第338話 蜘蛛の糸の制御室(前編)

「落盤事故の可能性は無いのね!?」

 地下洞窟への縦穴を往来する垂直式リフト、それの制御室に飛び込んできてアニィは叫んだ。

からは、そういう報告です!」

 リフト制御室は、ほかの量産型の居住棟ユニットと同じ床面積だが、リフトを巻き上げるモーターとそれのバッテリーを納めた機関室を擁しているせいで、人間のスペースは小型のバス程度である。


 アニィがその部屋に入ってきたとき、リフトの昇降の舵を任されていたのは地下洞窟の研究員の一人であるトム大尉だった。彼は今日は非番だったのだろう(※)、傍らに置かれたタブレットデバイスの画面には何かの小説が表示されている。

 ※非番で今日がリフトの操作を担当するのだ。何度か説明している通り、宇宙に専門家はいない。すべてが兼任なのである。


――――


「リフトを引き上げてないの!?」

 アニィはちょっと背伸びをして、居住棟ユニットに初期装備されている小窓の外を見やる。真空にも耐える(タイプ1型はドームが必須ではないからだ)分厚いガラス窓の向こうには巨大な縦穴、地下洞窟へと続く地獄の口が見えた。

「地下の連中からの指示を待っているんですよ!」

 その縦穴の上には、東京タワーを小さくしたような4つ足の‟ヒトデ”が穴を跨ぐように立っていて、ヒトデのへそからは太いワイヤーが芥川の「蜘蛛の糸」よろしく奈落の底へ垂れ下がっている。逆にワイヤーの上端はヒトデのへそを貫通し、ミニ東京タワーの頂上まで至ると、そこに設置された滑車で運動方向を下向きにVターンさせられ、最終的には地上のこの居住棟ユニットのアニィ達がいる部屋の隣、巨大モーターの機関室に繋がっていた。

 つまり、井戸から水を汲む滑車と桶と同じ、原始的で普遍的な構造だ。


「リフトには、いま何人乗っているの!?」

「三人が待機しています」

「…い、いったん 何人、地下に残る事になる!?」

 引き上げては?では指揮官としてはダメだ。命令するなら命令をしなければいけない。アニィは経歴もIQも…そしてかなり小食なのでランニングコストも、この僻地げつめんでの管理者としては完璧な人材だがリーダーとしての経験が足りなかった。

「5人です。負傷したという1人を探しに洞窟の奥に戻ったのかもしれません」

「え?死んだっていったでしょう!? 負傷ってなによ?」

 状況が判然としない。

「こっちもわかりませんよ。ここに居てリフトの上げ下げをしてるだけなんですから!」

「もう! 三人と話すには?」

「その伝声管で」

 トムは指でトランペットの頭のような伝声管の口を指さした。

 2034年にして、まさかの伝声管である。


「もしもし!」

 ドーム内が0.3気圧で満たされているから伝声管が使えるのだ。

 ドーム内の空気の組成は窒素ばかりで酸素が少なく長くは呼吸できないものの、やはり加圧されているのは便利である。(窒素ばかりだから火災の危険性もひくい)

「こちら司令官のアヌシュカよ!」


 窒素ばかりのせいで、パーティグッズのヘリウムガスとは逆に、低く歪んだ面白い声が帰ってくると思った。しかし

「………」

「もしもし!」

「……」

 しかし、帰ってきたのは無言だった。いや無言は無言ではない。

 無言と言う名の回答である…!


「ちょっと…」

 アニィは、伝声管の途中の管が切れているのではないか、と振り向いた。

「そんなハズはない。ちょっと!」

 トムはアニィを手の甲で押して、伝声管の口の前に陣取った。そして

「応答せよ!!」

 これでもかという大声で叫んだ。という表現が近い。

「これぐらいじゃなきゃダメなんです。空気振動(物理現象)ですからね」

 男は振り向きつつアニィに説明するとまた「応答せよ」と怒鳴った。なお、伝声管は一本で一回線なので「こちら制御室」という名乗りは必要ない。


 しかしそれでも――


「……」

 伝声管のトランペットから声が戻ってくる事は無かった。

「ほら…」

「有り得ない。ほんの30秒前です、中佐が来るほんの30秒前に話していたんですよ!」

「そんな…」

 二人は頭ではダメだ分かっているにも関わらず、耳を澄ましてさらに5秒ほど待った。しかしそれでも伝声管は沈黙を守っている。

「どうしよう…」

「そ、そう言われても」

「引き上げる…? いえ…どうしたら…」

 アニィは指揮官だという事を忘れて、隠すことなく大いに狼狽していた。

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