第501話 時空検閲官の部屋(後編)
そのとき――
『では、俺の正体を教えよう』
と薪ストーブが言った。
ラプトリアンのマリーは、自分がもうすっかり薪ストーブと会話している滑稽さなどは気にならないほどに驚愕した。
『…し、しかし。そんなことって有り得ないわ』
地平線まで広がる光に満ちた部屋、目の前に浮かぶ真っ黒な元跳躍孔(黒いのではなく光の反射率がゼロなのだ)その傍らに金剛力士像のように屹立するゴールデンスキン……そんな超常的な光景の中にあってパチパチと爆ぜるオールドスタイルな薪のストーブは彼女を現実に繋ぎ止める唯一の碇であり、ついついそれを会話相手に選んでしまうのは仕方のないことである。
それに会話相手が電子機器だろうが、人形だろうが、薪ストーブだろうが、今行われている壮大な会話に比べて、なんの重要性があるというのだろう。
『なぜだ?』
『なぜって、教える意味が無いから……』
『思ったよりバカだな、君は。正体を知らずに意味が在るか無いかの判断ができるというのか』
『それはそうね…』
マリーが、たしかにそうだ、と頷くのを見ると
『まず…俺は未来人にして過去からの訪問者だ』
薪ストーブは何ともあっけなく、するすると話始めた。これではまるでラスボスが急に身の上話を始めて「敵側にも事情があったのだ」と複雑げな世界観を演出したがる安いRPGのようではないか。
『言ったな?俺は二回、次元跳躍孔を潜った、と』
『え…ええ』
『とはいえ、ここにある「位置次元共役タイプ」の
『2つ…月面の?』
『そう。2回目に潜ったのが猿人間の宇宙の月面と、この宇宙の地球を繋ぐ「確率次元共役タイプ」の
『……は…!?』
パチッ!と小気味よい音を上げて薪がはじけた。
銅像のように不動だったゴールデンスキンは急にストーブの前にしゃがみ込み、素手で薪の端を持ってひっくり返した。妙に生活感があるのが逆に不気味である。
『タイムマシンでもあるっていうわけ?』
『無い』
と、薪ストーブはきっぱり言い切った。
『すくなくとも、乙女座超銀河団の中でタイムマシンが使われた形跡はない。乙女座銀河に属す1兆の惑星が100億年間の試行錯誤を繰り返しても、タイムマシンに至るほど高度な知的生物は生み出せなかったということだ』
『じゃあ?』
マリーは、薪ストーブの
『タイムマシンは無いが「時間次元共役タイプ」の跳躍孔はあるのだ』
『そ…そういうことか。なるほど…!!』
デカルト座標的に(x,y,z,t,p)と位置も時間も確率も等価と考えれば簡単だ。位置と確率の共役関係が許されるならば、当然(t)のバージョンも存在すると発想できる――とマリーは納得した。数学者でなくてもハイスクールの知識があれば理解できることだ。
『あぁ、わかってくれたか。さすがに科学の基礎教養がある相手はいい。以前、猿人間の一人に説明したことがあったが理解してくれなくてな。彼らの脳が劣っているというのではないから、やはり子供の時分に教育が大切だということを痛感させられる。……さて本題に入ろう。ここからが本題なのだ、俺にとっては』
『俺にとっては?』
薪ストーブは、彼なりに(声は女サウロイドだが、マリーは男だと読んでいた)緊張したようで、微かに声のトーンが変わる。
『あぁ。何しろ、今から語る事は私の種族を裏切る行為になるからだ。――そう、時間共役タイプの次元跳躍孔が猿人間の月にはある…!君たちの月面基地の近くさ』
『まさか…』
いや。驚いたのは我々の方だ。マリーより情報を持っている我々の方こそ、まさか、と驚く資格があるというものだ。そうだ、薪ストーブの正体は……。
『そしてその次元跳躍孔は俺の種族が押さえている。笑えるだろう?君たちの月面基地のすぐ近くに俺たちの秘密基地もあって、そこから
『あなたの種族?待って。ただの
『俺は…DSL。新・死海文書の予言では、これから3年後に君たちによってDeep Sea Livesと命名される種族に属している。……いや属していた』
『DSL…!? 聞いたこともないわ…』
『だろうな。出会うのは3年後だ。なお、DSLではなく単に海底人と呼ばれることも多いが、Livesと複数形にしている方が正確だ。なぜなら猿人間のような単一種文明ではないからな。サウロイドとラプトリアンで構成される君たちのように、俺達の文明も複数の種で構成されている』
『理解が…追いつかないわ…』
マリーは首を肩に乗せて目を瞑った。眠いのではなく熟考のポーズである。
『姿を見せるのが早いかもしれないな。君は信用できる。それに負傷して脅威にもならないだろう』
と薪ストーブは言った。
『足が良ければ、ストーブを止めてもいいか』
『え…ええ、大丈夫よ』
右足の血流は戻っている。毛細血管の損傷(凍結粉砕)はすぐには治らず鬱血しているが、太い血管は正常に戻っていてこのまま壊死するような事はあるまい。
「使徒よ、火を消してくれ」
「御意」
ゴールデンスキンは薪ストーブの空気孔と蓋を閉めた。
「……」
酸欠で火は徐々に弱くなっていき、やがて消える。と――。
『さぁ、話を続けよう』
マリーは背後から声をかけられてハッとなった。なぜボケッと消えゆく火を眺めていたのだろう、完全に背後を取られてしまったではないか――そんな自責も
『!!?』
振り向いて薪ストーブもとい声の主の姿を見た瞬間、すべて吹っ飛んだ。
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