第502話 シロイルカに「俺」という一人称は似合わない
『すまない。俺たちは火に弱くてね、見た目通り』
小さな薪ストーブの灯が消えたところで、この広大な
――それともDSLとはそういう完璧さ好む種族なのだろうか?
この土壇場にあって、マリーは不思議とそんなことを考えながら、声の主に振り返った。
『ええ。もう足は大丈夫だから…』
こういうときに平静を装いたがるのは人間もラプトリアンも同じようで、彼女はスパイ映画の中で黒幕に囚われた主人公がそれでも汗一滴流さずに敵のボスに微笑むようなニヒルな態度で応じた。
「こうでもしないと君に会えなかったからね、ボンド君」
「手荒な歓迎だな、ブロフェルド…」
とか
「久しぶりだね、ホームズ君」
「私が再開を喜ぶとでも思ったか?モリアーティ教授」
といった感じのそれである。
――――――――
―――――――
だから、背後を振り返ったマリーが悲鳴をあげたりすることは無かったが
『……っ!』
視界に飛び込んできたのは確かに未知の
その未知の生物は、
ワンピースから出た腕や足や顔を見る限り、肌は全身均一にゴムのような質感を持っているようで毛は一切無い。剃っているとかそういう風でもなく、そもそも毛穴も汗腺も無いという様子である。そして肝心の顔は……
顔は喩えようがなかった。
強いて言うなら、サウロイド文明にも娯楽として宇宙人を想像するSF文化があるが、その中に登場するタコ人間(タコは6700万年前にすでにいたので、サウロイド世界にもいるのだ。むしろ人間世界より大型のタコがいる)に似ていた。
顔はつるんと丸く、鼻が無く、白目の無い真っ黒な瞳が顔のほぼ側面についていた……。
『もっと驚いてほしいな。なにせ君は類似する生物を知らないはずだ』
しばらく体を観察させていたDSL(Deep Sea Lives。以下、海底人)は、さすがに堪り兼ねて苦笑した。……たぶん苦笑だ。
『どういうこと?』
苦笑には声どころか「ふふふ」といった吐息も含まれていない。それに目の周りも全く動いていない。海底人の笑顔とは口の形だけで表現するもののようだ。
『俺の
シロイルカという言葉はサウロイドの言葉に無いので、海底人はそのまま「シロイルカ」と発音した。
『シロイルカ…? 本当にそうなの?』
マリーは「アンタは知っているの?」とゴールデンスキンに視線を送る。
ゴールデンスキンはその視線に気づいて目を合わせたが、無言のまま屹立しているばかりである。
『いや、使徒はシロイルカを知らない。彼は月面で生まれたから地球の記憶が無いんだ。それにどっちみち彼が生まれた時代にはシロイルカは絶滅している』
『月面で…?』
『では、答え合わせといこう』
そう言うと海底人は空中に腰かけた。
透明度が異常に高いガラスの椅子でもあるのだろう――本来は驚いてもいい事柄だが今は椅子ごときに構っている暇はない。彼女はそう思ってスルーした。
しかし、カメラが引くとなかなか奇妙な構図が出来上がっている。
逆関節の足を投げ出して床に座り込んだ恐竜女と、ローマ彫刻のように立ち続ける金色のホモサピエンスと、透明な椅子に座る純白のシロイルカが鼎談しているというなんともドラッギーな光景である。
フロイトなら一体、どんな夢判断をするだろう。
『まず……
『ずいぶん、詳しいわね』
『この時代のサウロイドの文明のことはよく知っているよ。暇だからね』
『…まぁ、いいわ』
『うん。それでこの動く点Tというのが、つまり俺たちの持つ次元跳躍孔なんだ。こいつは順行するTと、約24倍の速さで逆行するT†の点が共役関係にある。まぁ時間軸の逆行を速さと表現するのは
『というと…!?』
『想像の通りだ、この次元跳躍孔にT側から飛び込めば過去に出ることになる。これがタイムマシンの正体だ。天然のな』
『順行と逆行の双子という事は……起点があるわよね。スタート地点が。ある日、ある瞬間、ある場所の時空が歪んで従来通りに未来に進むTのほかに、過去に進むT†という双子が生じた。跳躍孔が生まれる瞬間を
『その通り、理解が早いな。だが落ち着け。順に説明しよう』
シロイルカは足を組みなおした。もっとも人間ほど股関節が柔軟ではないようで、脛の辺りをクロスしているだけである。
『まず…おれが生まれたのは今から2500年後。起源4500年だ。そしてその時分ではすでにTとT†は7.5万年ほど離れていた。つまり、シンプルに言えば、俺が次元跳躍孔に飛び込むとそこは7万年前の地球だったのだ。その頃はホモサピエンスは遺伝子的にはもう完全に現代人と同じだが、文明は発達しておらず死肉を焼いて食うような生活をしていたんだ。……なぁ、使徒よ』
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