第352話 光学迷彩(後編)

 サウロイドが残した地下施設を発掘すべく建造された人類の第二月面地ドームの中では、いま2種の謎の生物との闘いが繰り広げられていた。

 一方は地下、ブルースが戦っている蟻に似た4本の腕を持つ人型生物……。

 そしもう一方は地上、透明な宇宙人である……!


 両者は同じ勢力かもしれないが(確かに、槍にナイフと原始的な武器を使うあたり共通点はある)今はそんな事を考えている暇は無い。それにいずれ判る事だ…!


――――


 透明宇宙人による暗殺劇を目の当たりにしたアニィは、すっかり恐怖に心が染まってしまった。彼女は透明宇宙人がハサン副長の首を掻っ切るのを見るや、雷の日に犬小屋に逃げ込む小型犬のように、そのまま居住棟ユニットに引き返してしまい、仲間への警告すら忘れてデスクの下に蹲った。


――私が戦っても無駄だもの…!


 コントロールルームの、種々の計器類や操作ボタンが並んだコンソールデスクの下にアニィは四つん這いになって息を殺す…


――これは卑怯な行為じゃあないのよ

――私が何をしても無駄にやられるだけじゃない…

――ボーマン司令だって同じ事をするはずよ!

――私は正しい いまは生き延びる事が正しいはず…


 走馬灯というのは、危機に陥った脳が「何とか助かるための知識は無いのか」と記憶の戸棚をメチャクチャに開くせいだそうだが、まさにアニィの脳も恐怖に駆られて何とも無駄な事を考えていた。

 自己弁護をする辺りが、優しくも計算高いずるいアニィらしい。


 そんな混乱が十秒ほど続いた後でようやく

「いえ…! 何を考えているのよ」

 少し落ち着きを取り戻した彼女は潜めた声で叫び、自分に喝を入れた。そんな自己弁護をねるために思考のリソースを割いている場合では無いではないか。


――では、まずは……


「そうよ…! 他の者に警告を出すのよ。第一基地にも伝えなくては…」

 彼女はデスクの下に隠れたまま、バスケ選手が後ろ向きでダンクを決めるように腕を逆「く」の字にして、デスクの上の受話器を取った。

 そしてまた、受話器の隣にはがある事も覚えている。強い力で押せば割れるプラスチックのカバーがかけられたボタンだ。

「これを…。あれ…?」

 しかし彼女の腕力では、無理な体勢でそのボタンを割るのは難しかったようである。体重をかけて殴るようにして割るべき警報ボタンだからだ。

「えい、もう…!」

彼女は一瞬悩むも諦めて、そぉっとデスクの上に顔を覗かせた。まるで雪原でキツネから逃れたウサギが、逃げ込んだ穴から顔を出すようにアニィが首をデスクの上に伸ばした、そのときだった――!


 バシュゥウゥ!


 エアロックを誰かが開けたのである!

「――っ!!」

 彼女は慌てて、またデスクの下に隠れた。

 一瞬、仲間の誰かかと思ったが二重扉になっているエアロックの二枚目の扉を開けようとする様子から、それが宇宙人であると分かった。右に左にメチャクチャに捻られるドアハンドルは、それを握っている者がこの基地の勝手を知らない宇宙人である事を示していたのだ。

 なお居住棟ユニットに鍵はない。扉が衝撃で開かないよう厳重なロックはされているが鍵はないのだ。それはたとえば、と同じである。宇宙の施設は悪人はいない事が前提に設計されているのだ。


「く、来る……っ!!」

 例の透明宇宙人はしばらく四苦八苦したものの、ついに二枚目のエアロック扉を開き、アニィと同じ空間へやに足を踏み入れた…!

 見つかったのか…とアニィは思った。

 しかし、先ほど透明宇宙人が作業員達と戦った(いや惨殺した)エレベーターリフトの支柱棟に登ってみれば一番目立つのはコントロールルームを擁すこの居住棟なのだから、透明宇宙人が次の標的を求めてココに入ってくるのは自然な事だ……というのを今更にアニィは気づき、震えながら後悔していた。


――あぁ、なんということ

――逃げておくべきだったのだ…なのに!


 息を潜めなければならないというのに、恐怖におののく呼吸は短く荒くなるばかりで、アニィはそれを御す事ができない!初めてのスキューバダイビングでパニックになって危うく過呼吸になった事や、子供の頃にしゃっくりを止めようと思っても止まらなくなった事が思い出された。体の制御が理性の外に行ってしまったのだ。

 ガチガチガチ…!

 同じように歯の震えも止める事が出来なかったので、彼女は口を両手で塞ぐとともに、音が鳴らないようにした。そして後はただただ、デスクの下に身を丸め小動物のように震えながら透明宇宙人が去るのを願うだけだった。

 しかし……


 ザッ…!

 彼女の目の前に‟形をもつ蜃気楼”が立ち止まったのである!

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