第512話 鼻の長い哺乳類は恐竜に対抗できるか(前編)

『お前には、これを使ってしてもらいたい』

 と言って、シロイルカはタバコの箱ほどのデバイスを差し出した。

『もし2人が猿人間の世界にいるなら、それは奪還は不可能に等しいわ。少なくとも個人のできることじゃない』

 そのデバイスが海底人の超技術、地球から4.5万光年離れた老星(赤色巨星)を眺めながら卓球ボール大のゼリーを頬張る生活をするような技術を持っていても――

ことはできないでしょう?そのデバイスが何をする目的のもので、どんなに優れていても』

 そう、目的地は別の確率次元の並行世界なのだ。

『ああ、デバイスが使う電磁波は確率次元どころか時間次元も飛び越える事はできない』

『ということは…』

『その通りだ。お前は何よりまず向こうの世界に行く必要がある』


――無茶いうわね

 マリーは愕然とし、ただただそう苦笑した。


――――――

―――――


 ここでシロイルカの作戦を全部説明してしまうべきかどうか、かなり悩ましい。

 これがレポートや企画書ならば読みやすさの観点からネタは先にすべて説明するべきだが、これは物語である。

 物語は時として宙吊りサスペンドが効果的なことがある。スパイ映画の常套手段だが「いったいどうする気だろう?」と観客に疑問させたまま、主人公たちの現在進行形のアクションを見せる語り口の方が興味の持続が期待できるわけだ。

 ちなみにアクション映画は逆だ。作戦(手段)まで全部説明しておいて「うまくいくかどうか?」にサスペンスを設定するしたりするわけだが……

 今回は前者の方式で語り進めたいと思う。

 シロイルカの作戦、マリーが何をするか、は伏せたまま物語を続けよう。


――――――

―――――


 こうして、ある秘密の作戦とデバイスを授けられたマリーとゴールデンスキンは地球に戻った。次元跳躍孔の向こうが4.5万光年離れた宇宙の片隅であろうと時間の流れる速度は同じ、つまり地球でも小一時間ほど立っているはずだったが拝樹教徒たちは誰一人かけず熱心に待ち続けていた。それはイスラム教徒のように真っ黒な次元跳躍孔に向けて平身低頭を繰り返すという“アクティブ”ないのり方ではないが、おそらくは使徒が神託を受けに行っている間は彼らの信教の「樹」がごとく黙祷を続けるのが習わしなのだろう。

 そして使徒が戻ればその祷りも終わり、いつもの生活(夜なので彼らも寝たりするだろう) に戻るはずだが今日だけは特別だった。

 使が始まったからである。ゴールデンスキンの代理を決めるための儀式だ。


 その儀式が終わったのは夜中であった。

 裏事情を知っているマリーとゴールデンスキンにとってそれは「業務の引継ぎ作業」に過ぎないが、拝樹教徒にそれを悟られるわけにもいかずゴールデンスキンが重々しい芝居で拝樹教徒「芽」の若者の中から適当な一人を指名すると、ほかの拝樹教徒(村人)は突然のことだというのに人間をやめる事となった彼のために盛大な儀式を催したためである。

 まず彼が次元跳躍孔を背景した祭壇の上で雨露せいすいが入った盃を飲み干して割るアピールして(おそらくもう“樹”ではないので雨は不要だ、という表現だろう)儀式が始まると、集団での踊りや覚醒作用のある葉を使った煙浴び、そして儀式の中盤には祭司たちが赤熱した鉄ゴテを彼の体に押し当てて拝樹教徒としての入れ墨を消すという痛々しい一幕もあった。

 現代人のマリーは、いやだが「早く終われよ」という気分にしかならなかったが今は待つしかなかった。彼女は独り、こんな無警戒でいいのかという細いロープで腕を結ばれただけで蚊帳の外で放置されていた。


 宴の最後クライマックスは新しい使徒の誕生だ。前代の使徒(ここではゴールデンスキン)に導かれ、新しい使徒は次元跳躍孔ホールを潜るのである。

「……」

 二人が孔の向こうに姿を消すと、煙でトリップしていた拝樹教徒たちも静まり返った。思い思いに「孔の向こうはどうなっているのか?」「神とはどんな姿か?」ということを想像しているのだろう。だがもちろん我々が知るように孔の向こうは宇宙船の一室であり、この神妙な間は、たぶんシロイルカの世話の仕方を引き継いでいるに過ぎないのだ。きっとシロイルカは姿は見せず、全面モニターを使って無垢な使徒を圧倒し、威圧し、心酔させている頃だろう。


――――――――


 こうして代理の使徒を残し、ようやくゴールデンスキンとマリーが村を出発する頃には、オーワの木々の間から見える空は紫色になりかけていた。長い夜であった。

 ゴールデンスキンは村人(拝樹教徒)の目が届かないところまで来るとマリーの腕の縄を解き、さらには彼女をの背中に残して本人はさっさと地上に降りてしまった。「捕虜を東端の神木に捧げよ」という神託を受けたとして村を出たため村人の前では象に乗っていかにも神妙な芝居をしていただけで、実際のところ本人は拝樹教の教義など興味はないのだ。単に象を先導することで作戦を急ぎたいというのが彼の本音なのだろう。

『いそぐ。ぞうでも、きょうりゅう、あぶない』

『あんた、サウロイド語が話せたの?』

 鼻の長い、奇妙な哺乳類の背中の上からマリーが聞いた。それが「象」という動物であることはもちろんマリーは知らない。

『すこし』

『なんで?』

『じゅんびした』

『へぇ…』

 ネッゲル青年を調べたサウロイドの学者は「猿人間は咽頭が不器用でサウロイド語はしゃべれないはずだ」と言っていたが……とマリーは感心した。何事もやればできるものだ。

『でばいす は おとすな』

 ゴールデンスキンは、何かあったとき象の上のマリーが持っていた方がよいと思ったのか、シロイルカから託されたデバイスを彼女に手渡した。

『え…ええ』

 それは、この奇妙な二人組の旅が始まったことを暗示する象徴的なワンシーンとなった。

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