第467話 拝樹教徒(後編)

 位置次元(x,y,z)も時間次元(t)も同じで、ただただ確率次元(p)の値が違うというサウロイドの地球――。

 位置が違うなら移動すればいいし、時間が違うなら(前に行くことはできないが)待てばいいわけだが、無限の確率次元パラレルワールドの中から「6700万年前に一粒のが量子力学的な確率によって発された放射線によりDNAを傷つけられ突然変異を起こす」というをドンピシャで探り当てて、その地球に人類が移動する術はない。

 そう。たいていのマルチバースもので障壁としてフォーカスされるのは「確率次元をどう移動ジャンプするか」だが、数学的に考えると「どうやって確率住所を探り当てるか」の方が大変だと思う。シュレーディンガーの猫のごとく一粒の原子が崩壊するかしないかで世界が分岐するなら(実際にサウロイド世界と人間世界はそれで分岐している)世界線の数は無限となり、確率住所を知らない限り、目当ての世界には行けないはずだ。

 ガソリン満タンのどんなにいい車に乗っていても、住所を教わらずにムスタファ・ヤマンラールさんの家に行けないように。


――――――

―――――


 かくいうわけで、この村を襲った猿人間ホモサピエンスの姿形が我々と同じだからといって我々と同じ存在……同じ確率次元の世界の住人とは限らない。アリストテレスが皮膚ガンで死んだ世界線の住人かもしれないのからだ。

 だが、サウロイドからすれば同じことだろう。なにしろ時間のスケール、が違う。

 サウロイドからすれば……特に現在進行形で襲われている村人からすれば「哺乳類が進化した世界からの侵略者」に違いないのだ。


『戦おう…!港にキュクロスクスを撃退するための武器がある』

 ヤーレンとコレイは、寄り合い所(病院と教会を兼ねたような村のホール)に集められたサウロイド達の只ならぬ悲痛な絶叫を聞き、決意を固めた。はじめは捕虜にするために集めたのかと思ったが、そうではない。ユダヤ人の強制収容所と同じ虐殺のために集めたに違いない。

『ああ…! ああ、そうだともヤーレン』

 キュクロスクスは超大型のワニである。オーワ川(我々の世界でいうアマゾン川)の泥水の中での生活に適応しており目はほとんど退化している。その代わりに外皮感覚器(普通のワニにもある)が特別に発達していて、顔の中央に一つ目のように隆起していた。キュクロスクスの獲物はいずれも2トンオーバーの草食恐竜で、それは彼らの大切な家畜(肉牛)であるデメテルサウルスも例に漏れない。西洋人にとってのオオカミと同じ害獣である。だが、オオカミ以上に厄介なのはであるという点だ。

 キュクロスクスは腹が減っていれば(幸い代謝が低いので滅多に動くことはないが)オーワ川を行く舟さえ構わず襲うことがあるため、川にあるそれぞれの村(補給港)には撃退用の武器が常備されているのだ。

『行くぞ。舟の工具も使えるだろう』

 その武器を二人は使おうというのである。


――――――

 

 そこは勝手知ったる村である。

 二人は猿人間に見つからずに港のドックまでたどり着いた。猿人間は村をすでに制圧したと思っているのだろう、先述の通り抵抗をやめたサウロイド達を集めて寄り合い所に集まっている。港と寄り合い所は村の大通りメインストリートの端と端だ。つまり村の構造を神社にたとえると鳥居と御社殿の位置関係である。

 その“ストレート”は小さな村で距離は100mもない。

か?』

 キュクロスクスを追い払う武器と紹介されたそれは長い銃身の見た目からして銛を発射する水中銃のように思えたが、実際はなんとレールガンであった。しがない村の害獣駆除用の武器がレールガンというあたり、電磁気学はサウロイドが人類に誇っていい数少ないテクノロジーの一つと言えよう。

『射程は足りているが…必中とはいかないぞ?』

 銃を構えているのはヤーレンだ。腹を怪我しているが、シュートトレッキング(ゴルフのようなサウロイドの娯楽スポーツ)の趣味がある彼は、コレイよりは狙撃の腕が立つだろう。

『やらないよりはマシさ。こっちに気づかせて混乱させる』

『わかったよ…』

 寄り合い所(市民ホールとイメージして頂いていい)は玄関を閉じてもちろん中の様子は見えないが、その建物の前には警備というよりは「戦い足りねぇ」とばかりに手持無沙汰に行ったり来たりしている猿人間が5人いて、その馬鹿どもなら狙えそうであった。

『で、誰を狙う?』

『あの頭を緑に塗っているやつを…!』

『わかるのか?』

『ああ。何人かから、“枝”と呼ばれてのを聞いた』

 コレイはedaと猿人間の言葉で発音した。もちろんその意味は分からない。

『“枝”?名前ではないのか?』

『いや、“枝”と呼ばれている奴はもう一人いた。きっと階級かなにかだ』

『なるほど…』

 ヤーレンは「なるほど」と言ったきりそれ以上は質問せず静かに覚悟を決めると、電磁長銃レールガンの構えをギュッと締め上げた。なんなら寄り合い所の前を行ったり来たりしている連中の、“枝”と誰かが重なったタイミングで発射して、をしてやろう、と思っていた。


 だが、そのときだ。

 二人は敵が「哺乳類が進化した世界からの侵略者」であることを思い知ることになる――!

 

 ガオルルル…!

 馴染み深い獣の声が聞こえたかと思うと、四足の異形な魔物が脇道から村の大通り、つまり港と寄り合い所を結ぶ彼らの視線上にヌッと姿を現したのである。そしてなんということか、その異形なる影はラプトリアンの死骸の匂いをくんくんと嗅いだかと思うと食い始めたのだ…!


――四つ足の肉食獣だと…!?


 陸上の肉食動物といえば二足歩行という常識のある彼らにとって、それは生理的に嫌悪を覚える光景だった。我々でたとえるなら、さながら「肉食の馬」を見るような感覚である。

『なんと不気味な…』

『すまん、コレイ。俺は我慢ならない…!』

 ヤーレンは声を震わせた。

『あの魔獣から殺ってやる!』


 6700万年の進化の隔たりがある彼らにこの「ライオン」という動物が、ネズミ(エオマイア)の子孫だと説明しても信じてもらえないだろう…!

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