第317話 デジタル・セイレーン

 第一次人竜戦の最終局面は「我慢比べ」という地味な結末を迎えようとしていた。


 揚月隊じんるいは彼ら自身も知らないうちに謎のDSL勢力(Deep Sea Lives。通称、海底人)の援護を受け、番狂わせを起こしてサウロイドの基地の3/4を制圧する事に成功した。

 が、彼らの快進撃もここまでのだ。

 なぜならサウロイド達は基地の南のC棟に逃げ込む際、焦土作戦を敢行し、C棟以外の棟の電気を止めた上に、酸素を全部月面に放出してしまったからだ。文字通り月面に殴り込みをかけるための揚月隊の月面服は、戦うために動きやすくスマートなデザインであり、超高価なバッテリーと二酸化炭素除去装置こそ装備しているが決して長期滞在向けではない。

 つまり彼らは、いずれ(あと30分ほどとサウロイド達は見ていた)で寒さか酸欠で死に耐えるはずだ。

 普通にいけば、サウロイド達の我慢勝ちである。


 …普通にいけば。


――――――

―――――


「いえ!!」

「あぁ!?なんだというのだ!」

デジタル防壁ファイアウォールは?」

「速すぎます!地上のスパコン3台並みです。こちらのSAL(小さめの冷蔵庫ぐらいの艦載スーパーコンピュータ)だけでは防ぎ切れません」

「送信元だけでも探れないのか?」

「それはもうやってます」

 同刻、アルテミス級一番艦「アルテミス」のブリッジは大混乱に陥っていた。ちなみにアルテミス級一番艦アルテミスとは妙な呼び方だが、一番艦には艦級の名前がそのままつくのが慣例があり、こういう呼び方になるわけだ。


五番艦ていえん六番艦ヒョードルはハッキングを受けていないのだな!?」

「地上は何と言っている?」

「わかりません。相手の先制攻撃で通信をやられました。一番艦われわれはネットワークから孤立させられています」

「それでも敵対的なハッキングではないというか!」

「は、はい。相手に敵意があるならもっとひどい事ができる状況です。でもそれをしないのは…」

「ええい。敵対的でないハッキングなど、言葉として矛盾しているだろう!」

 一番艦アルテミスの艦長のジャンは机を叩こうとして、自分が大男であることを思い出して踏みとどまった。彼の怪力の前では軽量化に次ぐ軽量化を重ねた宇宙船の備品などは粉砕されてしまうかもしれないからだ。



 墜落した二番艦デイビッドや難破中の三番艦ソロモン、あるいは半壊した月面基地の描写が続いたあとでは、ここ一番艦アルテミスのブリッジは何と煌々と明るく、何と暖かく(とはいえ節電のため摂氏13℃しかない。宇宙船の中で半袖で過ごすシーンが描かれるSFがあるとすれば、それはだいぶ未来の話か、あるいは脚本家が無知かのどちらかに違いない)なんと快適であることだろうと感動するが、そうした身体的な安心感とは裏腹にブリッジのクルー達は戦慄している。

 もちろんそのおののきは、恐怖というよりは「謎の通信」という‟不気味さ”に起因していた。


「あ!通信元がわかりました!」

「なに!?早いな!?」

「いや、灯台下暗し。IPのです…!」

「なに!?宇宙からの謎の通信がを守っているだと!?」

 まるでブリッジの壁面全体に鳥肌が立ったかのように、クルー達がザワッとなった。

「はい…しかも通信元は……二番艦デイビッドのSALです!」


――墜落した二番艦デイビッドからハッキングを受けている!?

 一番艦アルテミスのクルー達はもうまったく意味が分からなくなって、なんとか息を続ける事だけで精一杯だった。彼らの代わりに疑問を言葉にするなら…

 疑問は二つになるだろう。

 第一に「二番艦の墜落予想地点は現在、月の裏側であり、つまり通信はできないはずなのに?」ということ。そして第二に「もし何らかの方法で通信ができるのだとしても、なぜ仲間の艦をハッキングする必要があるのか?」ということだった。


 一瞬の沈黙が広がり、その間、ここに集まるエリートたち脳の中ではそれぞれの専門分野に根ざした推測が駆け巡っていた。ただ、こういうときは科学に疎い者の方がフットワークが軽かったりもするのも事実であり、一番に口を開いたのは艦長のジャンだった。


「おい!二番艦のSALが何らかの方法で‟例の本”を見てしまったとは考えられないか!?」

 彼はブリッジ全体に響く声で副艦長のクリストフに訊ねた。

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