第347話 蟻の兵(後編)
「こいつは宇宙人だ!蟻のような宇宙服を着ている…と思う!」
月の地下洞窟、深海のように闇と沈黙が支配するそこで出会ったのは蟻のような怪人だった。
「思う!?」
トランシーバー越しにアニィが訊き返してきた。
「もし宇宙服でなく裸ならコイツは蟻人間だ!蟻のような見た目をしている!」
「!!?」
一瞬、アニィはトランシーバー越しでも分かるほど完全に言葉を失い、それから怒涛の質問を投げかけた。
「蟻人間ですって!? いえ1体だけ!? いえ、それより大丈夫!? 待って!敵の大きは!?」
まったく、このアヌシュカというインド人の女は頭脳明晰でも戦いと言うものが分かっていない。敵と肉弾戦をしようという時に、そんな風にトランシーバー越しに質問を連呼されても集中力が乱されるだけではないか!
「少しだまれ…!」
ブルースはアニィの小鳥のような声をトランシーバーを切る事で文字通りにシャットアウトすると、蟻人間としばしの睨み合いに入る。しかしそれも刹那の出来事で次には――!
「くっ!!」
――蟻人間が飛び掛かってきたのである!
蟻人間が達人というほどではないがなかなかの速さで”槍”の突きを繰り出すや、対するブルースは達人的な反射神経で体を半身にしてそれを避けた!
真っ暗だったが、襲い来る槍の刀身は彼の喉元のギリギリを通り過ぎるに合わせて、彼の肩部のライトに照らされてキラリと光り、それが比喩ではなく本当に凶器としての”槍”であると認識された。
なんと本物の槍…手のひらより少し大きいぐらいのトランプのダイヤの形の刀身を先端につけた長い棒……まさに絵に描いたような戦国時代の槍だったのだ!
もちろんブルースは我々と同様に「月面のバケモノが槍を使うだと!?」と疑問したが、それを考えている状況ではなかったので瞬時に思考のリソースを切り替え、反撃行動に全ての意識を注ぎ込んだ!
余談だが人のIQは2005年をピークに下降に転じているそうだ。
それはスマートフォンに代表される便利すぎるガジェットの登場により、現代人はマルチタスクが癖づいてしまい一つの事に集中する力が失われているとの事である。
そういう意味で、今のブルースのように気になる事を”無視する力”は、とても21世紀な能力といえよう。限られた脳のリソースを一点集中で押し出す訓練を、格闘家(アスリート)であるブルースは日々行っていたのだ!
「笑止!」
文字通り、‟間一髪”ほどのギリギリの距離だけ置いて白刃を避けた彼は姿勢を崩されておらず、むしろ敵は「おっとっと」と前に重心が行き過ぎたように見えた。漫画の中の達人は敵の攻撃をギリギリで避けるものだが、これはただの演出上の「カッコつけ」のためではなく、こうしたスムーズな反撃のための布石なのだ。
――クルン!
喉元に突き立たれた槍を、右肩を退くようにして半身になって回避したブルースは、そのまま右回りに回転しつつ(つまり一瞬、背中を敵に向ける形だ)左腕の脇で槍の胴体をホールドすると、右手では腿の辺りにマジックテープで係留していた‟残酸素計”を取り、それを握る事で破壊力を増した裏拳を繰り出した。状況に応じた達人のインスピレーションで放った技だが、もし名前をつけるならば右手による「スピニング・バックナックル」だろう!
〔キシューー!!〕
蟻人間の不気味な断末魔が、月の地下に鳴り響く。
呆気ないものだ。
ブルースが回転しつつ繰り出した右パンチは蟻人間の頭部を完全に捉えると、かなりの致命傷を与えたようである。卵が陥没したかのように(殻は割れつつ内側の膜で崩壊を免れているような状態だ)蟻人間の顔の一部は砕けて、彼は声というよりは空気が漏れるような妙な悲鳴を上げつつ、両手で割れた頭を覆って悶えた。その悶え方は人間からすると尋常ではなく、ひどい皮膚病の猿のように両腕で頭を掻きむしっているように見えた。あるいは、まるで殺虫剤をかけられた虫のようだった。
まだ倒れてはいないが、勝負ありという状況である。
「……」
ブルースは次の攻撃を防ぐべく左脇に挟んだものの、そのまままま呆気なく奪えてしまった槍を順手に持ち替えつつ、それでも油断なく三歩ほどの間合いを作ってその仮称・蟻人間を観察する事にした。
なお、両肩部のライトのうち左側はどうやら不意打ちを背中に食らったときにバッテリーが破壊された関係か、点灯しなくなってしまったが、まぁこの距離ならば収束モードにすることで右側だけでも何とかなりそうだ。
それより不意打ちの盾になってくれたバッテリーに感謝である。
「……アニィ、聞こえるか?」
「聞こえる!聞こえる!突然切らないでよ! 大丈夫!?」
「ああ」
「蟻の怪人というのは!?」
「倒した。大丈夫だ。それでだが…
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