第330話 通過儀礼(イニシエーション)
その謎の宇宙船はいま、人類がサウロイドから奪った月面基地へと進路を向けた。
操縦席には一匹の犬のような生物と、少女が乗っている。
彼女の正体は分からない。彼女が属している集団も不明だ。だが今しがた彼女が受信した‟マスター”と呼ばれる男からの
まず宇宙船を使いこなすような科学力があるのに、それが電報だということ。
受信したデータは電報かポケベルのような素っ気ない文字だけで、スターウォーズ的なホログラム映像も無ければ、あたたかい音声もない。そういう戯れ合いを好まない集団なのだろう。
次に謎の文字であること。
楔形文字に近い、棒の組み合わせで出来た文字でその電報は書かれていた。文字の数はなんと20種類にも満たないようであり、その事は日本語のような表意文字ではなく英語のような表音文字、それもかなり無駄を削いだ文字体系を使う集団だという事を示していた。(CとKは同じでいいだろう、大文字小文字はいらないだろう、とシェイプアップしていった未来の英語のようだ)
そして最後に、任務の事を「試練」と呼んだこと。
これは上二つほどの明確な考察には至らないが、なんというかカルト教団めいたものを感じさせた。それは事実としてマスターの言葉の最後に現れていて――
「弟子よ、お前はこの試練で死ぬだろう」
「お前はこの試練に敗れて死ぬだろう」
「しかし弟子よ、思い出せ。一片の曇りも無い闘志を持って
――という非合理極まりない激励を、‟愛”を持って綴っているほどである。美しく戦って死ぬことへの憧憬と賛辞は、我々日本人の血にも流れているのかもしれないが……彼女と彼女が属す集団のそれは度を越していた。
ともかく彼女はまるで、幕末、新政府軍に対して勝てない戦を挑んで散っていった白虎隊の
――――――
「マスター…」
この宇宙船は、彼女一人が乗っているにしては奇妙なほど広すぎて、その廊下は偉大だった王の霊廟のように寂しかった。そんな冷たい(心理的に、という意味だ。室温はコンマ以下まで徹底的に管理されており実際に寒いわけではない)廊下を彼女はヒョルデと共に、筋肉と柔軟性が成せる美しいフォームでカツカツと歩いていく。そして船の後方、トレーニング室の隣の武器庫にまで辿り着くと、今度は慣れた手つきで戦闘用の装具に着替え始めた。
その鎧は、籠手と脛当ては厳重でありながら逆に胴体は宇宙服としての機能以外は無いような薄膜……という見たことの無い代物だ。暖かい海のダイビング用のスーツ、エヴァンゲリオンのプラグスーツというのに近いだろうが、素材はラバーではない未知のものだった。
色はライトグレー、光が当たった月の大地の色だ。ただ、隠密性を考えているというわけではないようで、籠手や肩、脛のアーマーは対照的なガンメタルブラックで、白に近い灰色と黒の強いコントラストのせいで、むしろ見つかりやすい格好である。
この戦闘装束への着替えの中で、彼女が特に気にしたのは籠手の位置だった。
寝付けない夜のシーツの皺のように、彼女は籠手がほんの数センチすらズレるのも嫌い、何度も何度も微調整した、そしてようやく落ち着くと、今度は籠手から何度か飛び出し式の2本のナイフ(爪のようになっている)の具合を確かめた。
「よし…」
この一連のルーティンは気持ちを昂ぶらせる意味もあるのだろう。
ナオミは一言「よし」と喉を鳴らすと一瞬だけ、船の進路状況を示すUIが表示されている壁のモニターを鏡モードに切り替えて自分の姿を一瞥すると、足元で良い子に座っている巨大な猟犬ヒョルデの頭を「さぁ移動するぞ」と一撫でして武器庫を後にし、その足で離着陸艇に向かうのだった。
やはりこの巨大な宇宙船に、ほかに乗組員はいない。
すべてが全自動で動いているようだが、しかしアルテミス級の艦載スーパーコンピュータSALのような人工音声は聞こえてこない。すべてが冷たい印象だ。こんな宇宙船を作る技術があるなら音声操作(音声認識)など他愛もないはずだが、そういう機能も無いようで彼女は90'sのSF映画のようにコンソールパネルを「ピッピッ」と操作して離着陸艇のハッチを開いた。
離着陸艇…そう、この宇宙船は母船だったのだ。
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