第381話 サイワイ、ベツジョウ、ナシ

 月の地下に広がる、この謎の大空洞にはいないだろうが、いったん天井に張り付くコウモリになった気分で全体の位置関係を俯瞰してみたい。ダム一杯分の墨汁を注ぎ込んだような、闇に支配されたこの空間では当事者たちも五里中だが、コウモリならば闇に惑わされず全体像が見えよう――。


 まず一番右には、鎧ミミズが残した裂目クレパスだ。

 地下空洞の床に直径15mほどまで広がった裂目があり、その真上の天井もまた同じように貫かれている。鎧ミミズが地下から地上に移動する際に、たまたまこの空洞を通過した…というような穴の開き方であった。

 そして視線を左にスライドさせると、そこには50匹(人?)ほどのモスキート人間の群れがクワやツルハシを手に、まるで農民一揆のように波涛している。クワガタ人間や蟻人間と同種なのだろうが、見るからに品位の無い粗野な50人の暴徒が右から左に進む大波を作っていた。

 その波に追われるのはブルースだ。彼は宇宙人プレデターのナオミを背中から抱き上げ、彼女を引きずりながら逃げている形である。

 そして一番左、ブルースから先行して逃げる事さらに50m、サウロイドが遺棄した基地の壁の前までアニィは到着していた。基地は空洞の壁と一体化するような作りになっているため、これ以上はモスキート人間からは逃げる事はできない。それなのに、こんな袋小路のような場所を目指したのは――


「はぁ…!はぁ…!アニィ!は見つかったか!?」

 基地に逃げ込むためである。

 では、物語を再開しよう!


「施設の外壁まだ来たわ!」

 ブルースは基地の入り口などすぐ見つかるものだと楽観していたが、しかしアニィは基地の外壁をさすりながら右往左往するばかりであった。サウロイドが造った建造物なので「なんとなくこっちが入り口だろう」という人間の文化的な常識が通用しないのだ。

「でも真っ暗なのよ!入り口がみつからない」

「なんだって!?」

 ブルースは、を後ろ向きに引きずりつつ、怒りと驚きと絶望で思わず後ろを見やった。

「探せ!諦めずに!」

 見れば真っ暗闇の向こう、40mほど前方にアニィのライトがサウロイドの基地の外壁を照らす明かりがボンヤリと見えた。宇宙人を引きずりながらの後ろ歩きとはいえ20、30秒で追いつく距離だ。

「早く!団体さんと一緒に雪崩れ込むぞ!」

「分かってる!」

 二人の目論見としてはまず施設の入り口をアニィが開け、ブルースがナオミの死体とともにそこに飛び込み、すぐさまアニィがそれを閉じてモスキート人間を閉め出す――シンプルな作戦だ。それのためには施設の入り口をアニィが見つけなければならない。

「そもそも入り口はあるんだったよな!?」

「ええ、その報告は憶えている!高さ3mもあるドアだという報告で、そのときは研究者達みんなと「彼ららしいな」と笑ったから憶えている!でも…いまは…ともかく真っ暗なのよ!」

「こうなったら二択だ!壁に沿って右に歩いてみろ!」

「え…!?」

 左側に入り口があったら一巻の終わりだが…

「わ、わかったわ…!」

 やるしかない。二分の一なら確率が高い方だ、とアニィが腹を決めたそのときだった…!


 キュィーーン……


 ブルースの顎の下あたりから異音がした。

 モスキート人間のカサカサという関節の音や、ブルースのハァハァという荒い息などの生物的な音とは全く違う、サイエンシフィックな音である…!

「ん…?」

 と次の瞬間だ!

 バシュー!!

 目の奥が痛くなるような青白い閃光が、地下空洞の闇を振り払った!


 プラズマキャノンだった。

「まさか!?」

 ブルースの手元付近から発射されたプラズマキャノンはモスキート人間の大波に直撃し貫通し、射線上にいた5,6人をまるでプラモデルに鉄アレイをぶつけたように爽快なまで粉砕した。そう――

「生きていたのか、は!?」

 それはナオミだった。


 起死回生の一撃となったそのプラズマキャノンは、ブルースが背中から抱き上げ、後ろ向きに引き摺ってやっているナオミが放ったものだった!

「オロセ…!」

 ナオミは‟例の合成音声”で言った。

 時間が無かったせいで映画500本分だけの音声データから合成しているその地球人語は、老若男女が同時に喋ったような不気味な声だったが、ともかく言っている事はブルースにも分かった。

「下ろせ…!?」

 気を失っていただけなのか、とブルースは悟った。

 確かによく見えればヘルメットの後頭部に穴は開いておらず、鈍い銀色の装甲はまるで粘土のように銃弾を受け止めていた。プレデターのヘルメットは剛だけでなく柔の性質を持つようで単純な金属ではなさそうだ。


「ツギ、しょうめいだん、ツカウ…」

「下ろせと言っても、貴様、走れるのか?」

「タブンナ」

 繰り返すように、ナオミは子供に抱かれる人形のようにブルースに後ろから抱き上げられるような体勢になっている。そのある意味で「羽交い締め」にされている体勢から自力で暴れて脱しなかったのは、おそらくクワガタ人間から受けた腕のダメージを考慮しての事だろう。また、彼女が暴れることで二人で転倒してしまったらモスキート人間の群れに追いつかれてしまう事もある。

 というわけで彼女はプレデター的な恥を忍んで「ソッと下ろせ」と頼んだわけだ。

「よし、分かった」

 ブルースはモスキート人間の大波がプラズマキャノンで怯んだ隙を見て立ち止まり、いままで引き摺っていたナオミの両足が地面に着けるよう、よっ、と彼女ををさらに高く抱き上げてマネキンを立たせてやるように地面に置いた。

「どうだ?走れそうか」

 ナオミは長くケージに閉じ込められてた猫のように肩と腰を捻って自分の体の調子を確認すると

「サイワイニ」

 合成音声で応えた。

 地球語の習得が500本の映画しかないので、変な言葉遣いである。

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