第323話 アルテミスの最期

 司馬遼太郎の「坂の上の雲」は、タイトルの通り日本という国が血を吐きながら鬼の形相で坂を駆け登っていく(その目指す先が雲だというのがアンビバレントなわけだ)怒涛の物語であるが、最終7巻のいよいよバルチック艦隊と激突するというクライマックス手前で急に静謐に包まれる瞬間がある。

 描写としては、突如、物語に関係のない孤島に住む小坊主が登場し、和尚のために薪だが水を求めて朝早く野山に出かけるというものだ。読者は「これはいったい何を読まされているのか?」と困惑するものの、とりあえず小坊主の視線になって野山を分け行っていくのだが――あぁ、その次の瞬間がすごい。

 はるか日本海を一望できる丘の上まで来た小坊主が、東の水平線から昇る朝日にお辞儀をし「さぁ帰ろう」と振り返って西の海をみると……そこには見た事もない大艦隊が轟々の黒煙を上げて、本土にほんを目指していたのだった――


 と、前置きが長くなってしまったが

 この小坊主を、いま二番艦デイビッドの艦長である真之が演じていた。

 人類が初めて人類以外の知的生物と戦った(しかも月で!)という歴史的な事件のフィナーレを目撃する唯一の人間として、運命は彼を選んだのである。


――――


 話を現実に戻そう。

 海底人に操られた一番艦アルテミスは、円環山脈クレーターの「T-6」と呼ばれる峰の頂上で傍観している真之の、まさにちょうど真上を通過するタイミングで

 キラッ…!

 自慢のレーザー砲を放った。

 レーザー砲はまるでピタゴラスの定理を空に描くように、斜辺として地平線の向こうまでピアノ線のような細い細い光の筋を形成し彼を戦慄させる…!

やつらサウロイドの基地を撃ったのか!?」

 月の空には、レーザーに熱されて発光する粒子や塵がほとんど無いため軌跡はほぼ見えず、地上から見ると途切れ途切れのピアノ線のようだったが、着弾地点(つまりサウロイドの基地)での爆発が伴うことで、ようやくそれが一番艦の主砲である事に彼は気付けたのである。

 もっとも爆発といっても、その明るさは地方都市の明るさでも十分かき消されてしまうような、豆電球が灯る程度のものだ。火力だけでいえば2033年の人類が持つレーザー砲は、それこそ日露の頃の旗艦「三笠」の主砲にも劣るに違いない、月が真っ暗だから着弾が分かっただけである。


 しかし、そんなことは重要ではなかった。

「敵の基地を攻撃する気か!」

 そう、そちらが問題だ。

 真之の頭の中でいろいろな推測が飛び交う。


――敵のレールガンの反撃は無いと分かっているのか、

――揚月隊の位置は把握しているのか(同士討ちにならないか)

――そもそもなぜそんなムチャな運転をする……!?いや!


 いや。しかし、その推測すらも問題ではなかった!

「違う違う! 問題は…」

 問題はだった。

「その高度で減速したらダメだ。

 真之は首を振った。

 嘘だと言ってくれという想いで再度、空をゆく一番艦アルテミスを仰いだが、やはり彼の頭の上を通過していく同艦は、もうスコープは必要ないほど高度が下がっていた…!

「墜落するぞ!!」


 ――――


 真之がいる円環山脈の頂から300km南にサウロイドの基地がある。

 東京から富士山を見るような距離感だが月は小さいために曲率がきつく、真之は高台にいるにも関わらずサウロイドの基地は見通せず、レーザー砲の着弾地点がどうなっているかは分からない。見えるのはだいたい10秒おき(海底人がメチャクチャに連射しているのだ)に、真っ直ぐなレーザーの光が地平線の彼方と頭上の一番艦を結ぶ壮大なイルミネーションショーだけだった。

 しかし、それだけでも一番艦の異常は十二分にわかる。

 一番艦はまるで自分の描画したレーザー光をなぞるように、進んでいるのである。

 つまりそれは一番艦がレーザー砲を連射しながら、サウロイドの基地にしている事を現していたのだ。


「何がどうして、そんなことを…」

 真之は力なくズサッと膝をつくと、うな垂れた。

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