第310話 人生の主人公を誰に設定するか、それが問題だ

 ホモ・サピエンスのネッゲル青年とサウロイドのゾフィの間では言葉は意味を成さず、ただ二人は「胸の前で両手を握り合わせてギュッギュッと上下に振る」という同じジェスチャーをすることで別れを示した。

 このジェスチャーが「友達」を表わすサピエンス文化の手話であることは、もちろんサウロイドのゾフィには分からなかったが、むしろそのことが「友達」以上に篤い挨拶に感じられて胸に迫った…!


『……うん』

 時間にすると5秒ほどその接触コネクションは続いたが終わりは突然で、彼女はまるで冥界から戻るオルフェウスのように、クイッと断ち切るように体を反転させて現実に戻った。

『うん! OK。いきましょ!』


 横一列に睨み合う両勢力はまだ銃を向け合っているが、ゾフィだけはワケもなげに背中を見せてると、スタスタとC棟へのゲートのコンソールパネルに向かった。野生のスキュラノミムス(サウロイド世界でいう観光地の猿のような存在)を相手に慌てて見せるのは良くない……そう考えた彼女は堂々と敵に背中を見せて、ごく普通のコンソールを操作する事にしたようだ。

『さ! レオ、パスワードは?』

『…rnlksat』

 レオも多少は落ち着いているが敵に向けてフレアボールを構え続けているのは変わらない。位置関係としては、彼は背後でコンソールをいじるゾフィに背中を向けたまま会話している形だ。


『ゾフィ。C棟側に通知する事を忘れずに…ここは真空になってしまっている。

『ええ…』と応えた後、ゾフィはコンソールパネルの表示を見て、ちょっと驚いた。

『あれ?でもどうやらC棟のエリア1はもう真空になっているようよ』

『何だって?』


 ジャンクションホールのゲートにエアロック(二重扉)機構はないので、こっちが真空ならゲートを開いたときにとなるC棟の北端の区画「エリア1」を真空にしなければならない――とレオは指摘したが、どうやらそのエリア1はすでに隔離されて真空になっているという。それが意味するところは……

『ゲートの向こうには反撃の兵が待っている』

 ザラが言った。

『ここに転がる死体に副司令がいない。ということは、おそらく副司令が兵を集めてゲートの前で突撃の準備をしているのでしょうな。司令?』

 ザラがまるで口調でレオに言った。

『まぁ、そうでしょう』

『…どうです?覚悟を決めますか?』

 ザラはニヒルに笑った。

 副司令の突撃に乗じて戦うとなれば、銃を向け合っている自分達はほぼ相打ちになるからだ。ザラの性格として自分が死ぬことは避けたいはずなので、彼がこういう提案をするのは相当である。

 合理的な判断の下で勝機があったとも言える。


『ダメよ。約束と違う』

 しかしゾフィは強く断じた。

『約束?』

『我々は約束を守る。それは価値のあることだわ』

 緊迫した状況で言葉が落ちすぎて意味がよく分からないが、つまり「サウロイドは話の分かるヤツだ。文明的なヤツだ。という第一印象を猿人間サピエンスに与えておくのは価値があることだ」と彼女は言ったのである。

 そう彼女だけは‟この後”を見据えていたのだ。

『ああ…そうか。そうです、ゾフィ』

 レオもまた大きく頷いた。彼は「そうですゾフィ、君がいて良かった」と一秒ほどのゆったりした瞬きをして決意を決めると、構えたフレアボールを降ろして大の字を作って敵に体を晒した。むろんそれを見た敵は一瞬「むっ…!」「自爆攻撃か?」と身構えたが、人類とて原始人ではない、なんとか引き金は引かずに踏み止まってくれた。

『よし……』

 そして彼は、ザラの甘言で奇襲する気になっていた自分を恥じながら、両手を広げたままゾフィがしたように踵を返してUターンすると、今度はズイズイと歩いて(つまり敵に背を向けて遠ざかる動きだ)C棟のゲートの前に立ち塞がった。


 のである。

『司令…!』

 ザラが食い下がる。これはにする行為だからだ。

『まずは相手を信じてみるところからです』

『ありふれた言葉を』

 ザラは本当に辟易とした口調で唾棄した。「まずは相手を信じてみましょう」などというセリフは、学園ドラマの教師以外は恥ずかしくて口にできない言葉だろう、とザラは冷笑した。

『そういう綺麗ごとをのたまう人だとは思いませんでしたよ…!』

 のたまう、とはかなり攻撃的だ。それに対しレオは冷静に説く。

『…

『は?』

『私の好きな言葉です。もし敵が裏切って我々を殺しても、裏切るような種族だと示してくれた我々の死は価値があるでしょう。‟主人公”にとっては』

『よく分かりませんね。主人公は誰です?』

『誰でもあるし。誰でもない。…わかりますか?』


 自分が主人公でなければいけないという思い込みが、我々の気がする。それは「世界の主人公は自分である、という自分勝手な行動で他人ひと様に迷惑をかけないようにする」といった低次元のものだけではない。

 自分の人生の主人公を「誰か」に設定したって構わないわけだ。「ドラゴンボールのクリリン」でも「エヴァの鈴原トウジ」でも「007の科学者のQ」でも構わない。心に残る物語の脇役、時には主人公のために死んでしまう脇役であっても世界全体の物語がハッピーエンドならそれでいい……というこそが我々の人生の苦悩を軽くしてくれるのかもしれない。その自分の人生の主人公は「子供」でもいいし「恋人」でもいいし、そして究極的にはレオの言うように「誰か」でもいいのだ…。


『…つまり、アナタは「猿人間を撃退したヒーロー」になる可能性を捨て「一方的に猿人間を信じて無様に殺された愚者」になる可能性をとるわけですね? として』

『ええ。そうです』

 レオは少し考え、ザラ以外の者にも分かるように補足した。

『この世界を映画だと思ってください。映画の冒頭でそのが猿人間に殺されるなり、和睦するなりで物語は展開していくでしょう?まずは脚本家うんめいに切り捨てられる脇役がいなければ、映画せかいが進まないのですよ』

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