第511話 生物とはフィジカル・ロー・ブレイカー(後編)
海底人族は2500年後にホモサピエンスかサウロイドによって創造されると、8万年前に派遣され、その創造主たちを見守るという使命を帯びているらしい。言うなればそれは時間の中を無限にループする奴隷ではないか?
海底人自身もネアンデルタール人を奴隷として使っているようだが、皮肉なことにもっと大きい意味で彼ら自身も奴隷だったのだ。
だからこそ、おそらくこのシロイルカは配下の奴隷(彼は使徒と呼ぶ)の一人が月面で無意味に朽ちるのを目の当たりにしたとき悲しみとは違う、何か悟るものがあったのだろう。そしてその悟りは地球から4.5万光年はなれた老星の柔らかな光によって熟成され、ついに遺伝子に刻みつけられた創造主への奉仕欲求を断ち切る力に変わったのだ。
人造人間として…
このシロイルカは見るからに柔和で穏やかな
――――――
『さてと…これで、もう全部話したな』
そう言うとシロイルカはスクッと椅子から立ち上がった。
自然とマリー少尉の目(好奇心)は、ベースとなったという海獣には無い二本の足に向いた。
『ええ。理解できたかはさておいて…ね』
その二本の足は60cmほど短くラプトリアンの半分ほどの長さしかない。しかしそれより注目すべきは猿人間と同じ順関節であることだ。そうなると…
――2500年後に海底人(こいつら)を創るのは猿人間?
――ということは私達は彼らに滅ぼされるという事ではないの…!?
女は…というとコンプライアンス的に怒られるのかもしれないが、ラプトリアンでも女は男よりは現実主義であり、シロイルカの
『生物とは
『はぁ…』
ボールが放物線を描く、マグネシウムが激しく酸化する(燃える)、腹が減ったからメシを食う、知性とはそういう物理現象の輪から離脱しなければならない――とシロイルカは言いたいのだろう。カントは理性の純度に挑むように異常なほど時間を守ったそうだが(眠いから寝る、というのをカントは否定する。それは物体と同じだからだ)4.5万光年離れた宇宙の片隅でシロイルカが全くじ思想に至ったのは、なかなかどうして面白い。
宇宙のどこかで宇宙人も、どこかで同じことを考えるのだろうか?
『…かくいうわけで。俺は俺達海底人の
と言いながら、立ち上がったシロイルカはゴールデンスキンから何かデバイスを手渡された。マリーは「なんだろう?」とそちらばかりが気になったが、シロイルカはほとんど独り言のように語り続けた。
『だが俺はそれに我慢ならない。水槽の真ん中を泳ぐ魚は自分が水槽に囚われている事に気づかず一生を終えるが、それは海で一生を過ごした魚と同じだと言えるだろうか?…どう思う?彼は幸せだったか?気づかなかったから幸せだったか?』
『わからないわ。ラプトリアンに答えなんて求めないで』
『俺は水槽を破壊しよう』
『でもそれは、水槽の中にいるすべての
『幸せな死だ。水槽に囚われているより』
『つまり…?』
ここでシロイルカは例のデバイスを差し出しながら言った。マリーは両足首を負傷して座り込んでいるので、何かの上位存在から伝説の道具を渡されるような構図になって彼女としては癪だった。
『お前に
――――――
現実的な話にするためか、シロイルカはモニターを切った。
宇宙の映像がOFFになって部屋の全容が分かると、やはりそこは何てことのない海底人の宇宙船の一室に過ぎなかった。地平線まで広がっていると思われた壁は目と鼻の先だ。卓球をやるのがせいぜいな部屋の広さである。
『お前にしてほしいことは――』
『待って。なんで私が手伝うのよ?』
『海底人が生まれないことで、サウロイド文明が困ることがあるのか?』
『わからないけど…』
『とりあえず最後まで話を聞け』
シロイルカは最後にもう一度、そのタバコの箱ほどの大きさのデバイスを確認してマリーに渡した。
『お前には、これを使ってエラキ曹長とリピア少尉を奪還してもらいたい』
『は…!?』
『エラキとリピアは死海文書の1ページ目に登場する伝説的人物だ。俺たちはそれを破壊する。1ページ目の出来事がズレれば、すべての
『エラキ…って月面基地にいた
『ああ、そのはずだ。死海文書の通りに行動するしか能のない馬鹿どもによって、月面基地での戦闘のドサクサに紛れて捕らえられ、間接的にホモサピエンスに引き渡されているはずだ』
『人間世界にいる…!? もしそれが本当なら奪還は相当難しい話になるわ…!』
『あぁ。だから俺の使徒と共にいくのだ』
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