第318話 非量子型艦載用小型スーパーコンピュータ: SAL
アルテミス級宇宙戦艦にはスーパーコンピュータ(量子コンピュータではない)のSALが搭載されている。地球の近傍なら地上の管制室にあるコンピュータからの
たとえば我々がグラスを取るとき「左腕の上腕二頭筋を4ニュートンの力で収縮させて、肘の関節を33°開いて…」と意識する必要はなく、ただ「グラスを取ろう」と意思決定をすれば済むようになっているのと同じである。「グラスを取ろう」と意思決定するのが船の乗組員たちであり、船の運動野を制御するのかSALだ。
そんなSALがいま、何者かからハッキングを受けていた。
いや何者ではない。
――SALがSALをハッキングするだと!?
一番艦の艦長のジャンは、副艦長のクリストフに叫んだ。
「二番艦の連中が例の本を無くしたとは考えられるか?」
「え?」
「本が無いからハッキングで連絡してきてるんだよ!」
実はSALの安全機構として人が介在しない状態ではSALから別の艦のSALへの通信は連続して行えないような仕組みになっていた。SALは15TB(最新鋭の宇宙船にしては少ないと思われるかもしれないが、位置情報など数値のやりとりをするだけなので十分なのだ)の通信の
まるで機械同士に会話を許した途端、自我が芽生えて人類に反旗を翻してしまうブラックコメディ「博士の異常な愛情」や、あるいは広く知られたSFアクション映画「ターミネーター」ような機械の反乱を恐れている……というのは冗談で(まぁ無くもないのかもしれないが)、実際は何らかのエラーでムダな情報を送り続けてしまうようになった場合を考えての安全策であった。
つまり人が見えないバックグラウンドでSALがSALにDOS攻撃をはじめてしまった場合に、アナログ的にストッパーが掛かるようになっているのだ。
ともかく――
こういう事情があるから、ジャンは「二番艦は暗号本を無くしてしまって、仕方なくハッキングでコンタクトをとろうとしているのではないか?」とクリストフに訊ねたわけである。
「本を紛失した可能性は考えられるだろ!?」
というジャンの質問にクリストフは
「どうして私が知っているんです?」
とドイツ人らしい固い英語と固い話法で応えた。彼は副艦長の席にはおらず、管制官の椅子の背もたれを掴んで浮いていて、管制官の画面を一緒に凝視している状態だった。
「しかし一つ言えるのは」
クリストフは、視線を管制官のモニターに向けたまま背後のジャンを振り向きもせずに言った。
「これはSALではありません。SALだけどSALではないのです」
「SALだけどSALではない?」
「個体(ID)としてはSALですが、もう我々の知る彼女ではなく……そ、そうか!」
「ええ!それです、副艦長」
管制官も一緒になって気付いた。
「理由はわからないですが、そうです!」
「どうした?二人だけで納得するな」
「艦長。このSALは言うなれば成長した姿だ。アップデートを重ねた10年後ぐらいSALです」
「なんだって?技術屋連中だけで納得するんじゃない!」
ジャンは怒鳴った。
この物語で久しぶりにヘルメットをつけていない
「分かるように説明しろ」
「できません。説明はできませんよ。しかし事実としてこの
「わからんな!」
ブリッジにどよめきが走った。クルー達は頭脳明晰な宇宙飛行士であり、それゆえ「どうしてSALがそんな急成長をしたのか?」「月の裏側からどうやって通信しているのか?」など、「なぜ?」に脳のリソースを持っていかれてしまったが、ジャンだけは違った。
今は「なぜ」などどうでもいいんだ、と足蹴りするように叫んだ。
「違う!もういい!それよりだ。それよりSALが乗っ取られるとどうなる!?」
よい質問である!
「乗っ取られても手動運転が優先されるセイフティはあります。が!」
「が、なんだ!?」
「そのセイフティも我々の六歳のSALが守っています!」
「つまり…!?」
「十六歳の自分自身には勝てない…」
クリストフが苦々しく言葉を詰まらせ、ブリッジ全体が沈黙という騒然に包まれたそのときだ。
グワッ!!
一番艦は突如として進路を変えたのである!
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