第495話 拝樹教徒の黒門(前編)

 サウロイド世界は「恐竜が滅びなかった世界線」というのが簡単だし、センス・オブ・ワンダーにも溢れているが―――

 正確には7000万年前に、ある一粒の銀杏の発芽細胞の遺伝子に量子力学的な絶対確率でもって放射線がクリティカルヒットし、寒さと少照と強風に耐えるイチョウが発生した世界である。

 そのイチョウは生存に有利だったため多くの子孫を残し、さらにその子孫の中に高山を目指す一派が現れると、いよいよ高山植物として先鋭化されていった。エーデルワイスなど我々が知るささやかな高山植物とは違う、という風変わりな生物が誕生したのだ。


 とはいえ、そこから300万年の間は彼らは「妙に立派な高山植物」という脇役に過ぎなかった。立地条件のいい地上での生存競争は、ちょうど同じ時期に登場した被子植物に軍配があがったためだ。障害物走の選手が100m走では勝てないようなものである。

しかし運命の日、6500万年前にユカタン半島に隕石が落ちると彼らは歴史を変える立役者となる。

 隕石が落ちた後に300年続いた曇天の中で、次々に朽ちる他の木に代わり高山イチョウは一気に勢力を伸ばし、草食恐竜を飢餓から救う事となったのだ。(それでも8割以上の恐竜は滅びてしまった)


 遺伝子を傷つける放射線が量子的な振る舞いで射出され、量子世界ではしうるのならば、こうやって一本のイチョウによって生態系が全く違う地球がするのは必然とさえ言える。

 シュレーディンガーが箱を開けた瞬間、猫が生きている世界と猫が死んでいる世界は分岐するし神はサイコロを振るのである。


 さて、そこから6500万年が経った。

 上の通りサウロイド世界(イチョウの生まれた地球)では、いまや生態系はまったく別のものが形成されている。一番に目を引くのは恐竜がまだ生存していることだ。

 しかし逆に言えば地球は地球である。

 つまり天体の動きや、与えられた物質の量、星に封入されたマントルエネルギーは同じであり大陸の位置、山の形、日照時間は同じであるので、やはりわけだ。

 ゆえにアマゾンとオーワは、一瞥しただけでは同じ森のように見える。6500万年分の進化のズレといえば壮大だが、逆に言えば6500万年は同根だった生物を同じ環境で進化させたのだからこうもなるだろう。(それに例の高山イチョウは高温多湿を最も苦手にするため、この地に影響を齎していないのだ)


―――とはいえだ…。


『くぅ!こいつら…』

「静かにしないか!」

『捕虜など取る気もないくせに!』

「やれやれ…。 これよ。あそこのトリゴロシを取って来なさい」

 地面に俯せにさせられ、背中から4,5人に取り押さえられるソニーが、なおも暴れるのでが特に身軽そうな若い兵士に何かを命令した。正確な階級(宗教的なものなので階位?)でいえばになるだろうが、だいたい兵士を呼ぶときは「葉」と呼ぶのが通例だ。


――なにをする気…?

 同じく地面に俯せにさせられつつ、もう抵抗をやめているマリーはただ「トリゴロシ」なるものを取りにいった葉を目で追った。もちろん拝樹教徒(猿人間)の言葉は分からないが、リーダー的な男が小間使いに何かを命じたのは分かる。

 そうしてマリーが見ていると葉は、とある木をするすると登っていき上の方にある小さな青い実を迷うことなく摘み取った。もちろん、その木登りの上手さはラプトリアンのマリーからすると驚嘆の一語だが、それ以上に驚いたのは使だった。なぜならそう、あの小間使いが数ある実の中から選び摘んだのは、抽出精錬して麻酔薬としても使われる毒の実だったからだ。


――どうして知っているの…? まさか…!?

 彼女はこれからされるだろう事より、猿人間が森に慣れている事の方に慄いた。上記の通り似た風景であるとはいえ6500万年分の進化史がズレた森を、不思議なことに猿人間はまるで自分達の森のように熟知しているのだ…!


「根。トリゴロシが効くのですか?」

「ケヤキ派が捕虜で試したそうですよ。竜も鳥も同じなのです」

 根がそう言っていると、ちょうど葉が「トリゴロシの実」を5つほど持って木から降りてきた。そして彼はまさに献上するという風に「どうぞ」と跪き両手を器のようにして、その実を根に差し出した。

「うむ、ありがとう。 …して、これは皮に効果があるわけですが、ケヤキ派によると乾燥させた皮を与えたら捕虜は死んだそうです。ですから丸のまま……」

『やめ…や…!!』

 マリーには遅れたが、状況を察したソニーは今度は「口など開くものか」と暴れる。しかし鳥を想像して頂くと分かる通り、サウロイドの咬合力は弱い。祖先が肉食な上(肉の方が植物より柔らかいからだ)メインウェポンが足の爪だったためだ。今でも退化しきらず鋭い歯を持っているが、それは食事用のステーキナイフのようなものなのである。

「口をひらけ!」

「あきらめろ!」

「飲むんだ!」

 3人の猿人間がスカイフット(前章に出てきた巨大飛棍棒ブーメラン)を彼の口に差し込み梃子テコのように無理やり押し広げると、根が自ら口に手を入れトリゴロシの実を喉に押し込んだ。「千と千尋」の中で千尋がハクの口にに苦団子を押し込むシーンがあるが、同じようになかなかの胆力である。ガブリとされるのでないか、と普通の人間にはなかなかできない芸当だ。


『ぐ…わぁぁ…』

 麻酔薬の原材料とはいえ、毒は毒だ。ソニーは悶絶を始めた。

 猿人間たちは「もう大丈夫だ」とばかりに取り押さえるのをやめ、立ち上がって地面をのたうつソニーを見下ろしている。

「さぁ、次はそっちのメス竜だ」

『あの暴れないからさ、「飲ませない」っていう選択肢はないかしら?』

「何をピヨピヨ言っている?」

「口を開け!」

 もちろんお互いの言葉はまったく伝わり合っていない。

『はぁ。伝わるわけないわね。でも飲まされるのは癪にさわるわ…』


 マリーはここで自ら、あーん、と口を開き、実を食べることを受け入れた。

「!?」

 猿人間の間に動揺が走った。地面に俯せにし自分達が押さえつけているというのに、その自身の尊厳と誇りを失わない行動に、むしろ貴賤では負けた気がしたのだ。

「おお。なる…ほど……」

 根は少し笑った。そして

奴隷ラプトリアンは殺していいことになっていますが…もしかすると奴隷は奴隷ではなかったのかもしれません」

『はやく食わせなさいよ。ほら、あーん!』

「場所は教えられない。そのため1粒は食べてもらいますが……しかし

「根!」

「責任は私が。この雌竜は預言者に会わせるべきです」

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