第510話 生物とはフィジカル・ロー・ブレイカー(前編)

 ここは地球から4.5万光年離れた、赤色巨星の近傍――海底人の亜光速宇宙船の中である。


 眼下には視界一杯に燃え滾る炎の球が広がっていた。

 宇宙では空気遠近法が通用しないことに加えて、それがあまりに巨大であるゆえに異常な近さに感じる。もはやは損なわれていて、まるでジェット機の上からの海面を見下ろしているような気分になった。親近感あるリアルな高さである。

 

 しかし実際は、この肥大した老星の灼熱の海面といまいる亜光速宇宙船までの距離は1光秒ほどもあった。光の速さでも1秒かかる距離……それはだいたい地球と月まで距離である。滅茶苦茶に離れているのに海の上を飛んでいる飛行機のような眺めが出来上がるのは、ひとえにこの老星が巨大すぎるせいである……!


――――――

―――――


 ラプトリアンのマリー少尉は、激しい目眩を感じていた。いったい何が起きているのか、情報の濁流でおぼれてしまいそうだ…。

『つまり…ここは地球から4.5光年離れた宇宙空間で、あんたは…』

『そう。そして人造人間だ。今から2500年ほど後にホモサピエンスかラプトリアンによって設計される。キュキュ、まずは水分を取れよ。顔色が優れないぞ。脳の血流がよくないようだ』

 とシロイルカは言うと、今度はホモサピエンスの言葉で「使徒よ。彼女にゼリーを」とゴールデンスキン指示をした。

 足元に広がる老星のオレンジの光(実際はモニター越しである)にライトアップされたゴールデンスキンがモデルのような長い手足を優雅に振って、ファッションショーのようにマリーに歩み寄ってきた。

『黒いゼリーのがおすすめだ。 …いまさら疑うことはないだろ?』

『ええ、それはもちろん。いただくわ』

 マリーはゴールデンスキンに差し出された盃の中から黒いゼリーを2つ取り、素直に口に入れた。言われて気づいたが、かなり喉が渇いていた。


 『宇宙船の中で(ガブガブ…) 薪ストーブっていうのが(ムシャムシャ)…どれほどの待遇か、今は分かるしね』

 ゼリーはピンポン玉ほどの大きさがあって、頬の無いラプトリアンには食べにくいものである。彼女は桃を頬張る5歳児のように口の周りを汚しながらゼリーを食った。

『そうだろう?発電し放題のココにいる今、薪はより貴重なのだ。それより、キュキュ、よほど喉が渇いていたようだな。もっと摂れ。だが深緑のはやめておいた方がいい。海藻類はラプトリアンは消化できない』

『頂くわ』

 ゴールデンスキンは見た目に反して気の利く男のようで、マリーの食べる(飲む)勢いを見て「これは自由に取らせるのがよかろう」と思ったのか碗を丸ごと彼女の前の床に置いて、お代わりを取りに踵を返した。相変わらず部屋の壁は全面、宇宙を映し出しているので彼は赤色巨星の上を歩いているように見えた。以前として隣の部屋(キッチンでもあるのか?)への扉がどうなっているかは分からなかったが、シロイルカの説明を思い出せばこの亜光速宇宙船はそれほど広くないはずなので、このリラックスルームは小さいのかもしれない。あるいはそうか、壁がモニターになっているというから我々はを持つものとばかり思い込んでいたが、モニターは暖簾のれんや滝ような通り抜けることが可能なものになっているのかもしれない。モニターを消灯したら、ここはただの鉄の箱の中かもしれない。


『さて…落ち着いたところで』

 シロイルカは、マリーが5粒のゼリーを食べ終わるまで待ってから言った。

 ちなみに、この宇宙船の中がどうやって重力を発生させているか――という質問をすべきところだがマリーは本人が言うように科学に疎く、あまり気にしていなかった。はっきり言って「暖簾のれんのように柔らかく、潜り抜けられる高精細なモニター」などは。床を含めた部屋の全面が宇宙を描き出し、視覚情報として宇宙に放り出された気分にさせることより、本当に驚くべきは宇宙船の中で普通に座っている事である。

 もちろん、海底人も重力制御という神に等しい科学力は有しておらず、この宇宙船内の重力は秘密があるわけだが……まぁ、それは今は良いだろう。

 登場人物が質問しなかったのに、行間で補足するのも無粋である。


『手伝ってほしいことがある。 ま…気づいていただろうが』

『言うと思ったわ。神への反逆計画ね』

『そうだ。ちなみに、ここでいう神というのは俺たちの神であることは勘違いしないでもらいたいな』

『というと?』

『言葉のままさ。お前たち(サウロイドとラプトリアン)や、ホモサピエンスが思う神とは違う。お前たちの神とは創造主だろう?その意味では俺たちの神は2500ということになってしまう』

『え…!?』

 マリーはここで大いに驚いた。それは我々を代弁するものでもあった。

『違うの!? てっきり「神への反逆計画」というのは私たちへの攻撃だと思っていたわ』

 我々も同じである。この海底人は神(未来に海底人を創るのがサウロイド文明か人類文明かわからないから両方がターゲットだ)を滅亡させることを目的としていると思っていた。だからこそ「神への反逆計画」だと……。

 しかしそうではないという。


『キュキュキュ、そんなわけがあるか。それが目的であれば、この船にある200kgの反水をオーワの森にぶちまけるだけだ』

 反水というのは反水素と反酸素2つが結合した純粋な反物質のことだろう。それがオーワの湿潤な空気と反応すれば、確かに解き放たれるエネルギーは核兵器の比ではない。なぜならがエネルギーに代わるだけのケチな爆弾と違い、物質と反物質の対消滅の場合はシンプルにすべての質量がエネルギーに代わるのだ。つまりそれはE=MC^2の練習問題のごとく単純な掛け算となって「200kg×200kg×光速×光速」という眩暈がするエネルギー値となるのである。


『だが、俺はそんなことはしないさ』

 シロイルカは明るい声色で言った。言ったが、表情筋が無いせいで能面のように不気味である。

『俺にとっての神とは。そうだ。俺は同種族なかまたちが信じ、無条件で受け入れている運命を破壊する反逆者ルシファーになりたいと思っているわけさ』

『……!?』

『そして、それこそが使徒が死ぬときに気づいたなのだ』

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