第326話 尻尾の無いサウロイドは、尻尾を巻けない(後編)

『敵艦の墜落予測まで、あと55秒!』

 オペレータが最後の報告をした。

 

 人類の誇る史上初の宇宙戦艦(実際は宇宙船)のその一番艦である「アルテミス」は、その頭脳である艦載コンピュータのSALを海底人によって誘惑ハッキングされ、いま火の玉となってサウロイドの基地に落下してきていた。


『爆砕の準備は?』

 皆はもう退避してしまいガランとした臨時の司令室の中、レオは最期の大事な確認をした。隣の部屋にある次元跳躍孔ホールに飛び込めば退避になるとはいえ、あと55秒しかない……当然、早口での会話だ。

『幸いシステムの70%が生きています。地上階はレーザー砲でやられ35%しか稼働しませんが…地下1階の75%、地下2階の88%を爆砕可能です』

『よろしい』

 施設を爆破することで科学技術を渡したくないのももちろんだが、次元跳躍孔を埋めててしまうことで敵がそれを見つけるのをなるべく遅くしたいという意図がある。

『では100秒後に施設爆破をセット! ……あとの地上階や地下1階は敵の特攻艦が破壊してくれるでしょう』

 そう呟いたレオの背中に、ちょうど隣の部屋から副司令の叫び声が投げかけられた。

『司令!他の者は退避完了です。お早く!』

 与圧されているので、この声を聞いたのは裸耳らじである。

 副司令のはまるで、引っ越しの作業が終わった空っぽの部屋か、閉山される鉱山の休憩室を施錠する鍵の音のように、妙に寂しく響いた。


『さぁ、我々も急ぎましょう!』

 レオはオペレータ2人の肩を叩き、隣の次元跳躍孔の部屋に移動した。

 そして副司令も次元跳躍孔に飛び込んでしまい、ついに月面基地の最後になった3人は予定通り「Uターンせよ」の文字を、辞典のように分厚い「施設マニュアル」や「月面医療の手引き」やらの本の表紙に書き殴って、次元跳躍孔の前にまるで並べた。

 80時間後、ワープアウトしてくる増援兵達はさぞ驚くだろう…。


『あと20秒です! 司令!』

 オペレータはそう言いながら次元跳躍孔に飛び込んだ。

 レオは次元跳躍孔のタラップ(次元跳躍孔は床から1mほどの高さに浮いているのでタラップが必要なのだ)の最後の一段で立ち止まると、誰にも言うでもなく

『必ず戻ってくるぞ…! 奴らめ、覚えていろ』

 と、彼らしからぬ攻撃的な台詞を吐き捨てて、勢いよく次元跳躍孔に飛び込んだ。

 

 尻尾を巻いて逃げるという慣用句があるが、尻尾の無いサウロイドはそれができないのだろう。


――――――

―――――

――――


 ここで、物語の時間が大きくすすむ。


 しかし ――久しぶりの補足をかねて言うなら―― 次元跳躍孔ホールを通り別の確率次元の宇宙にするのは観測者にとって一瞬の事である。

 いや正確にいえばサウロイドの基地が擁する次元跳躍孔……後年に【ホール1】と命名される点(x,y,z,t,p1)を通り抜けた先は【ホール1†】という共役な点(x,y,z,t,p2)であり、それを

 なぜなら変数(ここでいうp)は連続的な繋がりを持っていないからだ。

 つまりそれは「シュン!」という移動よりは、「パッ!」という場面転換と呼ぶべきだろう。そして特に場面転換の中でものことを、我々はワープと呼んでいる。


 なお――

 日常生活では思わず高速移動のことをワープと言ってしまうが、その両者は根本から違う。もし東京から大阪へ移動できる「超高速ビークル」と「ワープマシン」があったとき、だったなら、科学に興味が無い人間は「両者に違いはない」と言うだろう。彼らが違いとして挙げるのはきっと乗り心地とか、静音性である。

 しかし数学や物理の観点でいえば両者は全く違う。

 何が違うかといえばワープマシンの方は名古屋を通らない事だ。


 そしてこの与太話が何を言いたいかと言うと

 レオ達サウロイドは、ホモサピエンスが栄えた確率次元(p1)の宇宙の、西暦2033年という時間(t)の、月面という場所(x,y,z)にある次元跳躍孔【ホール1】を通り抜けて、自分達の確率次元(p2)の宇宙の同じ時間、同じ場所(※)にある次元跳躍孔【ホール1†】に出たわけだが――


 ※宇宙のサイズから見ると同じ場所とはいえ、微かに誤差があり【ホール1】は月の地中だが【ホール1†】は地球の空に浮いている


 ――これは例の通りではないため、点p1と点p2の間の点p1.5は通過していない。これがポイントだ。

 つまり東京-大阪を繋ぐワープマシンでは名古屋に途中下車できないように、人や恐竜の代わりに例えば…‟シャチ”や”虫”が知的進化した別のパラレルワールドとは、どうやっても観測できないまじわらないという事だ。


 ……


――――――

―――――



 朝のトレーニングを終えたナオミは、汗を拭きながらトレーニング室の大きなディスプレイで、空(宇宙)から見下ろした月面基地の全容を眺めていた。

「あれが月の基地か…」

 人類に制圧されて一年が経とうという月面基地は、今なお四六時中、施設の方々で溶接やら掘削やらの火花が上がり続け、まるで猛烈な勢いで成長する発光性のクラゲのように綺麗で、そして恐ろしかった。

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