第308話 The Encounter(後編)
『彼だわ!』
両陣営ちょうど8人ずつがほとんど横一列になって、15mほどの距離で銃を向け合っている構図であるが、遮蔽物がまったく無いので両者ともどうしようもない膠着状態を続けるしかなかったのである。しかし――
『彼だわ!』
サピエンス側から一人の男が「手の甲を掲げる」というサウロイド文化のジェスチャーを見せつつ歩み寄ると、それに呼応してサウロイド側からも一人の女が飛び出した
ゾフィ司軍法官である。彼女は撃たれる事も恐れずにズイズイ進み出て、ついに二人はちょうど緊張が高まる両陣営の真ん中で対面する。
――――――
『やっぱり…』
とゾフィ呟くと、その男つまりネッゲル青年も呟いた。
「ああ、君がココに居て良かった」
お互いに最大限の緊張を体に湛えつつ、何とも言えない距離感で正対した2つの生命体が挨拶を交わす。二人とも同じ与圧服を着ているので、あとはそのプロポーション差は生命体としてのどういう進化をしてきたかの違いであり、それを端から観てしまうと筆舌しがたい感慨があった。
それはまさに‟ENCOUNTER”。
”出会い”を示すだけのはずのその単語を題名としたスピルバーグの映画に「未知との遭遇」という邦題をつけたセンスは素晴らしい事この上ない。「未知」という言葉には、まさに今ネッゲル青年とゾフィが体現している警戒心や不安感を外皮にした好奇心という果実を連想させるからだ。
――さて。
10秒ほどだろう。
両者は真冬の雨にさらされた誰も居ない公園の彫像のように宿命的に棒立ちでたっぷり正対した。そしてその後、突如にしてゾフィが吹き出した。現実主義のゾフィは急にバカらしくなったのだろう。「なにを神妙に向き合っているのだろう」と。
『ふふふ…』
その「ふふふ」は人間にはハトのクルックーという鳴き声にしか聞こえなかったが、少なくとも笑ったことはネッゲル青年も伝わり、彼も微笑んだ。もっと口角を上げて声を出して笑えれば良かったが彼の性格からしても、そして零下40度に晒された顔面の筋肉は上手く応えてくれなかったようだ。
『あ…ははは!』
ゾフィは霜だらけの顔が何とか笑おうとしてる様を見て、さらに吹き出した。
サウロイドの表情筋も人類からすれば不器用に見えるが、ネッゲル青年はそれ以上に不器用だった。
「は…はは」
だがともかく、周囲の連中はまだ銃を向け合って緊張の中にいても、この二人はいま完全に心を一つにする事ができたようだ。
さぁならば次だ。これを――
『それを周囲に示さねばならないわね…』
そう自分に呟いたゾフィの顔は凛としたものに変わった。
そして彼女は少し考えたあと、不意に両手を顔の高さに掲げてみせた。当然その予期せぬ動きに周囲には緊張感が走り、特に敵である
『落ち着いて…。落ち着いてぇ…』
前と後、ちょうど8人ずつの引き金を引きたくてウズウズしている兵士達がゾワッと臨戦のオーラをまとうのを感じた彼女は、
つまり、相手に手の甲を見せたのだ。
――同じジェスチャー!
ネッゲル青年と同じポーズをしたのである。
「…!」
ネッゲル青年は気付いて、言葉を失った。
いや、彼だけでは無い。周囲もまたそれが意味するところを悟って息を呑んだ。
同じポーズをとる事とは「会敵」ではなく「遭遇」の具象であり、相手を人として認める「思慮」の一歩だ。あるいは「交流」や「伝心」の象徴こそがまさに同じポーズをとることでもある。
だからグループアイドルのダンスは、みんな同じ動きをするわけだ。同じ動きをすることに意味があるからだ。
鏡映しのようなポーズで頷き合う二人は、まるでミケランジェロの「アダムの創造」のようだった。これが宇宙人のE.T.であれば人差し指を触れ合うわけだが、サウロイドの場合は手の甲を見せ合う形となるわけだ。
指先を触れ合う方がロマンチックではあるが…まぁともかく、月面で行われたこの異なる知的生物同士のほんの些細な「ENCOUNTER」は、後世の画家によって、気をてらわず写実主義の画風で描かれるに値する歴史的な瞬間である。
さぁ…だがこれでは終われない。
『さて…!』
絵画だけでは終わらない、現実の問題はまだ続いている。
なにせゾフィがやりたいことは「揚月隊の間をつっきってC棟に行かせてもらう」という難しい事だったからだ。
『はぁ… 言葉が伝わればなぁ…』
彼女は苦笑して溜息を吐いた。一歩でも進めば撃ち殺されそうである。
『さて、どうしよう…』
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