第507話 反逆の日(中編)
『三人の使徒うち一人が死んだ。7万年前、月で』
マリーはデメテルサウルスがシダを反芻するように意味もなく繰り返した。
when,where,who、howがハッキリした単純明快な文章であるにも関わらず、その超自然的な文章はさながら声に出して繰り返すこと自体に意味がある読経のように響く。
『その通りだ』
シロイルカは頷き続けた。
『俺はそのとき始めて命が尽きる瞬間を目撃したのだ。これから“途方もないこと”をしようというのに、たった一人の死で大きく動揺している自分に動揺したのを覚えている。7万年前のその当時でも海底人は高度な科学力を有していたが、とはいえ戦争をしたこはなく、主食の魚は全自動の漁船と加工工場が造り出すソーセージであり命を食べている実感は無い。猿人間を奴隷として使役しているものの、それは愛玩動物のような人道的な扱いでもあって………言いたい事はわかるだろう?』
『ええ』
『ともかく暴力というものに我々は無縁だったのだ。そもそも我々は、そうやって
『不幸…。バカな主をもったこと?』
『キュキュ…それもあるかもしれないが』
シロイルカは吹き出した。声を出して笑う様を見せるのは初めてだろう。
『お前がもし“死を不幸”と定義してそう言うならば、仮に良い主を持っていても不幸が先延ばしになるだけだろう?いいか、使徒の不幸とは物質や物理現象と同じだったことなのだ』
『……?』
『石が転がる、衛星が回る、鉄と酸素が結びついて錆びる、ウランが放射線を出して崩壊する、光が進む、人が死ぬ』
とそこへ、使徒ことゴールデンスキンがゼリーを盛った椀を携えて戻ってきた。マリーは「いつの間に…」と苦笑した。彼女はまた「この地平線まで続く何も無い白い
まぁ、それは今はいい――。
『命も、現象の一つだと言いたいわけね?』
優れた聞き手であるマリーは話の腰を折ることはしない。
『そう大概の場合はな。子供をつくるとか、芸術や思想を残すとか、数学の定理を解明するとか……そういう「生きた証を世界に刻みつけることが人生の意味だ。真の幸福なのだ」なんて文句すら俺にとっては手ぬるい。ビーバーは木造のダムを残す。クジラはオリジナルの歌を残す。あれだって芸術といえば芸術だ』
『そうね』
マリーは、ビーバーもクジラも知らなかったが骨子は分かったので頷いた。シロイルカは人類側とサウロイド側の両方の地球に精通しているのだ。
『つまり、すべての人間の生は無意味だ。子供を残そうが、芸術作品を残そうが、無意味だ。鉄と酸素が“もののあわれ”なる錆びたオブジェを創り出すことと同じなのだ。――そういう閃光が、使徒が7万年前の月面に倒れた瞬間に俺の中に走った』
その使徒はムーンマンとして、どんな偉大なファラオよりも有名なミイラとなるのだが……きっとこの様子だとシロイルカはそれを「くだらない」と唾棄するだろう。
『あのときに俺は決意を固めた。内心では少し怯え迷っていたのだが、使徒の死を見て決意したのだ。どんな結果になろうとも真の意味で生きる事を決めた』
シロイルカはゴールデンスキンが指しだした椀から巨峰ぐらいの丸いゼリーを2つ摘まむと続けた。
『そこからもう、俺たちは止まらなかった。亜光速宇宙船に反水を補給すると自分達が見つけた秘密の
『
『そう。まずは恐竜が絶滅しかなかった確率次元の宇宙にジャンプしたのだ。もちろんそこは君たちが良く知るアクオル(イベリア半島)の上空だ。7万年前のな』
『それから…!?』
核心に迫ってきた――とマリーは思った。シロイルカの心情の吐露や哲学的な告白は聞いてやりはしたが正直どうでもよかった彼女としては、ここからが本番である。
『そこから二週間ほど恐竜や植物やお前たちの先祖を観察した。俺はなにも動物学者ではないから恐竜に興味があったのではなく、別の確率次元が本当に存在していることに興奮していたのだ。そしてそんな日々の中で一つの幸運が訪れた。オーワの密林の中に
『ええ。これの反対側がオーワなのはわかる。ついさっき潜ったから。問題は……』
問題はこっち側がどこかということだ。
そういうマリーの疑問を先回りするようにシロイルカが首を振った。
『言ったろ?これは大した
『というと…?』
『俺は7万年後、つまり今この時代に用事があったからな』
シロイルカは短い指で足元を指して「この時代」を強調しながら続けた。
『7万年前の俺からすれば、7万年後の未来にいく必要があったのだ』
『未来に…いく?』
『亜光速宇宙船と位置次元共益タイプの
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