第504話 ルシファー・ベルーガ(中編)

『俺の仕事は遺伝子研究だ。ホモサピエンスだけじゃなくほかの生物の遺伝子も研究、復元、保存するのが仕事だった』

 自らを海底人(DSL Deep Sea Lives)勢力の反逆者と語るシロイルカは、流暢なサウロイド語で語った。内容はひどく昔の話のように聞こえるが、声の印象はごく一年前の話をしているようである。どういう気分なのか表情は……わからない。鯨偶蹄目は表情筋が壊滅的なのだ。

『遺伝子…?』

『ああ結果、大量のネアンデルタール人やホラアナライオンの遺伝子を保管し、あるいはティタノボアという大蛇の失われた遺伝子を復元することができた』

『……なるほど、あの大蛇はあなたが…』

 少し読めてきたぞ、という表情でマリーは頷いた。もちろん我々も彼女と同じである。そうだ、このシロイルカが猿人間にティタノボアを与えたに違いない。製鉄技術も無く原油採掘もできない猿人間にうってつけの生体戦車として…!


『しかし、よく何も無い原始時代でそんな研究ができたわね。遺伝子のサルベージ…そうとうな高度な研究室が必要でしょう』

『いや俺がB.C.7万年に到着したころには、すでに100世代ほどが経っていて壮麗な海底文明が築かれていたんだ。研究に苦労は無かったさ。……それを言うなら第一世代ファーストワンは大変だっただろう』

『つまり、最も古い時代に到着した人々ね?』

『そう。次元跳躍孔が蒸発するギリギリの、A.D.5000年に過去に旅立った連中だ。彼らが到着したのはB.C.80000年。その時代はお前の想像どおり、その第一世代は着の身着のまま人力で土木工事をしたりしたのだ。もっとも…彼らの内実は最先端の未来人なのだから混乱するな』

『次元跳躍孔を潜るには、からA.D.5000年の科学技術を持ち込めなかったということね?』

 たしかにマリー自身もそれを経験した。

 次元跳躍孔から右足首がはみ出ていたために元の次元にワープができなかったのだ。そのせいで足首が跳躍孔の表面殻に長く触れて凍傷になってしまったわけである。

『そうではあるが、同時に少し違う』

 シロイルカは首を振る。

 これはホモサピエンスと同じジェスチャーだった。同じ哺乳類型の骨格なので「ノー」のときは首を横に振るのであろう。なお鳥類型の骨格のサウロイドは縦に首を振るのが「ノー」である。

『創造主が自分達とは違う科学進化を望んだために、自分達の既存の文明の利器ガジェットは与えられなかった。ファーストワンに与えられたのは力学、電磁気、原子周期表、それに微分積分などの知識と地球に降りるための片道の使い捨て降下船カプセルだけだ』

『なるほど…』

 自分達とは違う科学進化を望んだとはどういうことだろう――とマリーは思ったが黙っていた。多すぎる横道の質問は後に回した方がいいだろう。

『ともかくだ。俺は七万年前の地球で遺伝子の研究者をやっていた。……さして優秀ではない普通の作業員だ。だが俺はある計画を思いつく』

『それが‟目的は教えられない計画”というヤツね』

『ああ。目的は教えられないが、何をして今ここにいるのかだけは教える――』

 シロイルカはもう一度、足を組みなおした。さも「ここからが本題だ」という動きである。

『ある日、俺は志願して月に転属する機会を得た。その時期の海底人われわれは今の君達ぐらいのというレベルの科学技術に至っていて、これまた君達と同じように最初の月面基地の建設を始めていたんだ。…とはいえ俺には土木の技術は無いから仕事は地質調査さ。基地の周りを調べる地味な仕事だが、当時の月面服は未熟な出来で非常に危険な仕事でもある…』

 マリーは「そうでしょうね」と相槌だけして次を促した。

『ゆえにが必要だった。俺には、よく調教された三人のホモサピエンスと月面車が与えられていた。彼らは働き手としてファーストワンが拉致したホモサピエンスの子孫で子供のころから海底人を崇めるように洗脳されており、とても従順だった。奴隷とはいえ気のいい奴らで、何もない月の平原を旅していると次第に愛情も湧いてきてな、俺はいつからか奴隷とは呼ばず使徒と呼ぶようになっていた。…ま、これは関係ない話だが』

 シロイルカはキュキュと鳴いた。

 表情筋が無いので最初は分からなかったが、おそらく笑っているのだろう。

『なるほど。それでどうなったのかしら?』

 マリーにとっては正直どうでもいい話だが、無駄に敵愾心を煽るような阿呆ではなかったので、少し微笑んでそれに頷いた。

『アナタは7……。それでどうなったの?』

『まて、混乱するからもう一度、強調しておこう。その月面とは猿人間の宇宙の月の事だぞ』

『ええ、分かっているわ』

 マリーは呆気なく頷いたが当の猿人間こと我々からすると、とんでもない話になってきた。ピラミッドができる遥か前に月の円環山脈クレーターの麓を三人の使徒と呼ばれる人間が、白いイルカにかしずいて歩いていたという事になるからだ。

 だが話はこれで終わらない。


『何もない月の平原は煉獄のようでな。巡礼とも思える日々が俺達の心を清めた。そしてそんなある日、もう一つの次元跳躍孔を見つけたんだ。君達のよく知る、この世界(恐竜が進化した確率次元の世界)に通じる………禁断の門をな』

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