第334話 2034年、第二次ルネサンスはじまる

 サウロイドが放棄した第二月面基地(地下洞窟を利用した基地)の跡はいま、人類の科学的好奇心の絶好の的になっており、それの調査発掘隊が住まう仮設基地は民間の資本の援助が入った事で「ドーム型のコロニー」という、それ自体が月運用テストを兼ねた異様なものになっていた。


――――――


 そんな窒素で満たされたドームの中で、居住ユニットの整備をしていた科学者と、おそらく第一基地(サウロイドのあの十字型の基地だ。いまは人類が占拠している)からやってきた男は、ドームの天井を覆う超硬化学布により白濁させられている宇宙を見上げながら世間話を続けている。


「まったく…」

 科学者は本当に忌々し気に言った。

「私はプロテスタントではあるが、聖書通りの神は信じていない。だが…」

「……」

 無言でもって、来訪者である男は「だが」の次を促した。

「だが人々が落ち着けるという意味で宗教の価値は分かっていたつもりだ。両親が死ぬときかけるべき言葉として「天国」は必要だからな」

「……」

「だからさ、別の地球人ラプトリアンが見つかるより宇宙人の方がマシだったんだ。ラプトリアンが見つかったせいで人類はおかしくなっちまった。全ての宗教観は台無しだ」

「ああ…それは、俺もそう思う」

 無口な来訪者もそれには同意した。


 エラキ曹長(ラプトリアン)とリピア少尉(サウロイド)が生きたまま捕虜となった事は、人類を大いに動揺させた。ある側面では、MMECレールガンだとか小型原子炉だとかのサウロイド文明の技術を接収した事より重大な ――特に精神的な―― 大衝撃インパクトが種としての人類にもたらされたと言えるだろう。哲学も芸術も宗教も、全てのこの2034年に大きな転換を迫られていたのである。

 地球では2034年はルネッサンス以来の大革新の年になっていたのだ。


「さて…」

 頭が良い人間は多弁か無口のどちらかだ。この科学者は前者のようで、堰を切ったように一息に喋ってから落ち着きを取り戻し「さて」と息を吐いた。

 上記の通り文化も娯楽も宗教も地球は大混乱だったが、理知的な人間しかいない月は静かなものだ。きっと南極越冬隊もいま同じように静かだろう。科学者達はこうやって少しの世間話をしてガス抜きをすれば、いつもの仕事に戻る事ができるようだ。

「さて、それで君は何者だ?」

「あ…ああ。そうだな。俺は」

 その無口な来訪者は「本題の質問をするのか」と、さすがに苦笑しながら肩をすくめた。

「……格闘家だ」

「は?」


――――――


「ブルース!」

 第二基地の臨時のマネージャを勤めるアヌシュカ中佐(そう。あのアニィだ!)が、その新しい居住ユニットを訪ねると、ブルースと呼ばれた無口な来訪者は室内に据え付けられた備品や家具のビニール包装を剥がしているところだった。

 この新しいタイプ2と呼ばれる居住ユニットは、広さこそタイプ1より三倍も広くなったが。玄関と呼ぶべきメインの扉は一応の二重扉にはなっているが、気密性はなく空気は外と一続きになってしまうため、最初からドームの中で運用を前提として設計されたものだった。メリットはもちろんコストが安い事と、そして床面積が広く確保できる事である。

 そのサイズといい二重扉といい、寒い地方のコンビニを想像して頂ければ分かり易いと思う。


 そういうわけで――

 アニィというニックネームがすっかり浸透したアヌシュカ中佐は「ブールス!」と声をかけつつ後ろ手にサッと玄関んお二重扉の1枚目を閉じたが、外(つまりドーム)と居住ユニット内の気圧差により必然的にバッと風が舞った。

 ドームの方が少し気圧が高いようで風は外から室内へ向かって吹き、二重扉で弱められつつも何故かパンツ一丁のブルースの背中を零下10度の突風が襲った。

「なんで裸なのよ?」

 アニィはさらに後ろ手に二重扉の2枚目を閉じつつ、ブルースがいる部屋の中に入る。いわゆる1R(ワンルーム)、玄関と部屋だけの質素な作りの居住ユニットであるが、この貧しい第二月面基地で今のところ最大のサイズの空間であった。


 さて、この部屋が何をするためのものかというと――

「立派なジムじゃない」

 そう、ここはトレーニングルームだったのだ。


 そしてブルースと呼ばれた来訪者は、月面での長期滞在をサポートするためのスポーツインストラクター、同時に自分の体そのものを被験体として低重力での変化を研究する理学士だったのである。

 まぁその前に本人は格闘家のつもりのようだが…

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