第380話 その裂目から、奴らは来る(後編)

 サウロイドの基地が眠る月の地下の大空洞…

 野球場から観客席を除いたほどの床面積を誇るその大空間は、いま完全な闇によってドップリと満たされていた。人類の月面服の、バッテリー式のライトなどでは全く対抗できないコールタールのような闇である。


――くそ、あの宇宙人プレデターの照明弾があれば……!


 そんな圧倒的な暗闇の中、地面の裂目からゾロゾロと這いあがってくる謎の「モスキート人間」の軍団からも逃げなければならないという二重苦を背負ったブルースとアニィは、せめて暗闇の方だけは何とかならないものかと必死に思考を巡らせた。

 20人(いや匹?)もの手足だけが妙に長い真っ黒なモスキート人間に追われている二人が生き残る道は、サウロイドの遺棄した基地に逃げ込み扉を厚く閉めるぐらいだったからだ。


「方向はあっている!?」

 アニィは叫んだ。モスキート人間から逃げるように走るのは簡単だが、その方向がサウロイドの基地とは限らないので彼女は不安そうだった。真っ暗な中を走るのは難しいものなのだ。

「信じて走れ」

 そう叫び返したブルースはもう一度「あの宇宙人プレデターの照明弾があれば」と腹立たしげに思った。と、そのとき彼は気づく。


――宇宙人…!?


 そう、そのときブルースは宇宙人の事を思い出した。

 周囲を見渡すと ――真っ暗だから仕方がないが―― 笑ってしまうほど目と鼻の先、すぐ5mほどの10時の方向に宇宙人ナオミはうつ伏せに倒れていた。

「はっ…」

 そして、見れば今まさにそのナオミの小さな体は、地面お裂目からゾロゾロと這い上がってくるモスキート人間の波飲まれようとしているではないか――!

「く!」

 次の瞬間にはもう、ブルースの体は一足飛びでナオミに駆け寄っていた。

「ちょ、ブルース!」

 アニィはもちろん叫んだ。「独りにしないで」という不安や、「どこへ行くのだ」という疑問を含む叫びである。

「大丈夫だ、先に行け!」

 ブルースのこのときの行動は。あの宇宙人の不思議な装備品が使えるのではないか、という打算によるものだった。宇宙人の高性能な照明弾が残っていれば助かるし、クワガタ人間に放ったプラズマ砲が使えればそれもまたこの上ない――と彼は考えていた。

 ザッ!

 ブルースはうつ伏せに倒れているナオミに駆け寄ると、うつ伏せのその体をひっくり返し、両脇に腕を差し込んで背中から抱き上げた。戦争映画で負傷者を後ろ向きに引きずるシーンでよく見る、後ろから羽交い締めにするような体勢だ。正面から抱いたり、お姫様抱っこではないのは、不意打ちを喰らうからである。


 そうして、ブルースが背中から回した両手をナオミの首の下あたりでガッチリとホールドし後ろ向きに引きずりながら後退しようと伏せていた視線を上げたとき

「はっ…!!」

 そこには息を呑む光景が広がっていた。

 20人どころではない。それはまるで「デパートの開店と同時にお目当ての商品に殺到する消費者」という一昔前の資本主義の暴走を記録した映像のように、30人にも40人も見えるモスキート人間の塊がワッと彼の方に殺到してきているのだ!


――まずい!


 ブルースはナオミを引きりながら、全力の後ろ歩きで逃げた。いや、それでも足りない。

「ブルース、はやく!」

 先を行くアニィが後ろを確認してはブルースを急かす。

「分かってる!」

 彼は速さを求めて藻掻くうち、自然と両足でビョンとジャンプする走法になっていった。ギュッと力を溜めてビュンと後ろ向きに進む、まるで「イカ」のようなフォームを無意識に編み出していたのである。跳んでは着地し、跳んでは着地し「ビョン!…ザッ!ビョン!…ザッ!」というリズムの激しい上下動が…。


「アニィ!どうだ!?施設の入り口は!?」

「すでに発掘作業は進んでいたの!どこかにあるはずよ!」

「おい「どこかに」だって!? お前は基地の司令官だろう!」

「‟運用”のね。研究のリーダーではないのよ!」

「探せ!」

 ゾンビの群れがごとく迫ってくるモスキート人間に注意が向いている間に、彼らの背後で巨木のようにそびえ立っていた鎧ミミズはいつの間にか去っており、それに合わせて、すでに地響きも収まっていた。いまブルースの耳には自分の荒い吐息と、ヘルメットに備わっているマイクが捉えるモスキート人間の群れが出す「ドドド」という足音の地鳴りと、同じくモスキート人間の体から出る「カサカサ」という乾いた音だけが聞こえていた。


――関節を動かすときにこう言う音をさせる生物なのだろうか…?


 モスキート人間と比べるとクワガタ人間にはが、蟻人間にはがあったのだと痛感した。


「はぁ…!はぁ…! く…気持ち悪い奴め…!」

 最終的に裂け目から這い上がってきたモスキート人間の数は、50人ほどに達しただろうか?ブルースの視線から見えているのは、まるで「優勝投手に向かってベンチからワッとチームメイトやスタッフが押し寄せるシーン」の2倍ぐらいの人数感である。普通の人間なら失神してもおかしくない、絶望的な光景だった。ヘルメットの閉塞感と周囲が真っ暗である事が、より恐怖を演出している。

「はぁ…!はぁ…!アニィ!どうだ!?」

 ブルースは力の限りナオミの体を引き摺りながら逃げ、先行するアニィにもう一度叫んだ。

「施設の外壁まだ来たわ!」

 さすがに、ブルースと違って前向きに走り続けていたただけあって、アニィはすでにサウロイドの基地の跡まで到達していた。彼女は外壁をさすりながら右往左往している。

「でも真っ暗なのよ!

「な、なんだって…!?」

 ブルースに、視界だけでなく耳からも絶望がもたらされた。

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