第339話 蜘蛛の糸の制御室(後編)

 月の地下に大洞窟を発見したサウロイドは、そこに第二の月面基地を建設しようとしたものの、その途中で放棄した。


 それから約1年半後―― 

 そんな地下洞窟とサウロイドの建築跡は、いまや人類の恰好の研究対象おもちゃであり、つい1か月前に制圧・接収した第一基地(レオやネッゲル青年が戦ったあの基地だ)のA棟・D棟の再整備リフォームが終わり、さしてトレーニングもしていないお偉いさんを迎えれるようなホテル化が完了すると、次第に人々の興味はこちらの第二基地の残骸に注がれ始めたのだ。


 その先遣隊のリーダーが、このアニィことアヌシュカ中佐である。

「もしもし!」

 アニィはいま、伝声管に声を張り上げていた。

 彼女の口の前にあるの管の反対側は、地下洞窟への縦穴を往来するリフトに据え付けられていて、そのリフトで待機している研究員からの応答が返ってくるはずだったのだ。が……

「……」

 しかし返ってきたのは無言だった。いや無言は無言ではない。

 無言と言う名の回答である…!やはり地下で何かがあったのだ!敵襲というのは誤報でたぶん落盤事故だと思っていたが、もしかすると……?


「有り得ない。ほんの30秒前です」

 リフトの上げ下げを任されていたトム大尉は叫んだ。

「中佐が来るほんの30秒前に、リフトに戻ってきた3人と話していたんですよ!そして私は「待て」と伝えた。それがたった30秒前です」

「じゃあどうしよう…!引き上げる?いえ…それとも」

 アニィは指揮官だという事を忘れて、大いに狼狽した。狼狽して思わず知っている事を訊いた。

「リ、リフトの片道は2分ね?」

「え?」

 トム大尉は怪訝そう応えた。

「は、はい。そんなの知っているでしょう?」


 無駄な確認は、人間が狼狽している証拠だ。

 基地の長、管理者であるアニィは設備の全てが頭に入っている。リフトのモーターのワット数まで分かっているのに、無駄な確認をせざるを得なかったのだ。

「ええ、知っているわ……」

 呆然と頷きつつ、アニィの頭はものすごいスピードで回転している。


 いったんリフトを引き上げて確認すべきだろうか、とアニィは考えていた。

 リフトの中で意識不明になっているのかもしれない。

 普通に考えればで、月の地下鉱脈か何かを傷つけて有毒ガスが ――いや地下作業員は月面服を着ているので電磁パルスだ―― ともかく何か突発的な事故で作業員の意識が飛んでしまったのかもしれない。

 アニィはそう考えている。


「そ、そうよ…!」

 そうだ、地下洞窟は元はサウロイド達の基地の跡なのだ。EMP爆弾のような時限式の罠が仕掛けられていたというのは十分に考えられる!

 それなら早くリフトを引き上げてやって状況を確認しなくては!

 彼女の頭の中では、真っ暗な地底の闇に包まれたリフトの中で折り重なって倒れて「早く引き上げてくれ…」と懇願している3人の想像図が完全に構築されていた。


「よし!やっぱり引き上げまし――」

 想像は事実にすり替わり、彼女の決断への背中を押そうとした、そのときだった。

 タイプ1居住棟ユニットのデフォルト装備である壁の警告灯のランプが赤く点灯したのである。これはエアロックが開いている事を示すものだ。ただ、この第二月面基地では居住棟ユニットの外はすぐに真空の月面でなく、いったん加圧されたドームで覆われているので形骸的なランプである。

「誰!?」

 この突然の来訪者もそれが分かっていて、エアロックの警告を無視して、二枚目の扉を勢いよく開いた。まるでコンテナハウスをコテージに流用したキャンプ場で、お隣さんにお邪魔するような気楽さで居住棟ユニット同士を往来できるのがドーム式コロニーの良い所である。


 閑話休題。いまはドーム式コロニーの宣伝をしている場合ではない。


「俺が、地下に降りよう…!」

 さて、その来訪者はブルースだった。

「な、なに…!?」

 アニィは文字通り、何を言っているか分からず、訊き返す。

「俺が地下に降りると言っている」

「彼は誰です?」

 トム大尉が聞く。ブルースは今日赴任したばかりの男であるためだ。

理学士トレーナーよ…そして」

 アニィはトムの質問に応えつつ、すでにブルースの「地下に降りる」という提案を有難く受け入れようと思考が切り替わっていた。

「確かに、体はバキバキに鍛えられている…いけるかも」

 トムもアニィの意向を察するが、簡単には賛同できない。

「なるほど…。しかし、縦穴の深さは40mだ。入り口は直径4mしかないが、いやそれでもまぁ大穴だが、ともかく地下は壺のように広がっている。分かるか?口は小さいが中は広い。途中に足場など無いぞ?」

「もちろん、腕でワイヤーだけをつたっていくつもりだ」


 ブルースはぶっきら棒に応えた。

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