第321話 名も無き月の山にて(前編)

 海底人に操られた一番艦アルテミスは今や流星となって、月の空を疾走してた――。


 一番艦の乗組員クルーたちは操られた頭脳である艦載コンピュータSALの電源そのものを落としてコントロールを人の手に取り戻そうと試みており、その物理的な強硬策を止める手立ては遠隔地にいる海底人には無いので、クルー達の策が成功するのは間違いないのだが……しかし宇宙船というのは何せ

 一番艦はが解かれるまでの間をチャンスだと言わんばかりに、グイグイと加速し一気にサウロイドの基地を目指していたのである。



――同刻。

 真之とマイルズは、静かの海円環山脈クレーターの、‟ある峰”を目指して灰色の山肌を登っていた。

 静かの海は地球から肉眼で見えるほどメジャーなクレーターだが、さすがに峰の一つ一つに名前がついているわけではない。サウロイドの基地の傍にある峰には「ティファニー山」と名前がついている一方、いま彼らが登っている峰の方は、同じ静の海の一部でティファニー山と同等の標高があるにも関わらず名前は無く、いまは単にT-6(静の海山脈測量番号6号。Tは静かの海「Sea of Tranquility」のTである)と呼ばれているだけだった。


 そんな「ある峰」ことT-6を真之とマイルズは登っている。

「未来永劫、残りますね」

「は?」

「僕らの足跡は」

「あぁ。月には風化が無いからな」

「それにT-6には俺達の名前がつくだろう。たぶん」

「そりゃあいいですね」

 真之がソーラーパネルを担ぎ、マイルズは電源コードをたすき掛けにして何重にも体に巻きつけていて、それを適宜解ほどきながら後に続く。マイルズが山肌に撒いた電源コードははるか下、麓に座礁する二番艦デイビッドからずっとここまで伸びてきていて、まるで灰色のT-6の山肌を真っ二つに黒いひび割れのように見えた。

「山頂だ」

 真之が言った。

「あそこにちょっとした平らがある。あそこに置こう」

「ああ、良さそうです。石をどけましょうか?」

「そうしてくれ」

「了解」

 マイルズは残り少なくなっていた電源コードの束を放り投げると(コードは丈夫なので放り投げて大丈夫だ)ビョンビョンと飛び跳ねるで真之を抜き去ると、先回りする形で山頂の整地を行った。半径3mほどの平らな範囲の石を退けて、ソーラーパネルを置けるようにするのだ。


「ざっとでいいだろう。大きな石だけで」

「そうですね」

 真之も途中で追いつき、ソーラーパネルを担いだまま足で石を蹴って整地を手伝いはじめた。と、そのときだった!


「!? …おい!マイルズ」

 真之はソーラーパネルを、まだ整地が終わっていないそこに乱暴に置いた。

「ちょっと、なにするんですか~!」

 突然のことに、マイルズは苦笑混じりに慌てた。

 もっとも整地するのは万全を期してのものなのであり、パネルを多少とがった石の上に乗せたところで月の重力でひしゃげる事はないだろうから、マイルズの苦笑は和やかなものだった。

「壊れたら大変ですよ~」

「いいから望遠鏡だ!」

 しかし状況が笑顔を砕く。

 真之が続けざまに叫ぶと、マイルズはようやく只ならぬ雰囲気を察して戦々恐々と言葉を詰まらせた。

「そ、測量用のものなら…!」

「よこせ!」

 マイルズが左のポケットから、タバコの箱ほどの小さなデジタル片眼鏡(スコープ)を出すと、真之はそれを奪うように受け取り一心不乱に覗き込んだ。

「な、なんなんです?」

 黒人のひょろりと背の高いマイルズは、それがアルマーニのスーツでなくダブダブの宇宙服だったとしても、日本人の真之よりは明らかにスタイルが良くて格好いいはずなのだが、不思議なもので心の動揺は外見に現れて今は真之より小さく貧相に見えた。

「む……!」

 マイルズの動揺を無視して武士のように「むっ…」とだけ喉を鳴らしながら、真之はスコープで空の一点を食い入るように見やった。

 もちろんマイルズもまた、本能的に真之が見ている方向に視線をやる……と!


「あ!なんです!?」

 マイルズが先に北の空に昇り始めたに気付く。

「アルテミス級だ…!」

 スコープを覗く真之は、星に紛れる光の点にしか見えないマイルズに代わってその正体を説明してやった。

「ええ!?」

「馬鹿な、こちらに向かってる」

「何番艦です?」

「わからん!一番艦アルテミス五番艦ていえん六番艦ヒョードルには違いないが…」

「貸して!」

 今度はマイルズがスコープを奪いとった。

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