第344話 トレマーズの怪

 月の地下に広がる真っ暗な洞窟の中に、グゥン、グゥン、という金属の太いワイヤーケーブルがたわむ音だけが響いている。はるか40mも上の地上から垂れるワイヤーの先端にぶら下がった男が、体をバナナのようにしならせて振り子運動を行っているからだ。

 ワイヤーは洞窟の床とほぼ同じ高さになるまで伸びているが、アクションゲームの意地悪なステージのように、ワイヤーの縦軸の真下は謎の裂け目クレパスが口を開けているため、こうして体を揺すってジャンプし、洞窟の床に飛び移らねばならなかったのだ。


 真っ暗な洞窟はドワーフの地下宮殿がごどく広く壮麗で、遠景で見ると男の肩部に装着されたライトだけが深海に揺れるチョウチンアンコウの触覚のようであった。またその振り子運動を支えるリフトの支柱、つまり地上の縦穴を跨ぐように立っている4つ足の支柱塔ヒトデは、その体験したことのないワイヤーの横の動きに面食らったように老婆のような軋み声を上げていて、不気味さを演出していた。


 …しかし大丈夫だ。

 元々5人乗りのリフトだし、いまやゴンドラも無い、男一人がどんなにワイヤーの先端で暴れてもヒトデは耐えきる事ができるだろう。


――――――


 グゥゥン…グゥゥゥン…グゥゥゥゥン!!!

 振り子運動は強まっていく。

「どう!?」

 地上のアニィは窓から縦穴とその上に跨る支柱塔ヒトデの様子を見ながら、高出力トランシーバー越しに地下のブルースに訊ねた。

「問題ない!ゆっくりすぎて、もどかしいほどだ。子供向けのバイキングのようだ」

 月の重力のせいで振り子運動がゆっくりなのである。

「バ、バイキング?」

 アニィはブルースの素っ頓狂な発言に安堵すると同時に苦笑した。

「遊園地にある、舟の巨大なブランコのようなやつだろ?」

 と隣のハサンが補足した。

「そうだ。香港にそういう古いアトラクションがあってな。…さぁいくぞ」

「跳ぶのね!?」

「そうだ……ぬぅぅ…!」

 ブルースはそう頷きつつ、最後の”加速”に入った。振り子の頂点で腰を反らし、落下すると共に体を沈めていき最大に加速する…そして!

「とう!」

 彼はゼリーのような漆黒の先に見える、わずか半径1mほどの円形の地面を目指して跳んだ。深すぎる闇に抗うため肩部のライトを一点集中で押し出しているために、その狭い範囲しか見えないのである。もちろん「見えていない場所にも地面があるだろう」…とは頭では分かっているが、しかし何と恐ろしいことか。

 クレパスの奈落の上をフワッと跳び越えていくその瞬間を想像するだけで、男なら股間が縮み上がるような想いをするだろう。



 どっくん…どっくん…

 もちろん1/6の重力のせいで、人の抵抗を許さない中空の時間は引き延ばされる。 

「…ぬぅ…うぅぅ」

まるでジェットコースターが登っていく時のような、無力感に苛まれる緊張がしばし続くが、同時にそれは永遠ではない。


 ズサッ!

 次の瞬間、彼は見事に着地した。

「…っ」

 地下洞窟の底、サウロイドの基地化が進んでいない自然の土(おそらく月が生まれてから誰も触れていない土だ)の上に、彼は両手をつかず二本の足だけで華麗に着地して見せた。

「本部、着地した…」

 高出力トランシーバーはまだ地上と繋がっていて、彼の報告でコントロールルームのアニィとハサンは思わずタガログ語で「やったー」と叫んだ。

「よくやってくれたわ!」

「うむ…杞憂だったようだ。地面はある。クレパスはそれほど大きくない。そして遠くには…」

 肩部の二門ライトを極限まで絞りさらに出力を高めて、遠方の一点を照らしてみると、そこには人工物と思しき‟壁”があった。。

「例の恐竜野郎サウロイド達の基地の外壁が見える。洞窟の床は基本的には無傷で……つまりクレパスが出来ていたのは、やはり我々が使っているリフトの縦穴の真下だけという事だ」

 ゴンドラが着底するはずの床だけが、狙ったかのようにゴッソリ抜けているという事だ。

「そこにゴンドラは飲まれたわけね!」

「その洞窟の下に、もう一つ地下空間があって、落とし穴みたいに床が抜けたのだろうか?」

「知らんな…だが」

 地上の二人はを忘れてしまったのか ――あるいは元々信じていなかったのだろう―― すっかり安堵したような雰囲気だが、現場のブルースは違う。


「だが問題は、ということだ」

「そう…ね」

 アニィは何ともつかない相槌をするほかない。否定しても水掛け論になるだけだ。

「ともかく予定通り、いったんワイヤーを地上こっちに引き上げるわよ。ワイヤーの先にパイプ椅子だか、梯子だかを溶接してすぐ戻すわ」

「人も送る。たっぷりの照明機材もな」

「助かる。その間、俺はクレパスのふちを確認しておこう。氷の湖の裂け目のようにこの穴が連鎖的に拡大しそうか、安全なのかをな」

 ブルースはクレパスの縁取る地面を足の裏で掃き掃除でもするように確かめながら言った。このとき彼は二人に伝わるように「クレパス」と言ったが、その断面がとてもそうは見えない事に気づいていた。

「…ふぅむ…」

 クレパスという自然現象の裂け目には見えなかったのだ。まず第一に裂け目クレパスというにはその穴は丸すぎた。ほぼ真円ではないか。まるでが地中の真下から昇ってきて顔を出し、戻っていったような穴だったのである。

 あるいは映画「ホビット」の中で出てくる大ミミズなるクリーチャーや、DUNE-砂の惑星-のサンドモンスターの通り道のようだ。穴から想像するその巨体ならば、地中から出て来てゴンドラをガブリと一飲みし、そしてまた地下に去っていたという光景は想像に容易いが…

「まさかな…」

 ブルースは首を振った。


 しかし我々は、その想像が案外間違っていない事を知っている。

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