第388話 南極。サウロイド捕虜収容所(後編)
月面第二基地が調査を行っていた地下の大空洞の中で謎の蟲人族に出くわしたという報告は、第一基地(サウロイドの基地を接収・改修した一大拠点だ)を経由し、マレーシアのUNSFマラッカ基地に伝えられ(たまたま地球の
もちろん月面の第一基地では救援および威力偵察部隊の組織が急がれていたが、同時に38万キロも離れすぐに手を差し伸べる事が許されないはずの地球側にもやれることがあった。
そう――
月の地下の大空洞について何かを知っているだろう捕虜への尋問である。
――――――
――月の地下の大空洞で謎の生物に遭遇した
――何か知っている事があれば教えろ!
そう人類に問いただされたのは、ラプトリアンのエラキ曹長である。一緒に捕虜になったサウロイドのリピア少尉も、きっと隣の
この牢獄は、牢獄というよりはペントハウスのような解放感のある作りで(貴重なサンプルである彼らにストレスを与えないためだろう)、特に外を見る窓などは壁の全面がガラス張りになっていて南極の果てしない氷原を一望できるようになっているが、隣の部屋とは分厚い壁で隔てられ、リピア少尉とはここ半年も会わせてもらえていなかった。
「ふぅ…」
エラキは窓の外、南極の真昼の
「まずは…… 地下に入ったなぜ人類が事を、知らせないだった事か……教えてくれませんか?」
彼は下手な地球語で質問した。「教えてくれませんか?」といった固定のフレーズは流暢だが、構文がメチャクチャで理解が難しい。エラキが何と言ったかと言うと、彼は「まずは、なぜ人類が地下を調査していることを自分に知らせなかったのか」と憤慨していた。
というのも彼は捕虜になって最初の頃に、すでに人類がサウロイドの地下基地を見つけているものと思い「あそこに手を出してはダメだ」と口を滑らせてしまったことがあった。自分で地下基地の事を暴露してしまった彼は仕方なく「もし地下の調査が始まったら自分に知らせろ。その代わりに秘密を教えてやる」という交換条件をこの南極基地の研究者と結んでいたのである。
だが、見事に人類はそれを裏切った。
エラキに秘密で地下空洞の調査を行ったのである。
(捕虜に逐一、月の開発状況を教える義理もないだろうが、この南極から脱出できるワケも無いので約束どおり教えてやっても良かったのではないか……と思う)
――という
エラキの逆質問は捕虜という立場でありながら毅然としていて、まずは人類への糾弾から始まった。彼は捕虜になってからのこの一年、敬語しか習っていないので言葉は柔らかいが、その言葉尻には人類への不信感が逆立っていた。
「なぜですか……!?」
「そうだな、エラキ曹長」
エラキの前に座る防ウィルス服を着た初老の博士は、年齢以上に白内障気味の青いミルクのような瞳でエラキを真正面から見つめ、真摯に頷いた。
名札には「S・ボーア」と描かれている。あの量子力学で有名なボーアの甥にあたる人物で、名字からするにユダヤ系のようだ。
「まずは謝ろう。そして順に説明する」
前章で筆者はこの博士をこき下ろしたが、それは捕虜と看守、ラプトリアンと老博士、サンプル動物と研究者、翻って言えば黒人奴隷と白人資本家……という構図がそう感じさせていただけで、彼は他の将軍連中に比べれば悪い人間ではない。
やはり彼は「異星人の言語と文化研究」を任された優秀な文系の科学者であり、多くの文系の科学者がそうであるように彼は理性に御された理知的でリベラルな人物なのは間違いなかった。専門家ほどではないが哲学書をたしなみ、サリンジャーとハルキ・ムラカミを愛読書とするような反集団的な好人物である。だから彼は――
このガラス張りの牢獄の外で、黒山の人だかりを作ってエラキから「地下空洞の情報」を聞きたくて殺気立っている将軍連中に、手のひらを見せて「ちょっと待って下さい」というジェスチャーを行った。「拷問でもすればいいんだ」と今にも叫びそうだった将軍達は、博士の「待ってくれ」のジェスチャーを見て地団駄を踏み、何人かはコーヒーを飲みにエラキの牢獄の前から去って行った。UNSFは国際組織だが、結局そこに出向しているのは各国の軍の将軍達なので強硬派なのは間違いないのである。
「さて……」
ボーア博士はエラキが聞き取れるように地球語をゆっくりと話した。(もちろん英語である)
「君に秘密にしていたが、実は4か月前、人類は
「それは、45日、前に私は聞いたのはしかし、あなた達は知らないと演じました。ね?」
エラキは美しい声で応えた。
相変わらずメチャクチャな構文だが、猛禽類とコモドドラゴンを、猛禽類の比率を高めで割ったような厳ついラプトリアンの顔からは想像もできないほど美しい声である。
「ああそうだ。すまない」
ボーア博士は慣れたもので、エラキの構文を理解して頷いた。ちなみにエラキは「一か月半前に、地下空洞を見つけたかどうかと聞いたが、そのとき、お前達は知らないフリをしたではないか」と糾弾していた。
「
博士は「隠す」「隠す」と繰り返しながら、胸ポケットのペンを取り出し、それを見せては背中の後ろに「隠す」という動きを繰り返した。博士のその少しお
「隠す、知っている…」
エラキは辟易しつつ頷く。「辟易する」という空気感や
「なぜ、隠すた?」
エラキは「隠す」の過去形が分からず「hided ハイディッド」と言った。
「はは、そうだな。説明する」
別にそれで構わない、とボーア博士は笑いながら続けた。
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