第474話 急造揚陸母艇ステガマーマ
オーワ川(アマゾンのサウロイド世界での呼び名)の河口は、川というイデアをぐらつかせる。
陸と陸の“間”を流れる水を川と呼ぶとしても、その間がどこまでの幅ならば川と呼んでよいというのだろう?オーワの河口はその幅が300kmを超えていて標高も0.5mしかなく水はほとんど流れていないため海との境目も曖昧だ。となれば、それは“湾”と呼ぶべきではないか…?
月面守備隊専用急造揚陸母艇「ステガマーマ」の甲板の先端で、川の上を走ってくる湿潤な風を受けながらエースはそんな物思いに耽っていた。
時刻は15時。もっとも気温があがる時刻だ。
都市部のような異常な高温ではないが空気は暖めた蜂蜜のように肌を包み、水蒸気で揺らぐ太陽は南半球であるオーワ(アマゾン)に夏の訪れを告げている。この船の中でもっとも涼しいところに陣取ったエースだが、風があるとはいえ、そして寒がりなサウロイドとはいえ、この暑さは堪えた…。
今朝の竣工式と同時に出発(出撃)した「ステガマーマ」が試運転をかねてオーワの川の遡上を始めて、5時間が経った。
速度は時速40キロテール。
最新鋭の軍艦としては遅いが、それもそのはず、今は水に半分沈んでいて船と同じに見えるがステガマーマは実際は巨大なホバークラフトである。最大船速を出すにはホバー機能を使わねばならないのだ。ホバーに必要とされる電力はサウロイド得意の超小型原子炉でカバーできるのでそこまでケチる必要はなかったが、ファンなどの機関部の摩耗がはげしいことから結局、平時は“ボートモード”で巡行していた。
なおどちらにせよ、原子炉から生まれる毎秒の
なおステガマーマの超小型原子炉の出力はだいたい1万キロワットである。
一方でステガマーマ自身の排水量(重さ)は4000トンであり、ニュートン力学からそれに9.8の重力加速度を掛け算した力が下方向にかかることになる。つまりそれを支えるなら(重力加速度を10とし、一切のエネルギーロスを無視すると)ごくシンプルに言って、4万キロワットの出力が必要なはずである。
しかし、そこがホバーの良いところだ。
ヘリコプターのように力業で空中を泳ぐのではなく、船体の淵からぐるりとカーテンを降ろして、その内側に空気を溜めるなら1/20ほどの力で浮かびあがることができるのである。船体の下に空気を送るファンのエネルギー効率は0.4ほどなので、だいたい1.25万キロワットの出力があれば、“ホバーモードは達成可能というわけだ。
――――――
アストラ博士が、エースと同じく船内の暑さに参ってか、甲板の突端で涼風(涼風というほどではない)を浴びに来た。
『…アストラさんよ、この中から猿人間を探すなんて無理だと思わないか?』
しばらく二人は川というよりは海に近い果てしない水平線を眺め、それからエースが口を開いた。
『無理だな』
『おれは絶望しているぜ。これを川と言うのには無理がある。別の言葉が必要だ。オーワ(アマゾン)専用でさ』
『面白いことを言うな、大尉。確かにそうだ』
アストラは笑い、舟の進行方向の左手側に辛うじて見える川岸を指で示した。川岸は遠すぎて繁茂しているだろう木々は見えず、ただ濁り水と青空の境界線に深緑を引いたように見えている。
『みろ。出発してからずっと見えている、あれは川岸だと思うだろう?』
『ああ』
『あれは中州だ』
『は…!?』
エースは愕然とした。
『中州だよ。川の間にある島だ』
『中州は知っている。そうじゃなくて出発して、もう5時間だぞ?』
『あれはマラジョ島(サウロイド語は割愛)。2、3万平方キロメートルはあったはずだ』
アストラ博士の記憶も少し間違っている。
調べたところマラジョ島は4万平方メートルもあり、その広さはなんと九州より大きいらしい。行けども行けども最初の中州からすら離れられない……まるでアマゾンという仏の掌の上で右往左往しているようだ。
『ジャングルクルーズっていうのを誤解していたよ』
『アンタはどこの出身だ?』
アストラ博士が訊いた。クールな物言いだが、意外にも“普通のおばあさん”の例に漏れず多弁なようだ。
『
『ほぅ。お互い辺鄙な島国だな。私もイングランドだ。ユーラシアの端と端で妙にオ親近感がある』
『いやぁ。あなたの時代と違って郷土愛は無いんだ。大人になるまでずっと同じ寄宿舎…っていうシステムじゃなくなったからな。コロコロ変わってどこが故郷とも言えない』
『100年前に施行されたリッツガル法だな。そのおかげで国はさらに曖昧になって国家間戦争はなくなった。たとえばサッカーで、自分が所属する
親も血縁も文族も祖国も曖昧になったサウロイド世界……そりゃあ確かに戦争が起きようがない気がしてくる。
『そのせいで技術は遅れた、とレオは嘆いているけどな』
映画「魔女の宅急便」の舞台は第二次世界大戦が起きなかった世界線のヨーロッパのある町…だそうである。ファッションは70年代風なのにテレビや飛行機、車などの科学技術が進歩していないのがそれを表しているのだ。
『ああ。この100年間、我々の技術は停滞してしまった。私だけが趣味で研究を続け、ロボット技術だけが異常に突出している状態となったわけだ』
『はは、それはそうだ!』
現に月面で
『まったく。
と、そんな風にアストラが忸怩を吐露したときだった。
ファァーーン!
甲板にサイレンが鳴った。
猿人間には聞こえないと予想される(月面でネッゲル青年で試した結果だ)サイレンである。
『総員第一種戦闘配置!』
艦長のテルーが艦内のスピーカーで叫ぶ。
『総員第一種戦闘配置。20km先の人工島で敵襲あり!これより本艦は救援に向かう』
それを聞いたエースは
『救援…というより』
武者震いのニヤリという笑みを浮かべる。なにせ森が広すぎると嘆いたところに、向こうから出向いてきてくれたのだ。
『捕獲チャンスだな、猿人間の』
『ああ! よし、いこう!』
そして二人はこの船の規則通り急いで船内に戻った。なぜなら――
『ホバーモード稼働まで1分!甲板にいる者は速やかに船内へ』
艦長はそう定型文を言った後、次は自身の言葉で警告した。
『風圧で吹っ飛ばされても知らんぞ!!』
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