第496話 拝樹教徒の黒門(中編)
不思議なことに根の勘定はピッタリだった。
根が選んだ小さめのトリゴロシの実を一粒飲んだ(無理やり飲まされるぐらいならと自分から飲んだわけだが)マリーは数時間、意識を失うだけで確かに死ぬことはなかったのである。
症状は酩酊と言っていい。恐竜にとってのトリゴロシは、猫にとってもマタタビのような神経系に影響する毒(薬)なのだろう。
『う…』
そんな薬の影響で彼女が最悪の気分で目覚めると、まず視界に飛び込んできたのは木造の天井であった。ジャングルで気を失い、猿人間のアジトに運ばれたのは明確である。
『ここは…牢屋か』
部屋のサイズは安アパートの浴室か広めのトイレ個室ほどであり、ラプトリアンの彼女(身長190cm弱ある)は腰を丸めて横向きに寝かされていた。牢獄は木造とはいえ、かなりしっかりした造りで天井も床も壁は完全に密閉されている。つまり「鳥かご」ではなく「サウナ」のような造りで外の様子は分からない。
彼女は目眩いに耐えながら立ち上がり、手探りで木の断面を撫でてみた。
『……!』
触った瞬間、彼女な仰天した。
そもそも我々のアマゾンではこんなログハウスを造れるような真っすぐな材木は手に入らないのだが、オーワには長い巨木が生息しているのはそこは不思議ではない。不思議だったのは、こんなしっかりした材木加工を猿人間が行っていることだ。なにせ木の表面はなめらかで、
そんな材木を牢獄として使うだろうか? あるいは――
『まさか…』
これは何年も前にほかの建物に使われていたものであり、その建物を解体したときに出た廃材を再利用したものかもしれない。
何年も前から彼らは…?
――――――
目が覚めてから何時間が経っただろう。
『暑い…』
もし積極的な拷問と消極的な拷問があるならば、この部屋は明らかに後者を意図したものだろう。いわゆる懲罰房というやつだ。鞭打ちなどの痛みを伴う拷問は「服従しても仕方ない」と屈した自分に対して言い訳の逃げ道が残るが、懲罰房はそうではない。懲罰房は表面上は何もされないゆえ、もし屈してしまえばそんな自分を許せなくなるのである。トイレも無い部屋で糞尿まみれにさせる事と相まって、矜持や自尊心を砕くのがこの房の目的なのだ…!
――来てくれるわよね? 大した距離じゃないはずよ…!
マリーは心の中でレオやエースを呼んだ。
自分が結局、処刑(※)されるならば仲間の救援は間に合わないだろうが、このまま拘留され続けるならば餓死する前に味方が来てくれるかもしれない―――そう考えた途端に何か心が軽くなった。
目標設定とは、ある意味で希望なのだ。
彼女は、糞尿にまみれようと餓死するまで耐える、という目標を自らに課すことで絶望に抗う事にしたのである。
※せめて小説を愛する人々の集まるココでは言葉を大切にしたいので、マリー少尉に変わって言い改めよう。彼女は処刑されるのではなく虐殺されようとしているのである。
よく「人質を処刑から救う」といった表現をする政治家やニュース番組を見るが、その言葉遣いはおかしい。映画「シンドラーのリスト」の紹介文も、どこの能無しが書いたのか「ユダヤ人を処刑から救った男の~」となっていて激しく違和を覚えたものだ。ユダヤ人は刑を処されるような罪を犯したのか、と。
もしその政治家やニュース番組が「人質には罪があり、テロ組織にはその罪を裁く権利がございます」という立場をとっているなら処刑という言葉を使って構わないが、そうでないなら恭しく刑などという法に基づく言葉を使うべきでない。
自身の正当性を信じて疑わないテロ組織側が「要求が通らなければ人質を処刑する!」と表現するのはごもっともだが、第三者はその殺人行為を単なる卑賎な、一方的に振う外道な暴力、つまり虐殺と表現すべきなのである。
閑話休題、物語に戻ろう。
――――――
―――――
永遠に思える半日が経って夜になった。幸い、まだ便意は来ない。
『静かね。……よっ!』
マリーは、無理な姿勢で横たわって凝り固まった体をほぐしながら立ち上がると、その木製の壁に耳を当ててみた。
『……』
外に人の気配はない。
もし可能なら脱獄のチャンスではあるがこの頑丈な木の壁を蹴破るのは難しいだろう。男のラプトリアンが助走をつけて思い切り足を振りぬければ壁を破壊できるかもしれないが、この絶妙に狭い部屋では勢いをつける事はできまい。
『でもやらないよりはマシか。暇だし…』
そう苦笑すると彼女は背中と足の裏で前後の壁を突っ張るような態勢(左足は骨折しているからこういう態勢を選んだ)になって、さらに足の親指の爪で音が立たないようにカリカリ…カリ…と壁を削った。真っ暗で見えないが、触覚に従うなら壁を造る板は一枚あたり30cmほどの幅があり、爪の傷に従って縦にパッキリと裂けたなら、脱出することができるかもしれない。
カリカリ…カリ…
もし我々が同じ立場ならどうするだろう?
斬首を厭わないカルト教団に拉致されたとして、その牢獄の中で我々は何をするだろう?そう考えると彼女の精神力がいかに強靭かよく分かるというものだ。エラキ曹長もそうだったが、ラプトリアンはタフな人種なのである。
そうして30分ほど壁を削った時だった。
突然、ドンッと天井が鳴った。天井を誰かが踏みつけたような詰まった音だ。
『え…!?』
彼女が驚いて上を見上げると、次の瞬間、よもやズズズと天井が横にスライドしたのである。そして星空が見えたかと思うと、今度は天井の淵に松明を持った3人の猿人間が姿を見せたののである。
「でろ!」
『は…はは…』
彼女は、まずは自分の間抜けさに笑ってしまった。
というのも自分が閉じ込められていたのは地下だったのだ。木枠で覆った四角く掘られた穴の中に投げ入れらていたのである。壁を爪で削ったところで意味は無かったのだ。
『はぁ…どーりで静かだったワケね』
「カァカァと鳴くな!」
「おい、ハシゴを持ってこい!」
「はい!」
お互いに言葉は分からないが、猿人間の剣幕はもちろん分かり彼女は「はいはい…怒鳴らないで」と手の甲を見せた。人間でいう手のひらを見せて宥めるジェスチャーである。
と、そこへ……。
「余の客人に無礼は許さぬぞ」
穴の淵に(彼女から見れば天井の淵に)もう一人の男の声が近づいてきた。間違いなく喋っているのは一人だが、その声は微かだが同時に3度離れた(ドならミ)音が含まれていて、一人でハモっている不思議な声である。
『何者…!?』
――猿人間は単音でしか発声できないと思っていたけど…
マリーが食い入るように上を見上げていると、次の瞬間、想像だにしなかった異形が姿を現した。松明の光で照らされた黄金の
預言者、ゴールデンスキンの登場だ。
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