第506話 反逆の日(前編)

 シロイルカを基調遺伝子ベースにしたその人造人間のツルリとした顔面は、微笑みで固定されたような無表情で優しくも恐ろしく見える。

 ガイ・フォークスのマスクか、日本の能面のようだった。


『ああ、そうだ。もっともなのだがな』

『タイムマシン? ……その代わりに宇宙船?』

 マリーは「やれやれ、さっぱりわからないわ」と首を振った。

『君は科学に疎かったな。宇宙船はタイムマシンにもなるのさ』

 シロイルカはそう言うと、ウェイターを呼ぶようにゴールデンスキンを呼び寄せ何かを命じた。そして足を組みなおしつつ、白い歩き去る彼の背中を見ながらマリーに説明した。

『いまゼリーを持ってこさせる。喉が渇いたろう?少なくとも私は喉がカラカラだ。サウロイドの言葉は頬を使わないから真似しようとすると口を開きっぱなしになる。そのせいで口腔内が乾燥するのだ。我々の言葉の場合は腹話術のように口を閉じ――』

『この部屋はどうなっているの?』

 ゴールデンスキンの背中を視線で追うマリーは、シロイルカの世間話を無視して訊ねた。ここは無限に広がっているように見える白い空間へやだが、それは単なる視覚トリックで、どこかに鏡張りの扉でもあるのだろうか?

『それも説明する。ほら、こちらに集中してくれ。使よ』

 シロイルカはペチン!と手を叩いてマリーの視線を自分に戻させた。水分が多くゴムのような皮膚による拍手は、軽く手を合わせただけでも太った相撲取り同士の立ち合いのような大きな音を響かせた。

『使徒……?』

神話はなしは7万年前、俺が宇宙船を手に入れるところから続けよう。それは開発されたばかりの亜光速宇宙船だ。……面白いだろう?海底人われわれの文明では「数万年の尺度で眠れる真の冬眠カプセル」より「亜光速宇宙船」の方が先に開発されたのだ。きっと海獣は海中という縦横無尽の世界に生きているため中脳(空間把握を司る)が発達しており、それゆえに数学が得意だったようだ』

『歯鳥から進化したサウロイドも数学が得意な者が多いわ。ラプトリアンわたしたちはよくわからないけれど、思い出してみれば立体図形の問題とか得意だった気がするわ、彼ら』

『鳥も巨大な中脳を持っているからな』

 シロイルカは頷いた。気づけば、こんな話をしている間にゴールデンスキンは視界から消えていた。

『ま、かくいうわけで俺は月面の倉庫でお役御免になっている亜光速宇宙船を奪う事にした。それは五百年前~三百年前にかけて亜光速スピードの実証実験を行った機体群シリーズの最終番台の一機で、安定性はばっちりだった』

『なら、お役御免になっている、というのは?』

『それは小さく長期滞在はできない代物なのだ。海底人が欲っする宇宙船は小島のようなサイズのものだが、それは15テイルほどだった。つまり「巨大豪華客船」を造ろうという計画の一端でスピードの実験のために試作された「モーターボート」のようなものだ』

『なるほど』

『そして俺は、その宇宙船が誰も気にも留めない骨董品なのをいいことに、日々コツコツと荷造りに勤しんだ。船体が小さいと言っても内部収納インテリアを工夫すれば目的のものを積むことはできた。遺伝子データ人工子宮3Dプリンタ、簡易的冬眠カプセルに土木工具類、ワクチン製造機に医薬品というか化学物質……などなどだ。とはいえ水も食料も無い。特に海底人の弱点は大量の水を必要とすることだがそれを一切諦めるしかなかった。これで宇宙に飛び立つと言ったら、心配性のシール(アシカ人間)どもは発狂するだろうな』

『それで…まさか?』

『そう。反逆の日が来たのだ』

 シロイルカは流暢にサウロイド語を喋っていたが、ここだけは力が入ったのか少し変なイントネーションで言った。

『俺は別に幼稚なヴィランじゃない。自己顕示欲きわまる悪役のように、わざわざ目立つような事はしたくなかったが、亜光速宇宙船のエネルギー源である……ま、教えていいか、エネルギー源のを手に入れるには事件を起こさなけりゃならなかった。できることなら誰にも知られずスッと世界からおさらばしたかったのだが、反水を月面基地から盗み出した俺は、大悪党という事になっているだろう。……いや今頃じゃない。もう彼らにとっては7万年前のことか』

 シロイルカは続ける。

『もっとも心を痛めたのは、使徒のひとりを殺したことだ』

『え?三人の使徒のひとりを?』

『そうだ。反水を奪取し亜光速宇宙船の倉庫へと移動する月面車の車中で、一人の使徒が「やめよう」と言い出した。これは怖気づいたのではない。彼らは第一世代ファーストワンによって拉致された猿人間の末裔であり、1万年もかけて海底人に奉仕するために洗脳された奴隷だ(それはオオカミ⇒犬の変化に近い。人間を愛するように仕組まれている)。なので主に奉仕するのは当然のことだが……特に賢かったその使徒は、俺のこれからすることが海底人全体の利益ならないと判断したのだろう。実直で真面目すぎたのだ』

『で…どうしたの?』

『俺は「ならば車から降りろ」と命じた。しかし……』

 シロイルカは後頭部の鼻で軽く、深呼吸をした。

使徒かれが次にとった行動は予想外だった。何を思ったのか……いや最初で最後の主への反抗を思ったのだろう、彼はおもむろに月面服を脱ぎ始めたのだ。絶句している俺をよそに、傍らの二人の使徒も(一人はゴールデンスキンだろう)脱ぐのをしはじめた。そしていよいよ全裸になると飛び出しそうになる眼球を瞼の力で抑え込みながら俺に向かって一礼して、毅然と車から降りたのだ』

『……それで?』

 マリーはその光景を想像して呼吸を浅くした。

『それでも何も、裸で月面だぜ?死ぬに決まっている』

『死に方があるでしょう?』

『ああ…まぁな……その後ろ姿は忘れるわけがない。使徒は、1万年の奴隷から解放された彼は、ただのホモサピエンスとなって


 そしてさらに7万年後――

 彼はムーンマンと呼ばれることとなるのだ。

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