第516話 お子様スパイ作戦(前編)

 ジュラシックジャングルを往くなら、調教されたコロンビアマンモスは最高の乗り物だ。

 誇張なしに一定以下の科学文明がつくる軍用車ビークルより走破性に優れるているだろう。沼地も倒木も川も突っ切ることができるし、野生動物の襲撃を避けるだけの存在感も持っている。さすがに反重力で浮けるSFのビークルには負けるが、それでも「そこら辺の葉っぱ」という究極のバイオ燃料で稼働できる点は真似できまい。


 ――――――


 そんな健気なマンモスは、ディオニクスの爪でザックリとやられた尻と左の腿の裏から血を流し続けつつ朝方のジャングルの中を歩き続けた。鈍感なのか痛みに強いのかは分からないが、彼は顔色の一つも変えず首の上にマリー少尉が乗っていることに不平も垂れず、ただただゴールデンスキンに先導されるまま後に続く…。

 一秒ごとに温度が上がって、夜の未練のように視界を覆っていたモヤは、見る見る晴れ渡っていく。そこかしこで歯鳥が縄張りを主張して朝の鳴き声ルーティンを響かせていてた。

 この間、マンモスの血の臭いに誘われて何種類かの肉食恐竜が森の奥から姿を現したが、相手の威容(ではない。少なくとも肉食恐竜たちは相手が鼻の長い奇妙な哺乳類であることはあまり気にしていなかったようだ)を見ると、そそくさと逃げていった。


『どこに向かっているの?』

『もう すぐだ』

 マリーは「シロイルカの作戦」を聞いていており”それ”を実行するために移動していることは分かっていたが、具体的にゴールデンスキンが目指す場所は分からないでいたのだ。

『そう。ふぅーん。 頑張って…』

 彼女は溜息を吐き、そしてマンモスの頭を撫でた。


 ――――――


 朝日が昇って1時間ほど経ち、ついに一行は川に出た。海と見紛う、オーワ川の本流である。

『ほうこく あっていた』

 きっと拝樹教徒の密偵に調べさせていたのだろう、ゴールデンスキンは「報告の通りだ」と言って対岸を指差した。もちろん対岸といってもオーワの本流なのだから川幅は80kmもあって対岸が見えるわけではない。川の真ん中を見よ、という意味での指差しだ。

『あれって…ステガマーマ?』

 ステガマーマは川の中、こちらの岸から10kmほどのところに浮かんでいた。

 10kmも離れていると地球の丸さが効力を示し始め、ステガマーマの喫水線はいつもより深く水面に沈んでいるように見える。

『ああ』

 我々であればまずラプトリアンの視力に驚くところだが、ゴールデンスキンにそういう常識は無かった。自分も見えるものだから「そういうものだろう」としか思っていないようで、ことも無げにただ頷いた。

『…むこうは きづいているか?』

『いえ、それはないわ。警戒はしていても範囲が広すぎる』

『よい…。では ぎゃくに きづく させたいが?』

『狼煙か何かが必要ね。あるいは大声。大型恐竜同士の大乱闘などなど…』

『でんぱ は?』

『大丈夫。なんなら一番いい』

『でばいす を つかえ』

 そう言うとゴールデンスキンはマンモスの首の下に歩み寄って両手を掲げ、マリーに向かって「支えるから飛び降りろ」というジェスチャーを示した。もちろん彼女も、いまさら拒否する理由もないので素直にそれに従う。両足首を折っているマリーは、馬上で撃たれて死んだカウボーイのようにズルリと横倒しになると、あとは完全にゴールデンスキンに体を預けるようにして地面に落ちた。

一方マンモスはマンモスで、たった80kgのマリーを乗せていることすら辛いほど弱っていたようで、彼女が降りるとホッと筋肉の緊張を和らげ、前足二本、後ろ足一本の三本で落ち着ける姿勢を見つけて呼吸を落ち着かせていた。


『さくせんは わかっているな?』

 補足すると、この「作戦」とは我々には明かされていないものである。

 例の「アクション映画的な作劇か、スパイ映画的な作劇か」の話であり後者を取ったいまは、彼らが何をしようとしているか推測しながら読んで頂きたい。

『わかっているわ。でもね、デバイスを使うのはマズイ』

『なぜだ』

『電波には種類があるのよ。なぞの電波ではわ』

『…ならば?』

『声ね。声でいきましょう』


――――――――

―――――――


 早朝は、この任務に参加してよかったと思える唯一の時間である。

 トライタン艦長見習いは「揚陸母艇ステガマーマ」の見張り台(艦橋)のてっぺんで、川面を走る爽やかな風を浴びながらそう思った。日中はサウロイド自慢の腕の羽毛が力なく萎れてしまうような圧倒的な湿度のオーワ(アマゾン)だが、朝夕だけは気圧差のお陰で風が吹くのである。

 と――

『あれ…!?』

 何か異様な音を感じ取った彼女は、すぐさま艦橋に据え付けてある遠鏡に耳を当てて目を閉じた。

『…んん~。 あ!』

 しばらく無音が続き気のせいかと思って耳を離そうとした刹那、という謎の獣の声がオーワの森から聞こえたのだ。

『何かいるぅ!!猿人間の攻撃に違いないわぁぁ!』

 ここは血統卵きぞくでかつお転婆という手に負えないトライタン女史である。誤報で大迷惑をかけるやもしれないというのに、艦内警報を出すことに迷いが無かった。

 ウゥゥーー!

 早朝のステガマーマの艦内は警報が鳴り響き、紫の警告灯で照らされた。

 レオもテルー艦長もまだ寝ていたが、アストラだけは起きていて(どの世界も老人は早起きなのか…?)艦橋の下、甲板から大声でトライタンに叫んだ。

『どこから!? 何が来てるんだい!?』

『声だけ聴いたの! パラサウロロフスの鳴き声みたいに響き回って方角が分からな――あ!!』

『どうした!?』

『9時方向!未確認巨大生物発見っ! あいや!そこまで巨大ではない…!でもやっぱり巨大です!』

『は…!?』

 アストラは言われた通り9時方向を見やったが、トライタンの腑抜けた言い様に少し緊張が解けてしまった。

『いったい何がいるってんだい…?』


 もちろん、その動物はコロンビアマンモスであり――

 そして、これがシロイルカの作戦の一つであることを我々は知っている。

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