第498話 体積ゼロの球に入る

 猿人間の本拠地は、オーワと一体になった巨大な森林都市だった。

 彼らの信教である拝樹教は、木のような死生観を持つことで俗世から解脱を目指すことを教義ドグマとしており、特段にを神聖視しているものではないのだが、それでもさすがは自然と対立しない村造りがなされていた。人々は生きた木を支柱にした住居に住み、村のメインストリートになる地面も舗装(地ならし)はされておらず、海のように自由に根が隆起するままにされていた。

 ティタノボアや白銀の獅子といったや、それにサイや象といったは基本的には放し飼いのようだが幼獣は牛舎で飼育されるようで、その牛舎が彼らにとっての最大の人工建造物になっている。つまりそれほど素朴な半・野外の生活しているということだ。

 拝樹教徒は人種的にも文明水準も「古代アステカ」や「古代インカ」に近いようだが、彼らが持つ石造りのピラミッドや神殿は無いようだ。確かにオーワ(アマゾン

)では良い石灰岩は採れない。しかしだからといってここまでの規模の集団が、同一の宗教を信じていて何も神殿めいたものを造らないという事はあるだろうか。もしかするとここは本拠地ではないのか――とマリーが考えたときだった。

 彼女は次の瞬間、考えを改めた。

『これは…』

 目の前に現れたのが次元跳躍孔ホールだったからだ…!

  跳躍孔を擁す街が本拠地でないなどという事はあり得ない。つまりここが本拠なのは間違いがないようだ。

 しかしなぜ捕虜であるマリーを跳躍孔の前まで連れてきたのだろう。


 と。

「ここからは余が」

 ゴールデンスキンがスッと肘の高さあたりまで手を掲げると、マリーを囲んでいた四人の拝樹教徒(兵士)は散開した。兵士たちは何か緊張が解けたような息遣いでマリーから離れた。必要以上に、離れた。

『……なるほど』

 彼らは跳躍孔を怖がっているのだろう――そんなことを察しながらマリーは、ストーンヘンジのような2つの巨石の間に浮いている跳躍孔を仰ぎ見た。

 前述のとおり拝樹教徒には神殿や墓所という文化は無いようなので、この質素なまつり方でも最上級の畏怖を示したものなのだろうが、それを知らない知的生物からすれば森の真ん中に苔むす巨石が二つ並んでいるだけの光景である。巨石の周囲の木という木の上に人々が住んでいる…つまり村の中心に鎮座しているという事実から間接的にこの巨石に何らかの意味があると推測するしかないほどだ。

 また ――これはマリーは知らないことだが―― 巨石なのも興味深い。

 祀りに使う建材が木ではなく石だというあたりに拝教徒の跳躍孔への気持ちが現れているようだからだ。

 そう。だと彼らは考えているに違いない。


――――――


よ」

 ゴールデンスキンは慣れた足取りで跳躍孔の傍らまで進み、そこでマリーに向かって振り向き手招きした。

『来い……ってことね』

 もうだいたいは想像がついた。跳躍孔の向こうの世界に自分を連れて行こうというのである。そしてこの金色の男は連絡係なのだ。

『ふふ…それは迂闊じゃあないかしら?』

 マリーは折れた左足を痛がりかばいながら、右足だけでケンケンで進んだ。油断させておいて損はないだろう。


――跳躍孔の向こうにははず

――この原始人どもにこっちの世界の免疫ワクチンを与えた誰かが…!

――そいつが黒幕。なんなら隙を見て一太刀くれてやるわ


 マリーは「裸にするまでは良かったけれど…それで凶器が無いと思うのは甘かったわね」とニヤリと笑った。サウロイド世界ではいの一番に捕虜は足の爪を切り落とされるのだが、それを猿人間は知らないのだ…!


 そうこうしてマリーは、いよいよ手を伸ばせば次元跳躍孔に触れる位置まで進み出た。噂どおり跳躍孔の周りは寒い。この黒い球(体積はゼロなので実際は球ではないのだが)の表面は絶対零度なのだ。

「行けよ」

『?』

「飛ばれよ」

 ゴールデンスキンは手のジェスチャーで跳躍孔に入るように示した。

『もちろん…!』

 もちろん、むしろ望むところである。マリーが恐れもせずさらに進むと、周囲や木の上の拝樹教徒から「おお」というどよめきが広がるのが聞こえた。だがそれも一瞬だった。全身が跳躍孔に包まれると一切の感覚が無くなったからだ。


『……?』

 移動ワープ中なのだろうか?

 エース大尉に聞いた話では跳躍孔に飛び込んだら移動は一瞬だという事だったが……いま自分はどこにいるのだろう。不気味なほどに寒さも暑さも感じないが、それは跳躍孔の中がラプトリアンにとって快適な温度なのではなく神経が機能不全になっている感覚である。自分が情報に分解されて電送されている感覚だ。本能的に目を閉じて呼吸も止めているが、呼吸をしたらどうなるのだろう?

 だが長い。長すぎる。

 亜空間にでも落ちてしまったのだろうか…?


 と!

 次の瞬間、右足の激痛で彼女は覚醒した。とは奇妙である。

『うぅ…!!』

 だが激痛は激痛だ。見れば、右足のすねの辺りは極細のリング状に凍り付いているではないか。もちろん左の足首は折られているので、両足がこれでは立ってはいられない。

 マリーはたまらずに倒れ込んだ。倒れこんでここがワープした先の世界だと気づいた。

『はっ!』

 目を開くとそこは明らかに文明レベルの上がった部屋の中である。と――。

「これはひどい。使徒よ、足を温めてやりなさい」

 部屋のスピーカーから誰かの声が聞こえた。穏やかな声色で猿人間とであるが妙な響きが含まれている。

「御意」

「毎回、凍傷になる者が続出するからね。もうヒーターを用意することにしたんだ」

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