第499話 時空検閲官の部屋(前編)

 マリー少尉。

 45歳になった若いラプトリアンの女は、奇しくも次元跳躍孔ホールをくぐった200人目の跳躍者ジャンパーとなった。

 だが、彼女以外の199人が行き先の分かった“同じ跳躍孔”を使ったことを考えれば、どこに繋がっているかも知れない跳躍孔に飛び込んだ彼女こそが正真正銘のジャンパーだったとも言える。アメリカ大陸があると分かって西の水平線を目指した199人とは違うのだ。


 もちろん199人が潜った次元跳躍孔は我々になじみ深いホール1だ。

 ホール1はサウロイドの地球のイベリア半島の地上300mの空中にポッカリと口を開いており、その対となる出口 ――ホール1†(共役)と呼ばれる―― は哺乳類が進化した確率次元の月面だ。第一次人竜戦の舞台で今や人類の手に落ちた月面基地のそれである。ちなみに、おさらいすると時間次元が同じであると分かったのは、恐竜が滅びたかどうかという確率の差で変化しない地球のプレートテクトニクスによる大陸の形と天体観測によるものである。正真正銘、人類とサウロイドは全く同じ宇宙歳を生きているのだ――。


『で、だ』

 ちょうどそのとき、部屋のスピーカーがサウロイドの声で我々の疑問するところをしゃべり出した。

 もっともスピーカーといってもどこに在るかは分からない。その部屋はともかく広大で、周囲を見渡してもからだ。この部屋にあるのは空気と重力と光と次元跳躍孔と、どこまでも続く真っ平らな床とヒーターだけである。……ヒーターだけ場違いだ。

『問題はここがどこか、だろ?つまり君の疑問はオーワの森に開いた次元跳躍孔がどこに繋がっているかだろ?』

 この無限の地平線を持つ部屋だけでも仰天していたが、声の主がサウロイドの言葉で語りかけてきたことにも、彼女はもちろん驚いた。その声は男の口調だが響きは女のそれのように聞こえる。

『アナタはいったい…?』

『まぁまぁ。まずはヒーターを使ってくれ、せっかく置いたんだ』

 声の主はサウロイド語で喋ったあと

「さ…使徒よ」

 と今度は猿人間の言葉で命令した。

 もちろん、その言葉の意味はマリーには分からなかったが命じられたゴールデンスキンが「御意」と呟き、床に座り込んで立てないマリーの近くにヒーターを移動させてくれたのを見て、声の主が命じた内容を理解した。

『ヒーター…というか、これはストーブね』

 声の主はヒーターと呼ぶが、それはどう見ても小さな薪ストーブであった。

 …いや。それは燃料を燃やし、実際の炎で暖を取る原始的な器具であった。

『そうか「ストーブ」か、ははは。 まぁいい温めろ』

『…え、ええ』

 声色というのは大事なもので、声の主の柔和な印象に最初の緊張は、春の解かれはじめている。

『でもなぜ右足だけ?』

 そうだった。

 次元跳躍孔を潜ってから謎の連続で、我々も前章の事を忘れていた。マリーの右足はいま凍傷に陥りかけているのである。

『次元跳躍孔の表面は絶対零度なのは知っているだろ?』

『ええ』

 マリーは薪ストーブで右足を温めながら頷いた。それはまるで吹雪の中を歩き通した旅人が山小屋に入って暖炉にかじりつくようであり、ここが次元跳躍孔の向こう側の未知の世界とは思えない光景だ。

『とはいえ絶対零度なのは極薄の表面だけで熱量は多くない。…いや逆か、少なくない。ちょっと触るぐらいなら何ともないはずだ』

『そうね』

『だが、君は次元跳躍孔の潜り方を知らなかった。君は右足を向こうの世界に、つまりオーワの腐葉土の上に着いたままにしていたろ?』

『というと?』

『次元跳躍孔の力は弱い。のさ。ワープするときは体がすっぽり次元跳躍孔に包まれないといけない――いや君はサウロイドの軍人だろ?説明は受けなかったのか?』

『まだ月には行ってないのよ』

 とマリーは応えてからハッとした。油断して月面基地のことを教えてしまったからだ。

 しかし声の主は、そんなことはどうでもいい、あるいはという風に続けた。

『君の足の裏とオーワの土の電磁気的な干渉関係、つまりほんの少しの静電気による磁石関係を引きはがすほど次元跳躍孔は強くないんだ。跳躍孔は重力よりは上位存在なので重力の影響は受けないがな』

『はぁ…?』

 マリーは科学が弱い。クールな女がみんな理系というのも、またある種の漫画的なステレオタイプな女性差別だろう。そういう意味ではドラゴンボールのブルマは素晴らしい。なんと優しいデザインだったろうか。


『おや?馬鹿だな君は。考えてみろ。たとえばもし跳躍孔が電磁気より上位存在なら飛び込んだ瞬間に体はバラバラになるだろ? そりゃだって原子は電磁気で結びついているんだから』

『はいはい。もう分かったわ。私が右足をに着いたままだったかワープが始まらず、跳躍孔の膜に触れ続けた右足首がリング状に凍傷になったというわけね』

『そういうことだ。使徒はいつも説明を忘れがちでね。だからここを訪れたはみんな凍傷になるんだ。それでヒーター…じゃなくてストーブを置いたのさ』

『ここを訪れた…?』

――何人もいるというの…!?

 マリーはそう直感すると同時に「やはり、こう柔和な口調でも狂人サイコだ」「最後は殺すつもりだな」と悟った。しかし…!

 悟ったからこそ、次の声の主の台詞にはそれ以上に愕然とさせられることになる。

 

ジャンプして飛び込むがいい。凍傷にならないようにな』

『は…はぁ!?』


 場所も謎、目的も謎、正体も謎……。

 マリーの混乱は続くばかりである。

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