた。速力こそが揚陸作戦の安全性に繋がるのだから当然といえば当然の性能といえよう。

 もっとも今回は攻撃作戦とは違った。攻撃作戦なら船底が岸に傷付けられるのも辞さず、全速力で岸に乗り上げる(誇張である。さすがに横転しない程度に速度を落とす)わけだが、今回は急ぎつつも“穏便に”上陸するのを目的としている。つまり水深を確かめながら岸に近づかねばならないのだ。 


 では、どこまで岸に近づけるか――水深を見る仕組みは非常にアナログであり

『おお!!? 触った!触ったわ!』

『減速します』

『そう!そうそう!減速!』

 それは今トライタンが握っている鉄の棒だった。この棒はステガビンチの腹の下から2mの長さで下に伸びていて、これが川底に触れたときがシンプルに水深2mを表しているというのである。原始的だがゆえに信頼がおける備品である。

 ズズズ……。

 こうしてステガビンチは船底はらを痛めることなく、無事にオーワの川岸に着底したがもあった。

『1キロはありそうですな…』

 オーワの川は気の遠くなるほどであるという事である。ステガビンチが止まったのははたから見たらまだまだオーワ川の中であり、そこから岸までの距離だけですでに立派な川の一本分ぐらいの幅があった。

『せっかくホバー機構があるのだから、それで近づいてくれれば良いものを』

『たしかに…。ねぇトライタン?』

 ラプトルソルジャーたちは「わかっていたことだが」と辟易しながらトライタンを見た。

『しゅ、出撃よ!! 私に続け!』

 トライタンは艦の首脳陣に対する現場からの不平を一身に受け、苦し紛れに叫んだ。


 ――――――


 ザブ…ザブ…。

 4人は川の中を進む。

 乾季と雨季で地面と川底を行ったり来たりする大地は、ほとんど沼のようになっていて歩くのも難儀した。特にラプトルソルジャー(男のラプトリアン)は装備を入れると体重は250kgを越え、足裏の面積が人間より大きいとはいえかなり川底に足を取られた。

 さきほど柔和な不平不満のやりとりジョークがあったが、彼らは腑抜けているわけではない。むしろ恐怖で支配されている。こんな足場の悪い状況で猿人間に弓を射られたら一たまりもないからだ。レオは好かれる指揮官であり直接口にはしないが、少人数の斥候を選んだというのはなのだ。

 だから――

 彼らは口にこそしなかったが、無事に川岸に到着して敵の罠ではないことが確定したとき、より先にまずは大きく安堵したものであった。


 ――――――


『やはり、マリー少尉!』

 血統卵きぞくとして微妙にうだつの上がらないトライタン女史だが一点突出しているところがあり、それが「全ての乗組員の顔と名前を憶えている」というところである。だから彼女は川岸で謎の怪物の背中にれて倒れているラプトリアンがマリーであることを、30mは離れた位置ですぐに悟ることがてきた。

『こ、こっちよ…!』

 マリーもそれに応えた、

『まって!猿人間がいるわ。バイザーを!』

『りょ、了解!』

 トライタンとラプトルソルジャーたちは慌てて月面服のヘルメットのバイザーを下ろし循環システムを起動した。外気と完全に遮断され、ヘルメット内にプシュゥとゴム臭い空気が充満する。

『猿人間は…!?』

『私がわ。いまは気を失っている』

 マリーは、自分も知らなかった演技の才能に、自分自身で驚愕しながら続けた。

『装備はあるわね。 急いで、生け捕りに』

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