第322話 名も無き月の山にて(後編)

 多くの山は「富士山」のような成層火山、つまり子供が絵に描くような三角形の単体の山ではない。

 「エベレスト」がヒマラヤ山脈に含まれる一つの峰であるように、いま真之とマイルズが立っている「T-6」と呼ばれる山もまた静の海円環山脈クレーターの中でピョント尖っている峰の一つであった。


 そのため視線を水平にすると、地平線の彼方まで緩やかにカーブした‟山の波”……つまり円環山脈の輪郭を臨むという荘厳な景色が広がっていたが、彼らがいまおそれ眺めているのはではない。


 空の流星だった。人工の流星だ。


「アルテミス級だ…!」

 タバコの箱のサイズの測量用の片眼スコープを覗く真之は、月の北の空から駆け降りてくる流星を見つけて叫んだ。

「ええ!?」

「馬鹿な、こちらに向かってる」

「何番艦です?」

「わからん! 一番艦アルテミス五番艦ていえん六番艦ヒョードルか…」

「貸して!」

 こんな時に階級など関係がない、二番艦デイビッドの艦長である真之から管制官のマイルズがスコープを力づくで奪いとった。「貸せ!」と言わないだけ(彼らは英語で会話しているので正確には「pleaseがついているだけ」)マシである。

「艦影でわかるでしょう!」

 マイルズはスコープを構えながら叫んだ。

「この距離ではわからんだろ。それより方向と高度が問題だ…!」

 真之は怒ることなく、どちらかと言えば呆然としながら応えた。


 最初、光の点に見えたアルテミス級(我々はそれが一番艦であることを知っている)は、みるみる大きくなってきた。

 アルテミス級に搭載されたブースターが後方に噴出する気化燃料の流速はマッハ18である。そしてここは空気抵抗のない宇宙なので燃料効率を無視して噴射を続ければ理論上は同速のマッハ18まで加速できる事になるが、それでもこの速さで空を縦断するのはおかしい。

 理科の授業風にいえば、地上からのが速すぎるのである。それが意味するところは――

「あぁ、何をしようというんでしょうか!?プロペラ機みたいな高度で飛ぶなんて!」

――そう、かなり高度が低いということだ。


 マイルズはシェイクスピア悲劇のように頭を抱えた。

 なおプロペラ機みたいな高度とは誇張である。それぐらい速く空を縦断している、という例だ。地平線に顔を見せてから、ものの30秒で空の1/5ほどを進んでしまったのである。

「…くそ、見ていても仕方ない。マイルズ、ボーマン司令に連絡だ」

「はい。しかし宇宙服のトランシーバー(艦内での通信用)では…」

「だからって!」

「え?」

「駅伝だ。マラトンの戦いだよ」

 まるで古代の戦争のように、人の足でもって伝令しようというのだ。しかし確かにその方法しかない。

「わかりましたよ!」

 マイルズは不平気味に叫ぶと、スコープを真之に託して灰色の山肌を転がるように走り出した。


 ――――


「……!」

 そうやってマイルズが山を下りはじめて1分ほどが経った。

 とはいえ真之は何をできるわけでもなく、ただ神妙な面持ちで猛スピードで空を北から南に縦断するアルテミス級をスコープで眺めているしかなかった。

 この貴重な1分で得た情報としては、その艦が一番艦アルテミスであるという事ぐらいである。

 それはマイルズの言うとおり艦影で判明した事だった。

 アルテミス級は1~6番艦まで全て同じ規格だが、工廠によって微妙に艦影が異なり、特に分かり易いところではユーロで建造された一番艦は砲塔がレーザー砲になっているのである。背と腹に一門ずつ付いてる長いレーザー砲身は一番艦のトレードマークであり、スコープの中に見える艦体のシルエットはちょうどそれと一致したのだ。

「一番艦か…。あっ!!」

 そんな一番艦が、まさに彼の頭上を通過しようというときだった。

 突如、一番艦はバク宙するようにクルッと反転してると、次の瞬間スラスターを吹かして減速を始めたのである。まるで戦闘機のような無茶なマニューバだ。宇宙船が耐えれる動きではない。


「バカが!何をやっている!フレームが――」

 フレームが拉げてしまうぞ!と叫ぼうとした真之は、次の瞬間にはもっと驚いて絶句した。

 なんと減速しつつ、同時並行で一番艦は自慢のレーザー砲を発射したのである!


 キラッ…!


 まるでピタゴラスの定理を空のキャンパスに証明するように、彼の直上から地平線の向こうにピアノ線のような光の筋が一直線に引かれると、数コンマ遅れて光の筋と地面の交点と思われる地平線の向こうでボウッと光が灯ったのだ。


「撃ったのか!?」

 むろん交点とはサウロイドの基地に違いない!

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